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感情が溶けると眠くなる  (マキコ)

【マキコ】

 自分の無意識の中に「差別」感情があるとは思っていなかった。
 大手芸能プロダクションにスカウトされて、なんとしてでもカタチにしたいという欲望が自分の中に眠るグロテスクな感情を呼び覚ましたのだ。
 もちろん、嫌悪するような差別感情ではない。もしかしたら「区別」と考えた方がいいのかもしれない。
 ただ、アキさんの「吃音」を必死で隠そうとしてしまったのだ。

 アキさんは日常生活の中で言葉に詰まったり、言葉の途中で空白が生まれるクセがあった。でも、歌っている時だけは言葉が引っかかることはなく、ノビノビと天才的な歌唱力を披露していたので、初めて会話をした時に驚いた記憶がある。
 ヒロナさんもミウさんも、そのことには触れないので、頭の中で勝手に「触れてはいけないこと」と変換してしまう。そして、自分でアキさんの症状について検索してみると「吃音」という障害がヒットした。
 
 アキさんは、障害がある。

 思い込みはタチが悪い。
 それから、アキさんを自分の中で特別視してしまう。整った顔立ちをして、絶対的に可愛いのに、地味な存在として振る舞っていることも。自信がないように小さな声で喋ることも。バンドメンバー以外の友達が全くいないことも。全て、障害に原因があると決めつけていた。
 そして、その代わりに“天性の声”と“圧倒的な歌唱力”を手に入れたのだと思ってしまっていた。
 「自分とは違う」と心の中で分けていたのだ・・・。

 最低だ。

 スカウトしてくれた阿南さんに良く思われたかった。
 真面目で明るく元気な高校生を演じ、最短距離で芸能事務所「所属」を掴み取ろうとしていた。それが自分にとっての最適解だと思っていたし、世の中の大半の人がその道を選ぶと思った。
 だから、アキさんが阿南さんの質問に対してうまく答えられないことが「不正解」だと感じ、必死でフォローをした。

 悪いのは障害だ。
 でも歌うときは大丈夫。
 症状が出ることはない。
 だから安心してほしい。
 音楽に支障をきたすことはない。
 アキさんが悪いワケではないのだ。
 
 何かにフタするように必死で話す自分の姿を思い返すと吐き気がした。
 アキさんを守っているようで、結局は自分のことしか考えられていない。
 自分の中に眠っていた無意識の「差別」感情。
 ミウさんに怒られて、初めて気付くことができた。
 しかし、せっかくの面談の場が、私のせいで台無しになり、話し合いも進まずに私たちは帰ることに。そのまま反省会をすることになったが、どこに視線を置いていいのか、何を喋ればいいのか分からない。
 迷子になっていた。

 「あ、あ、あり、ありがとうね」

 アキさんは、私の手を優しく握ってくれた。
 傷つけることを言ってしまったのに。
 酷い感情を向けてしまったのに。
 私のせいで全部が台無しになったのに。
 アキさんの体温に心がほぐされていくのが分かる。
 止めどなく涙が頬を伝う。

 「ごめんなさい・・・アキさん・・・」

 あの会議室では言えなかったことを、やっと言えることができた。
 大きなクスノキの下で。

 「ううん・・・ま、まも、守ってくれて・・・ありがとう」

 ぼやけてハッキリとは見えないが、アキさんは子どもをあやすような穏やかな顔をしている。全てを受け入れてくれるような安心感を感じ、アキさんの胸に頭を埋めた。

 「・・・違うんです。あたし、自分を守ってたんです」

 「・・・うん」

 「無意識のうちにアキさんの症状を悪いことだと思ってしまっていて・・・」

 「うん」

 「だから・・・」

 「わ、わ、私を守ってくれたんでしょ?」

 アキさんの言葉に、悲しみと深い愛情を感じる。
 私の頭では追いつかないほど成熟した心の優しさに絆され、声も出せないほど泣いた。

 「あのね」

 ひとしきり泣いた後、ヒロナさんが慎重に口を開いた。

 「たぶん、私も最初はマキコちゃんと同じようなことを思ってたの。でも一緒にいる時間が増えてくにつれて、考えが変わってきたというか。気付いたんだ」

 顔をあげてヒロナさんを見ると、彼女は公園をテンテンと歩く人たちを見ながら話をしていた。話しながら何かを感じているのが分かる。口角が少しだけ上がっていた。

 「アキちゃんが言葉に詰まるのは、世界に問題があるからじゃないか? って」

 「え?」

 アキさんは驚いていた。
 きっと誰からも言われたことがないのだろう。
 
 「歌ってる時のアキちゃんがキラキラ光ってるのは、音楽の世界が素晴らしいからなんじゃないかって。バンドをしている時は、女も男も大人も子どもも関係なく全てが一体化するような感覚があるじゃない?」

 「うん、ある! た、楽しいよね!」

 アキさんの目が輝き出した。
 ヒロナさんの真っ直ぐな言葉には人を惹きつける力がある。 

 「たぶん、世界のあらゆる問題がアキちゃんの言葉の邪魔をしてるんだよ」

 障害に問題があるワケではない。
 アキさんに問題があるワケではない。
 『世界がアキさんの邪魔をしている』というヒロナさんの言葉に、心の中のナニカがスーッと溶けていくような感覚がある。
 ミウさんは「なるほどね」と小さく呟いた。
 
 「そして、アキちゃんの歌には、そんな世界中の“邪魔”を吹き飛ばす力があるんだよ。だから、なおさらバンドが楽しいんだと思うんだ」

 「す、す、凄い。・・・お父さんと同じこと言ってる」

 アキさんは目を見開き、黒目をキョトキョトさせていた。
 
 「うそ!? えー! なんか嬉しい!」

 「せ、せ、世界には邪魔なことが多すぎるって! アキの歌には邪魔を吹き飛ばす力があるって! ま、全くおんなじ! ヒロナちゃん、すごい!」

 亡くなった父親と同じことを同級生に言われたアキさんは、見たこともないほど興奮していた。言葉がスラスラと流れている。

 「きゃー! おとーさーん! 気が合いますねー!」

 ヒロナさんは天を仰いで大声で叫んだ。
 アキさんは一緒になって喜び、ミウさんは「ちょっと! 声でかいから!」と注意している。

 いつも通りの光景。

 消えていくドロドロの感情。
 
 みんなの声が心地いい。

 とても眠くなった。


 2時間14分 2450字

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