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ダサい人間でも、“引き際の美学”は持っていたい。

終活。生前のうちに、自身の葬儀や墓の準備、財産の相続、遺品の整理などをしておくことである。これは、非常に大切なことだと思う。

旅立った後のことなど知らぬ、ではいけない。大切な家族にできるだけ迷惑を掛けないようにすることが、旅立つ者の最後の務めではないか。葬儀の準備のみならず、身のまわりの整理をきちんとした上で終末を迎えることが、“引き際の美学”とも言える。

だが、いつその時が来るのかはわからない。突然来れば、心残りもあるだろう。悔いも残るだろう。そんな無念な思いをしないためにも、いまを精一杯生きなければならない。大切な家族にも、愛をしっかりと伝えておかなければならない。

家族への思いを最後に伝える手段が、終活ではないかと思う。残った家族に迷惑を掛けないよう準備しておくことが、家族へのメッセージとなる。

家族を見送った経験のある人ならわかるだろうが、本人が亡くなり、家族が悲しんで落ち込んでいる時に、葬儀社とわけのわからないやりとりをしなければならないなんて、非常に疲れることである。長年溜め込んだ遺品を、何日も掛けて片づけることも苦痛である。

そんなことを家族に背負わせるなんて、家族を愛する人間にはできないのではないか。そうならないために、しっかりと準備をしておこうと終活することは、非常に意義のあることである。

「そんなこと、気にしなくていいよ」と、優しい家族が言ってくれたとしても、それに甘えてはいけない。そんな優しい家族だからこそ、手間を掛けさせてはいけないと思う。

私は、「葬儀はいらない。骨は海に捨ててくれ」と、家族には伝えてある。「葬儀をする金で、何か旨いものでも食ってくれ」とも言っている。面倒なことなど、一切しないで欲しい。

自分のことを、泥臭く生き、ダサい人間だと思っているが、引き際くらいはスマートでありたいと願っている。

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