アナタのためという雨  (マキコ)

【マキコ】

 「あなたのためを思ってるの」

 心を乱してくるのは、私のことを分かった気になっている他人だ。重要なことは「分かった気になっている」という部分だと思う。「あなたのため」の裏側には「自分のため」という思いが絶対にある。
 バンドを始めて数ヶ月。素敵な先輩に出会い、自分の新しい可能性に出会うことができた。ギターを練習する。人前で演奏をする。大会に出場する。自分で歌詞を作る。経験したことがない未知なる挑戦に心が躍っていた。
 余計なことを考える暇もなく、音楽と向き合うこと、何かに没頭することの心地よさを感じていた。
 でも、親にはそれが「不良」に見えるそうだ。

 「勉強は大丈夫なの? バンドは素晴らしいかもしれないけど、お仲間は大丈夫な人たちなんだよね? 悪い人たちは集まってこない? ギターなんかやったら綺麗な指先がゴツくなるわよ?」

 うるさい。
 余計なお世話だ。
 話しかけないで欲しい。
 何も知らないくせに。

 大人は何も知らないくせにグダグダものを言う。
 知らないだけなら、百歩譲って理解ができる。
 問題は、知る気がないことだ。

 「もっと高校生らしくしたら? せっかくの夏休みなんだから、ショッピングに行ったり、プールに行ったり、ディズニーランドとか旅行に行ったり。受験勉強が始まったら、どちみち何もできなくなるんだから」

 全て分かっているし、考えた結果、今の道を進んでいる。
 高校生らしいってなんだ。受験勉強が始まったら何もできなくなるなんて、誰が決めたんだ。心の中に墨のような感情がボタボタと音を立てながら落ちていく。白い世界が濁っていく。

 数秒前までは「勉強は大丈夫なの?」と言っていたのに、その後に「高校生らしく遊んできたら?」と言う。ただ言いたいだけ。私にかまって欲しいだけ。

 言葉を使うことが、もっと難しかったらよかったのに。

 母は自分の知っている世界だけで物事を判断する。そして、“善意”を振りかざせば何を言ってもいいと思っているのだろう。
 私の気持ちなんて、どうでもいいのだ。粗探しをするように、私の生活についてイチャモンをつけてくる。
 こんなものは愛情ではない。重度なクレーマーだ。

 「めんどくさいよね? ごめんね、あなたのためを思って・・・」

 うん。面倒くさい。放って置いて。
 心の中で叫ぶが、声にはしない。
 どんな未来になるかが分かるから。
 少し想像すれば分かるから。
 母を傷つけてしまうことが分かっているからだ。
 結局、母とは一言も会話することなく玄関を飛び出した。
 これから一日が始まるというのに心がザワザワする。
 先輩たちと練習する厳しくも楽しい時間が待っているはずなのに。つい母の言葉が頭に響いてしまう。

 「お仲間は大丈夫な人たちなんだよね?」
 大丈夫に決まっている。音楽祭で母も見ただろう? 何を心配しているのだ。
 心の中で強く呟くと同時に、確かに先輩たちの詳しい生い立ちなどは知らないことに気付いた。家族がどんな仕事をしているのか、家族構成も特には知らない。「大丈夫な人たち」が何を意味しているのか分からなくなった。
 妙な不安感に襲われる。まるで意味のない不安感に。

 母の言葉をシャットアウトしたい。本当にやめてほしい。
 イライラが積もり、歩くペースも早くなっていく。
 電車に揺られても、人とすれ違っても、よどんだ気持ちは収まらなかった。 

 どうして苛立っているのかを考えた。
 母は知らないことを嫌い、過剰に怖がった。不安感を煽り、やる気を削ぐことで自分の思い通りにしようとする。正しいことばかり押し付け、現実に目を向けない。
 勉強してもテストの点数が上がらないことだってあるのに。
 恋愛に正しいも間違っているもないのに。

 私の人生は母のモノではない。

 挑戦の邪魔をしないでよ。

 どんな気持ちなのか分からないが、涙が頬を伝った。すぐに拭ったが、止めどなく涙が溢れてくる。身体が熱くなり、心拍数も上がっている。
 私は走っていた。
 風を切るように過ぎ去っていく風景に、黒い感情も一緒に流してしまいたかった。

 「マキコちゃん!」

 天から聞こえたような透き通った声に、思わず立ち止まった。
 胸が上下し、身体中から汗が吹き出している。涙と汗で身体はベタベタだ。
 振り返ると、アキさんが手を振って近付いてきた。
 私の顔を見て少しだけ目を大きくしたが、すぐに微笑み「い、い、一緒に行こうよ」と言った。

 私は何も言わずに頷いて、アキさんの横を歩いた。
 
 アキさんは、それが当たり前だというように静かに歩いている。余計なことを聞いてくることもない。ただ、時が来るのを待っているようだ。
 通り過ぎる家々や木々に目を移しながら、綺麗な鼻歌を歌っている。どこかで聞いたことのある歌だ。
 少しずつ息が整い、アキさんの鼻歌に耳を澄ませながら歩いていると、心の中の墨が薄れていくのが分かった。灰色になり、白に近づいていく。

 アキさんの頭の中になんの曲が流れていたのかは分からないが、一言だけその歌の歌詞を口ずさんだ。

 「ガンバレ」

 大きく深呼吸をする。
 遠くの雲が暗くなっているのが見える。
 晴れが続いたが、そろそろ雨が降るのかもしれない。

 「アキさん、あの・・・」

 初めて、心の傘を開いてみた。


 2時間2分 2100字
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?