分からないことだらけ  (マキコ)

【マキコ】

 私の話が終わる前にヒロナさんの家に着いてしまった。ただ、一方的に話を聞いてもらうという状況に少しの気持ち悪さを感じる。アキさんの意見を聞きたい。もっと、話す時間が欲しい。
 呼び鈴を鳴らすと、家の中からドタドタと音が聞こえてから玄関が開いた。ヒロナさんは顔が見えると同時に「どうぞ!」という声をかけた。

 「ちょ、ちょっと、2人で公園行ってくるね。れ、練習して待ってて!」

 アキさんは懇願するように、まっすぐと言葉を伝えた。ヒロナさんはキョトンとしてしていたが、アキさんと目で何かを語り合うと、すぐに「うん、分かった。じゃ、あとでね!」と扉を閉めた。

 「ありがとう! ・・・じゃ、行こっか!」

 野暮なことなんて言わない。状況と空気から察することができる。こんなにカッコよくて素敵な人たちなのに。どうして、母は分かってくれないのだろうか・・・。
 白くなりかけていた心の中が再び濁りだした。

 一度途切れた会話を再び始めるのは気恥ずかしさがあり、公園に着くまでは何も喋れなかった。アキさんは何度もこの辺りに来ているのだろう。スイスイと目的地まで歩みを進めた。

 「こ、この公園でヒロナちゃんとミウちゃんは、よ、よ、よく遊んでたんだって」

 踏切を越えるとすぐに大きな公園が見えてきた。「まつ公園」と看板には書いてある。住宅街の中にあるが、滑り台が一つしかないような小さな公園とは違い、ボール使用が可能な広場や、遊具がいくつもある立派な公園だ。
 私たちは砂場近くにある松の木の下のベンチに腰掛けた。

 「な、なんか羨ましいよね。ふ、ふた、二人の関係が」

 話し出さない私の代わりに、アキさんがボンヤリと語り出した。
 羨ましいという言葉とは裏腹に、表情はとても穏やかで幸福感に満ちている。
 砂場で遊んでいる子どもたちを、ヒロナさんとミウさんに見立てているのだろう。じっと子どもたちを見つめたまま話を続けた。

 「わ、わた、私は上手く喋れないから。う、う、歌しか友達になってくれなかったの」
 
 ドキリとした。出会った時から決して触れてはいけないことのような気がしていた、アキさんの吃音について。本人は平然と語っているが、なんとなくムズムズしてしまう。

 「だから、あ、あの、あの子たちが遊ぶように、私は音楽と遊んでた。そ、そ、そこ、そこに、みんなが参加してくれて、ほ、ほ、ほ、本当に本当に嬉しいの」

 子どもたちが泥だらけになりながら笑っている。確かに自分も小さい頃は近所の子達と砂場で遊んでいた記憶がある。砂で遊ぶことの何が面白かったのだろう。いつの間にか、失われていっている感情があるのかもしれない。

 「あの、ご両親は音楽をすることをどう思ってるんですか?」

 人生で初めて「ご両親」という大人っぽい言葉を使った。壁を作るワケではない。そこにはアキさんに対する心からの敬意があった。

 「うーん・・・。わ、わ、分からない・・・かな?」

 意外な答え。全力で応援されていてもおかしくないのに。音楽の才能に恵まれているのに。

 「これはね、お、おと、お父さんが死んじゃってから思ったことなんだけど・・・」

 え。アキさんのお父さんは死んじゃってるの?
 あまりにも普通に話を始めたが、聞いているこちらの頭はパニックになっていた。全身に鳥肌が立っている。
 砂場の子どもたちが急に喧嘩を始めて泣き声が響く。するとお父さんが近付いてきて、仲裁に入った。アキさんはそんな光景を見て笑いながら何かを言っていたが、言葉がまるで耳に入ってこなかった。
 そして、フとこちらを見ると、アキさんは、まるで目の前にお父さんがいるかのような照れた顔をした。
 急に言葉が鮮明に入ってくる。

 「やっぱり・・・ひ、ひ、人が何を考えているかなんて分からないんだと思う」

  モジモジしながらゆっくりと話す姿がとても愛おしい。

 「い。い、いくらお父さんのことを考えても、天国のお父さんは何も言ってくれないの。す、す、すご、すごく当たり前のことを言ってるかもしれないんけど・・・」

 学校で起こったことを親に話している子どものように、記憶をどこかに飛ばしながら、目をキラキラさせている。
 とても悲しい話をしているとは思えない。

 「で、で、でも、これって、し、しん、死んじゃったからとか、そういう話でもない気がするんだ」

 アキさんはとても丁寧に、ゆっくりと話を聞かせてくれた。
 前向きで大人な話を聞いている気がした。
 今までみたことない表情で。
 
 子どもの泣き声が収まったと思ったら、セミの声が大きくなった。すぐ後ろの松の木に止まったのだろう。あまりの声の近さに私もアキさんも思わずビックリして固まってしまった。

 セミが可愛いと思っていた頃もあった。
 母のことが大好きだと思っていた頃もあった。
 大人になるほど分からないことが増えていくのかもしれない。

 言葉にできないような感情について。自分について。

 セミは私たちの会話なんて関係ないように大声で分からない言葉を叫んでいる。
 アキさんと目を合わせると、クスクスと笑っていた。
 急に立ち上がることも怖くてできない。セミの方を向くこともできない。
 どうすることもできない状況に、よく分からない笑いが込み上げてきた。

 笑いを必死に抑えながら、ただ、静かにセミが飛び去るのを待っていた。
 
 1時間52分 2150字

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