母の教育 (マキコ)
【マキコ】
「あなたは女なんだから、自分を大切にしなさい。そのためにも、強くなりなさい」
小さい頃から、そう言われてきた。だから疑うことなく従ってきた。テレビやゲームはもちろんダメだし、食べ物も欲しいものも、門限も制限され、何かをする時は必ず母の許可が必要だった。唯一、許可が必要なかったのは読書だけ。
他所の家の教育は分からないから、みんなも自分と同じように家では厳しいルールの中で生活しているのだとばかり思っていた。
だから、保育園に行くことや学校に行くことが楽しくてしょうがなかった。ここでは母の領域から逃れることができる。テレビやゲームを知らないから、かけっこ、砂遊びに水遊び。積極的に友達に遊びを提案して、男女関係なく、アグレッシブに今できる精一杯を味わおうとしてきた。
ドロドロで帰ってくる私を母は叱らずに、むしろ嬉しそうな顔をして出迎えた。逆に、綺麗な格好で帰宅し、友達の家でゲームをしたとか、甘いお菓子を食べたと言うと、怒りの鉄槌が降り、ベランダに放り出されたり、大好きな本を捨てられたりした。
遊びが悪いわけではなく、遊びの内容について、母なりのルールがあるらしい。最初の頃は理不尽な怒りに泣き叫ぶことしかできなかったが、大人になるにつれて良し悪しの基準は分かってくると、頭を使うようになった。
自分が遊びに参加してはいけないならば、自分が遊びを作ってしまえばいい。小学校にもなると、おままごと遊びでは誰もついてきてくれないから、問題が必要だった。なぞなぞを解くような何かが。
だから、問題を作って誰かに解かせるという遊びをするようになった。そこに自分も参加すれば、誰にも文句を言われない遊びが完成した。
学校行事に積極的に参加して、『消極的な人をいかに巻き込んでいくか』を考えたり、ボランティア活動をして『ゴミと環境とホームレス問題』について先生に投げかけたり、『学校として飼育している動物や植物の管理』についての問題を提起したり。問題をわざと作って、それを解く作業を楽しんだ。
先生含め、ほとんどの人は私を慕ってくれて、褒められることが多くなった。
一部の子たちからは「真面目」とか「完璧主義」などの声が聞こえてくるようになったが、それしか遊ぶ方法がないからしょうがないと思っていた。
「あなたは、女の中でも恵まれているの。それは自覚しておきなさいね」
遊びについての対処法を見つけると、次は容姿についてのルールまで課せられるようになっていった。日の当たる場所に行く時は、日焼け止めが必須になり、化粧はもちろん禁止。服装などにもチェックが入るようになり、スカートが短いのはもちろん、肌が見えるような服も禁止になった。
小学校高学年の時、誰かのお母さんが「マキコちゃんは可愛い可愛い一人娘なんだからしょうがないよ」と言っているのが聞こえて、変な気持ちになったのを覚えている。私の母に向けられた言葉なのか、それとも私に向けられた言葉なのか。なんとなく怖くなって、声の方向を見ることはできなかった。
しかし、母のルールを守っているだけで、先生や友達からの信頼を得ることができれば、男の子から告白されることも増えていき、それが自信に繋がったことも事実だ。
他の子と比べて身長も高くなり、人から視線を感じることも多くなった。芸能界からスカウトされたり、友達からも「モデルになった方がいい」と言われることもあり、自分と他人の違いについて考えることが増えた。そして、自分の振る舞いについて意識するようになった。
「目標を持って進みなさい。夢を持って生きなさい」
次から次へと母は難題を課してきた。
中でも「夢を持つ」という課題には苦戦した。
問題を解くこと、作ることばかりで、夢を追うという漠然とした課題に、どう立ち向かっていいか分からない。
そこまで言及してくるワケではなかったが、無言の圧力を感じていた。
「フフッ。バンドなんて、不良がするものよ」
やっと、見つけた夢だったのに。
夢を鼻で笑われた。
知らないくせに。
だから、無視するようになった。
門限を破っても。
何を言われても・・・。
だから、文化祭にだって来るワケないと思っていた。
それなのに、どうして客席の一番前に母がいるのだろう。
見定めてやると言わんばかりの存在感で、静かに座っている。
拭いても拭いても、手に汗が滲んでくる。
私は、どうしようもなく、緊張していた。
1時間11分 1800字
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?