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【小説】 くだらない、恋心。


 結局、レコーディングは有無を言わさず始まった。私は心と身体が分離したまま参加するしかなかった。心は元気、でも、身体がうまく動かなかった。ドラムはなんとか叩けるんだけど、それも習慣の力って感じ。思い通りには動いてくれず、プログラミングされたロボットみたい。自動的に動いてるだけ。自分の気持ちが、音に出てくれない。気持ち悪い。

 しかし、新曲「ReRe」は、全国ツアーで磨きに磨いた曲。完全に呼吸だけでお互いを感じ合えるレベルまできていた。だからなんとか、レコーディングは順調に進んだ気がする。プレイバックを聞いても、出来は良かった。初のピアノロック調の楽曲で、楽器のコンバートがあったりと、バンドのカタチを大きく変えたが、私たちの代表ソングになるという確信があった。

 スタジオにはピアノ指導として、森口リオンが訪れていた。夏真っ盛りだというのに、額や首は白く光り、鼻は涼しげにツンとしてる。まるで暑さを感じさせない顔をしている。共にプレイバックで流れる曲に耳を澄ませ、頭をゆらゆら揺らしている。あれ? 身長伸びた?

「あれ? 身長伸びた?」

 ひとしきり自分達の感想や思いを話した後に、ミウが言った。スタジオの端に立つ彼に視線が集まる。だからといって、決して高くはない。平均的には低い方。でも、確実に身長は伸びている。

「あ、うん。そう」

 リオンくんは、照れ臭そうに人差し指で鼻下を撫でる。心なしか表情も豊かになってる気がした。スイッチが切られたはずの私の身体に、ポタポタと油が垂れた気がした。

「ミウ、ピアノ上手くなったね」

 リオンくんはミウを呼び捨てで呼んだ。前は苗字だったのに。
 一番驚いていたのはミウで、呆気にとられた顔をしている。「あ、ありがとう」と全身の毛を逆立てながら答えている姿に胸がキュンとした。また、私の身体がギシギシと音を立て出したのを感じる。

「みんなが響き合ってた」

 リオンくんをコンダクターみたいだなと思った。感想を言ってくれてるだけなのに、言葉の説得力に、誰もが自信を顔に浮かばせた。チラッと彼と目が合ったとき、彼はコクンと頷いた。ギギギギ、ガガガガ。私の身体が緩んでいく。たったこれだけのことで、ほぐれていく。冷房の効いたスタジオなのに、身体の内側からポッポと暑くなった。くだらない。本当に、私は、くだらない。
 私には、彼の指揮棒が必要だったらしい。

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