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【まち村】「萌えキャラ町おこし」を地域住民は喜んでいるのか?

事のはじまりは、4コマ漫画から発展したアニメ「らき☆すた」に登場した、実在する神社である。女子高生の学園生活を描いた内容で、埼玉県久喜市に実在する鷲宮神社が、ファンの注目を浴びるようになる。

この神社が、「らき☆すた」人気に便乗したことをキッカケに、町全体が「らき☆すた」による町おこしに力を入れ始めた。これが、「萌えキャラ町おこし」の起源だと言える。

漫画の人気もあって、ヲタクだけではなく、女の子たちもこの町にやって来るようになった。地元では、「らき☆すた」グッズや土産物の販売、婚活イベント、スタンプラリーなども行われ、その経済効果は数十億円とも言われる。

関連商品を扱う商店や飲食店は客が増え、“らきすた様々”と言ったところか。町おこしの成功事例として、度々マスコミにも登場するようになった。

だが私は、これを町おこしの成功事例と呼ぶには、少々疑問を持っている。

町おこしとは、地域の活性化のこと。そこに住む人びとが、豊かで楽しく、生き生きと暮らしていける環境を創ることである。そして、誇りを持って、他所の人に町を自慢できることである。

この町の人びとは、「らき☆すた」の舞台であることを自慢しているだろうか。そもそも「らき☆すた」を読んだこと、観たことはあるのだろうか。

人気があるから、便乗しているだけではないのか。人が集まれば、それが町おこしだと錯覚しているのではないか。

喜んでいるのは、神社・商店・飲食店だけである。だが、それは、儲かるようになったから、ちょっと顔がほころんでいるに過ぎない。本当の笑顔になっているわけではない。

何の恩恵も受けていない住民は、若い女性のキャピキャピ声が騒々しいと思っているかもしれない。ヲタク軍団を怖がっているかも。

特に中高年からすれば、理解の範疇を超えた、わけのわからない“萌えキャラ”とやらが町に氾濫し、別世界の生物が、自分の家の前をウロウロしているのである。喜ばしいことでは、まったくない。

住民の喜ばないことを町おこしとしてやっても良いものか。

キャラクターによる町おこしを否定するわけではない。

兵庫県・宝塚市の手塚治虫。
鳥取県・境港市の水木しげる。
宮城県・石巻市の石ノ森章太郎。

これら漫画家の生まれた故郷が、その人物や作品をテーマに町おこしをしているが、誰もが知る偉人とも言える人たちであれば、住民も誇りを持って、自慢できるのである。

だが、萌えキャラにはその力が無い。一部の人間が喜んでいるに過ぎない。

確かに、ヲタクやマニアを相手にするビジネスは、手堅い面もある。萌えキャラをあしらったお米が売れたり、ボディに萌えキャラがペイントされたタクシーに人気が集まったり。価格を高く設定しても、売れる可能性が高い。ビジネスとして考えるなら、戦略の柱とすることもできる。

だが、町おこしには向かない。住民のほとんどは、ヲタクでもマニアでもないので、「萌えキャラの町」に愛着を感じることはない。自慢することもない。

住民が笑顔にならない町おこしは、やるべきではない。

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