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【小説】 大掃除の意味


 掃除機の騒ぐ音で目が覚めた。
 年季の入った掃除機は我が家の騒音問題になっている。
 勉強の邪魔、練習の邪魔だ。
 新しいモノを買って欲しいとヒロナと弟のユキトは叫び続けてきたが、操縦士である母は、我関せず。
 まるでもう一人の子どもを慈しむような眼差しで、長年使い続けていた。
 ヒロナはニットの部屋着に着替え、眠い目を擦らせながら洗面所へ向かう。
 騒音をBGMに顔を洗う。途中、ガンガンと壁と掃除機をぶつける音がした。
「ただでさえ音がうるさいのに、何でガンガンするんだろう・・・」
 朝から苛立ちが湧いてくるが、今日だけは母に何も言うことができない。
 鏡に濡れた顔の自分が映る。
 無意識のうちに口角をキュッとあげ、自分にキメ顔を決めた。
「今日は、大掃除だ・・・」
 年末の恒例行事、大掃除。
 綺麗好きな母は、普段から掃除をしているとはいえ、この日の気合いの入り方はワケが違う。
 母は片っ端から物を捨てていく断捨離魔に変貌するのだ。
 日頃仕事に忙しい母は、ここぞとばかりに家をピカピカにする。
 リフレッシュになるらしい。
 あまりにも物を捨てる母に、ヒロナは質問したことがあった。
 すると、母は澄んだ顔をして「一年の最後に家が綺麗になると、少しずつ溜まったストレスも綺麗さっぱり流れていくみたいで、また来年も頑張ろうって思えるのよ!」と答えた。
 一人で生計を立ててくれている母の頑張りを近くで見ているから、尚更かもしれない。我ら姉弟はすっかり納得してしまった。
 以来、文句はこぼすが大掃除には協力をする。
 それがヒロナ家の掟となった。
「おはよう」
 掃除機をかける母に挨拶の言葉をかけるが、騒音が邪魔をして声は届いていないようだった。
 母は私の姿を確認すると、掃除機に負けない大きさの声で「おはよう! 朝ご飯、パンにして!」と叫んだ。一旦スイッチを切ればいいのに掃除を続けるから、ヒロナも「うん!」と大声で返事をする。
「ユキトは一人で食べて、もう自分の部屋の掃除してるから! あんたも食べたら掃除始めなさい!」
「え? 何?」
「ユキトはご飯いらないって!」
「わかった!」
 まるで音楽のライブ会場みたいだ。
 ヒロナはすっかり、目が覚めた。
 
 パンをトースターに入れて、バターやジャムを冷蔵庫から取り出す。
 シンクには食べカスのついたお皿が重ねられているのが目に入った。
「うわあ、私が洗うのか・・・」
 一番最後に起きた人間が食器を洗うという、遅刻を加速させる我が家のシステムにはいささか不満だったが、仕方がない。
 食器棚を開けると、すでに食器の数枚が処分されていることに気が付いた。
 ヒロナがお祭りの景品で手に入れた、愛用のお皿までなくなっている。
「そうだった・・・。容赦ないんだった・・・」
 愛着なんて言葉は母には無縁だ。
 使用者の気持ちを考えることなんて、絶対にしない。
 だから、弟は早起きをして、守るべき物を避難させているのだろう。
 母の手が自分の部屋にまで及んでしまったら最後だ。
 服も本もノートも何もかも捨てられてしまう。
 ヒロナは急いでパンを口に放り込むことにした。

 掃除機の音が止み、今度はトイレとお風呂掃除が始まった。
 母はイヤホンをしながら英語の教材を聞いているらしく、これまた大きな声で英語を話している。
 その後、母の部屋掃除が始まると、いよいよ大掃除も大詰めだ。
 最後に母による、姉弟の部屋チェックが入り、これを無事クリアすれば大掃除は終了する。
 大掃除といっても、一日中掃除をするワケではない。
 ほとんどの場合、お昼過ぎには終わってしまう。
 ヒロナは急いで捨てる物を探した。
 母の考え方は不思議で、どれだけ部屋が片付いていても、何を捨てたのかを問われる。何も捨てなければ、家宅捜索されるようにクローゼットから机の抽斗ひきだしまで、次々にチェックが入ってしまう。
 たくさん物を捨てるほど母は満足気な表情を浮かべるが、物の大小にはこだわらない。とにかく、物を捨てることに意味があるらしい。

 ヒロナの机の上には、大量の歌詞が書かれたメモ用紙や、バンドに関係する楽譜が散乱していた。
 これだけは死守しなければいけない。
 それぞれを分類、ファイリングしていると、ふと中学時代の卒業アルバムが目に入った。
「これは流石にね」
 そう思いながらアルバムを開くと、昔の自分がそこにいた。
「音楽に出会う前の私・・・」
 ヒロナの隣で、ミウが照れた顔でピースをしている写真もある。
「音楽に出会う前のミウ・・・」
 どれだけ探しても、アキとマキコの姿は見当たらない。
「そっか、アキちゃんもマキコちゃんもいないんだ」
 高校に入ってから二人に出会ったのだから当然だ。
 しかし、ヒロナの背中には妙な違和感が走った。
 バンドとして、一緒にいる時間が長すぎたのだろう。
 みんなが同じ写真に写っていないことに、ヒロナは居心地の悪さを感じた。

 その後も、ヒロナは違和感の正体を突き止めようとアルバムを捲り続けた。意味がないと分かっているのに、卒業文集まで引っ張り出し、アキとマキコの存在を探していた。
 事実を塗り替えたいワケではない。
 でも、拭えない違和感がヒロナの胸に宿っていた。
 いつの間にか相当な時間が流れていたのだろう。
 ガチャリという音と共に、母が部屋に現れた。
「あら、学生時代に別れを告げてるの?」
 母はヒロナが思い出の品々を引っ張り出している姿に意味を与えた。
「あ、ごめん。もうこんな時間なんだ。今、片付ける」
「捨てるんでしょ?」
「ん?」
「それ」
 母が指差した先には、卒業アルバムや文集があった。
 勝手な解釈をした母は、穏やかで晴れた顔をしている。
 そして、「はい」と言いながらゴミ袋の口を開いてヒロナに差し出した。
 ヒロナは一秒の逡巡も見せず、サッと袋の中に思い出を詰め込んだ。
 拒絶しない自分がいることが不思議でならない。
 でも、背中に走った違和感はフッと消え、世界から一枚フィルターがなくなったような心持ちになった。
「はい、じゃあ、遅めのランチにしましょうか!」
 ヒロナはボーッとしながら「うん」と答え、部屋を出る前に思い出のなくなった空間をグルッと見回した。
 部屋は以前と何も変わっていなかった。
 かくして、ヒロナの大掃除は終わりを迎えた。 

 2550字2時間11分

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