話し合う前の段階3 (マキコ)
【マキコ】
どうして、すぐに動こうとしないのか分からなかった。
大手芸能プロダクションからスカウトされたのだ。即答するべきだ。
たぶん、世の中には最適解というものがある。今回でいえば、名刺に書かれた電話番号を迷わずプッシュすること。それなのに、なぜか先輩たちは「うーん・・・」と頭を抱えていた。
「これはチャンスですよ。あたし、これまでもスカウトされたことがあったんですけど、こんなに大きな会社から声がかかったことはないです!」
初めてスカウトされたのは小学校低学年の時。母親と二人で映画館に行った帰り道、その劇場で見知らぬ人に声をかけられたのだ。事態を理解できていない私を横に、大人たちだけで会話が進んでいた。どうやら、私のスカウトだったらしい。「まだ子どもだが、ダイヤモンドの原石のような輝きを秘めている」「きっと芸能界で成功をおさめる」とかなんとか。すごい熱意で誘われたようだ。
褒められることは誰だって嬉しい。華やかな世界に飛び込むことができるのかと思うと、気分が上がり、心の中でスキップをしながら帰路についた。
しかし、帰宅すると「よく分からない小さな会社だったから断ったのよ」と母から伝えられた。それ以上の説明はない。
ここでの母の最適解は、娘の気持ちを聞いてみることだったはずだ。この頃から、私と母の間には溝が生まれてきた。
「あたしは絶対に行くべきだと思います! みんなおかしいです! なんでそんなに消極的なんですか!? 大手なんですよ? 奇跡なんですよ?」
二回目のスカウトは、中学に上がり友達と原宿を歩いている時。テレビや雑誌などに書かれている通り、怪しさ満点の男性が話しかけてきた。
一緒にいた友達をよそに、私一人に向かって「もし芸能界とかに興味があるんだったら、是非、親と話をさせて欲しい」と。友達は「すごいね!」「こんなこと本当にあるんだ!」と興奮していたが、名刺に記載された会社名を見て、暗い気持ちになった。
嫌な予感を拭えぬまま、母に経緯を説明し、名刺を渡したが、即答で「うーん。聞いた事もない会社だし、やめといた方がいいわね」と言われてしまった。「電話だけでもしてみてよ」とお願いをする気も失ってしまうほどの強い意志が母に見えた。
何も言わず不満な顔をしていた私に、母は諭すような口調になる。
「あなたの為を思って言うけど、芸能界は厳しい世界なのよ。どれだけ可愛くたって、生き残れるのは一握りなの。そんなワケの分からない世界よりも、ちゃんと勉強して、自立した生活を目指す方がいいわ」
母に反対されるほど、芸能界への憧れは強くなっていった。
きっと母は、知らない会社からのスカウトだから拒絶反応を示したのだ。それならば大手にスカウトされてやる。母でも知っているような大きな会社ならば、反応が変わるはずだ・・・。
今まで以上に美容に気をつけるようになり、学校でも道でも、常に誰かに見られている意識が生まれた。行動が変われば中身も自然と変わる。文武両道の完璧な女性像を求めるようになり、自分がドンドン磨かれていく感じがした。
しかし、皮肉なものでスカウトの声は一切なくなってしまった。
あの時、母がきちんと私と向き合ってくれれば。最適解がわかっていたのだから、素直になっていれば・・・。
自分の中でスカウトされない言い訳を作り、母のせいにすることでなんとか精神を保つことができた。
明月高校の音楽祭を見にいった時、「HIRON A’S BAND」というガールズバンドに出会った。遠くから見ても分かるほどの地味な女の子たち。バンドの演奏の前が明月高校名物の和太鼓演奏だったこともあり、期待値は下がっていた。
それが演奏が始まった途端、世界がカラフルに彩られるように華やいだ。雷が落ちたような衝撃に打たれた。思わず席を立ち、ステージに近づくと、一番地味に見えたボーカルの彼女は驚くほど歌が上手く、何より歌う姿が可愛い。ベースの彼女は大人の色気があり、ドラムの彼女は明るく元気でエネルギーに満ち溢れている。
聞いたこともないオリジナル曲なのに。目頭が熱くなった。それほど、曲と歌詞が素晴らしかったのだ。
「このバンドに入りたい」
私の心は叫んでいた。これが私にとっての最適解だ。
衝動に突き動かされるように、彼女たちに話しかけ、そして、今がある。
「もー! みんな変ですよ? そもそも、所属できるかどうかだって分からないんですから。まずは阿南さんと会って話してみないと」
もしかしたら、芸能界に入りたいという想いが強かったのかもしれない。
知らない世界を嫌う母親に対しての反抗的な意識がないともいえない。
それでも、直感的に、このチャンスを逃したら、一生後悔するという確信があった。バンドに入りたいと直感した時と同じように。
それしか答えがないと思っていた。
「なるほどね。分かった、ありがと! 参考になった! もう少し考えてみる! じゃ、今日のところは解散!」
リーダーであるヒロナさんがどんな結論を出すかは分からない。
ミウさんもアキさんも、彼女の意思に従うようだが、私は違う。
もし、今回のスカウトを断ったら、何がなんでもヒロナさんを口説き落とす。徹底的に話し合うことを心に決めて、帰路についた。
人は未知なる世界を異常なほど毛嫌いする。
答えが目の前にあるのに、わざわざ遠回りをする。
もっとシンプルなはずなのに。
影が私より先を歩いている。
すっかり夕方になってしまい、午後の予定をすっ飛ばした。
後で友達には謝らないといけない。それでも、私は後悔していない。
話し合う前の、この時間が必要だったのだ・・・。
大きなため息を吐いて、いつもとは違う帰り道を選んだ。
1時間57分 2300字
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