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【小説】 インストール開始


 自分の頭の中に新しいアプリがインストールされる感じ。
 マキコがそう思うようになったのは、文化祭の前日のことだった。実行委員と打ち合わせを重ね、バンドリーダーのヒロナの助けを借りながら、ようやく本番のステージの全貌が見えてきた時のこと。
 「自分が主体となって世界を拓く」なんて言い方は大袈裟かもしれないけど、気分はそんな感じ。バンドでは年少の私がステージを作り上げ、自分も含めて、いかにバンドを輝かせるかを考えるようになった気がする。

 ここまでくれば、あとは本番で最高のパフォーマンスをするだけだ。ステージ照明を暗くなった体育館の片隅でマキコは静かに見守っていた。最後列のパイプ椅子から体育館全体を見渡した経験は初めてだった。
 普通の学校では揃えることができない照明が暗闇を裂き、ステージをカラフルに彩る。毎年文化祭で有志企画としてライブを行い、学校外での音楽活動や大会で評価を受けたこと。ボランティアスタッフとして手伝ってくれていた生徒の中から「エンタメに関わる仕事がしたい」と進路先を決める人が続々と現れたことで、学校が重い腰を上げてくれた。音響・照明機材を揃えてくれることになったのだ。これは間違いなく自分たちの功績といっていいだろう。
 ステージを見るマキコの目には自負心と、未来を見据える希望がのぞいていた。ゆっくりとした時間が流れている。
 これがインストール時間というやつなのかもしれない。

 これまでの自分の考えがアップデートされていく。
 結局、学級委員や生徒会などは、与えられた仕事なのかもしれない。次々に降ってくる議題や問題をどう解決に導いていくかがポイントになってくる。しかも、みんなで答えを弾き出す分、リスクや責任も分散されていく。リスクが少なくなるということは、挑戦の規模が小さくなるということだ。そして、心のどこかで「これくらいでいいや」と思うようになってしまう。
 大人になっても同じなんだろう。なるべく責任を背負わないように、それでいてプロジェクトの中心メンバーにはいたいという欲の衝突が起こる。
 きっと私は、その戦場でも勝ち抜くことができるし、トップに君臨し続けることもできるに違いない。そうやって生きてきたから。でも、それでいいのだろうか・・・。

 学校生活というアプリの中では、「正解」を出すことが最重要ポイントになっていた。しかし、バンドはそうはいかない。
 目の前で繰り広げられる照明チームの試行錯誤。とっくに帰ってもいいのに、ステージ上では音響チームとバンドメンバーが何かを話し合っている。最高のパフォーマンスを目指すために。みんな、答えがない問題に取り組んでいる。
 
 「マキコちゃん」
 声をかけられるまで、マキコは人の気配を感じなかった。反射的に背筋が伸びる。アップデート、一時停止。
 声の方向に身体を向けると、マキコの隣の椅子に、リーダーのヒロナが腰を下ろした。彼女がすべての発起人だ。彼女こそ、開拓者だと思う。

 「おつかれさまです、帰らないんですか?」
 「うん、私、この時間好きなんだよね。」
 「私も好きです」と喉元まで出掛かったが、マキコはとどまった。せっかく自分が見つけた自分だけの聖域を、簡単には共有したくなかったのだ。
 何も言わず、うんうんと頷くだけのマキコをヒロナは不思議がった。

 「まだライブは始まってもないのに、こんなことを聞くのもどうかと思うんだけどさ。今回、仕切りをやってみてどうだった?」
 マキコの頭の中でインストール・アップデートボタンが押された。自分の言葉を口に出すことで、自分も聞いて理解することがたくさんある。

 「一番は、私は今まで独りよがりだったというか、自分のことしか考えてなかったんだなって思いました。自分の意見を通すために、手を替え品を替え。あらゆる理由をつけてきたなって。他人の意見も聞かずに、自分のことだけ。でも、企画を考えたり打ち合わせを重ねていく中で、みんなの意見と自分の意見の妥協ポイントを作らなければいけなかったりして、それが凄く新鮮な感情でした。そして、自分の中で描いた設計図を100%自分で作っても、それ以上の力は発揮できないのかもなって。今、ステージを見てて思いました」
 自分の頭の中にあった考えが思いもよらない言葉になって口から飛び出した。マキコは自分でも何を喋っているのか分からなくなっていた。
 横に座るヒロナは、見つめ合うという形ではなく、マキコの目線の先をじっと見ながら話を聞いていた。

 「もしかしたら・・・、人を信じるって、そういうことなのかもしれないね・・・」
 ヒロナがポツリと言葉を落とすタイミングで、照明の色も変わった。色に応じて二人の顔が色に染まる。赤、青、黄色、緑、紫。光には境界線がなく、自然と混ざり合っていく。
 マキコは、ヒロナの言葉とステージ照明、自分の頭の中が繋がったと思った。

 しばらく沈黙が続いた。
 もう、インストールは終わってる気がする。
 

 2000字 1時間56分

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