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公園は危険? “危険”は排除すべき?

公園から子どもたちの姿が消えて久しい。いまの小学生が外で遊ぶことは、ほとんどない。また、塾があるので、“真面目に遊ぶ”時間もない。ほんの少しの隙間時間を使って、ゲームをするのが遊びである。

外で遊ぶことができるのは、幼稚園児以下の子どもたちだけ。しかし、遊具での事故が増え、次々と撤去されてしまった。

怪我をした子どもの親たちも、その責任を行政に求めるようになり、さらに遊具が消えることになった。

昔と今の遊具はどこか違うのだろうか。ブランコ、すべり台、シーソー、ジャングルジム……。多少デザインは変わっているが、基本的には同じ。変わったのは、子どもの運動能力と、親の思考回路である。

昔の子どもも多少の怪我はした。特に男の子は、危険なことが好きだ。小さな怪我を繰り返して、「危険」を学び、ギリギリのところで手加減をしていた。親も怪我など気にもせず、“赤チン”を塗って、「ハイ、おしまい!」。

ところが、いまの子どもは、少しでも怪我をすると、親がすぐにやめさせる。「危ないから、行っちゃダメ!」。遊具を管理する行政に、文句を言ったりもする。まったくの筋違いではないのか。

小さな怪我をたくさん経験しておかなければ、大きな怪我をした時に対処できなくなり、精神的ダメージが大きくなる。小さな怪我でもオロオロする、弱い人間になってしまう。

しかし、いまの子どもは、危険なことをやったことがないから、“手加減”を知らない。痛みもわからない。だから、度を超してしまい、事故となるのである。

身体を使い、小さな怪我をしながら、危険を学んでいくのである。これは、生きる上で必要なことである。

「危険」を教えるためにも、親は意識を改めなければならない。怪我をするのは、遊具のせいではない。子どもは怪我をするもの。

怪我をしやすいのは、子どもを外で遊ばせない、親の責任である。

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