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【小説】 かくしん。


 森口リオンが駅のホームに立っていたのは偶然なのだろか。
 彼は白いイヤホンをつけながら、通過する電車を見つめていた。車内の誰かを探すように眼を右へ左へと高速に動かしている。電車が過ぎ去ると、ため息を吐き、音もなくベンチに座った。ピアノの前に座っている時みたいな綺麗な姿勢。相変わらず髪の毛はボサボサだけど、漂わせているオーラのせいなのか、不潔な感じはしない。

 ヒロナは状況を理解できず、階段を登り切る手前で立ち尽くしてしまった。すれ違う人々が“邪魔だ”と言わんばかりに怪訝な表情を向けているが、ヒロナの瞳には彼の姿しか映っていない。
 彼はこちらを見ていた。厳密には、こちら側の何かを探していた。そして、再び電車がやってくると立ち上がり、乗り込みもせずにジッと車内を見つめている。ホームには冷たい風がヒュルリと吹いた。流石に陽が暮れてしまうと、コートは脱げない。
 電車を二本ほど見送っても、繰り返される摩訶不思議な状況に、ヒロナはある確信を持って歩を進めることにした。

 階段を登り切ると、すぐに彼と目が合った。人混みの中で自分の名前が呼ばれても、すぐに気付けるみたいな、あんな感じで。
 彼は安堵したのか、小さく息を吐き、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。イヤホンを外し、小さな口元に微笑を浮かべながら。

“やっぱりそうだ、彼は『私を』探していたのだ!”

 確信はどんどん膨らみ、次第に期待へと変わっていく。まるで待ち合わせをしていた恋人みたいに二人が寄っていく姿を、ヒロナは俯瞰で見つめているような錯覚を起こした。だから、緊張もしなかったし、胸がドキドキすることもなかった。

「バンドの人、だよね?」

 目の前の彼は少し照れた様子で、ボサボサの髪の毛の奥で眼をキョトキョトさせている。思った以上に黒目が大きく、吊り上がったような印象が溶けていく。そして、会場にいる時よりも、身体が小さい。たぶん、私と同じくらい。目線の高さが同じなんだもん。しかも、線も細いから、対峙すると女の子にも見えてくる。

「あ、うん。森口くんでしょ? ピアノの?」
「そう、チラッと喋ったよね?」

 身体が小さい人って、声が高いイメージだったけど、彼は決して高いワケではない。ちゃんと男の人の声って感じ。だから、テノール。
 二人きりで話すことなんてなかったから、自分の脳内で描いていたイメージと現実を擦り合わせるのに時間がかる。

「すれ違った時も言ったけど、バンド、すごく良かった」
「ああ、ありがとう!」
「だから、その・・・」

 彼は前髪を手ですき、恥ずかしそうな顔をした。
 どうしていいか分からず、急に私も恥ずかしくなってくる。
 何を言われるのだろうか・・・!?

「ライブに、行きたい」

 ポツポツと言葉を切って話すのは、彼のクセなのだろうか。それとも、緊張してるのか。私はポカンとしたまま頷いた。そして、「うん、ありがとう!」とだけ言う。「だから、その・・・」と戸惑う彼。
 もっと気のきいたことを言うべきだったのだろうか。会話の中にヘンな隙間がうまれたことに、ちょっと心配になる。
 電車が通過した。
 すると、森口リオンは、羞恥心を投げ捨てるかのように表情を変えた。

「連絡先、教えて欲しい」

 万歳! これを言うために何本も電車を見送り、寒いホームで待っててくれたのだろう。寒風が身体を叩いているのに、心はポカポカ暖かい。
 私は「うん、いいよ!」となるべく明るく振る舞い、携帯電話を取り出して、電話番号とメールアドレスを伝える。指は震えていたけど、彼は聞き逃すまいと、懸命に自分の携帯電話をカチカチならしていたから、バレてないと思う。

 確認のためにと、着信と空メールが送られてくる。
 ブルっと携帯電話は振動した。
 ディスプレイには、見知らぬ電話番号と、pianoという文字の入ったメールアドレスが表示された。
 よくわからないんだけど、すごく、すごく、感動した。

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