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【小説】 ザワザワ


 始まる前の客席の空気が好き。
 観客一人一人が、まるで関係のない話をしているから。
 ある者は、昨日見た映画の批評をしたり、ある者は、本を読んだり。はたまた何もしないで、ただ演目を待つという人もいる。多様な個人活動が積み重なると、“ザワザワ”という音になるのが面白い。
 
 「ああ、初心取り戻したいなあ」

 またヒロナが変なことを言い出した。ライブの直前だというのに。このモードに入ったということは、みんなに何かを伝えようとしている合図だ。彼女と10年以上一緒にいるから分かる。
 私はリアクションしないが、マキコあたりが素直に言葉を受け止めてくれるだろう。

 「え、初心無くなっちゃったんですか?」

 ほらね。ビンゴ。ヒロナの思い通り。
 マキコはとても頭がいい。自分の美しい容姿を理解し、どう振る舞うべきかを瞬時に判断できる。人の行動心理みたいなものを分析し、最適解を弾き出し、完璧な行動ができてしまう。
 それなのに。まんまと、ヒロナの餌には引っかかる。たぶん、バンドで活動している時が、心の休息になっているのだろう。どんどん、ピュア度が増している。

 「無くなっちゃったねえ。少なくとも『緊張! ドキドキ!』ってのはないよね」

 「それ前も言ってなかったっけ?」

 「あれ、そうだっけ?」

 ちょっと意地悪をしてみた。実際、ライブハウスでの対バンライブが増えてきたときに、ヒロナは同じことを言っていたから。言い方は違かったかもしれないけど。もう、言いたいことは分かったから。

 「え、なんで緊張しないんですか?」

 マキコが話を戻す。ナイスフォロー。
 もしかしたら、この子は全部分かった上で聞いてるのかもしれない。

 「うん! もうさ、ワクワクしかしない。何が起こるんだろうなって。今日なんて、ダンス部と一緒なんだよ? 面白くない? みんなのパフォーマンスが完璧であって欲しいし、どんなハプニングが起きても楽しみたい」

 「わ、わ、私も、そ、そう思う!」

 今度はアキが話に乗っかった。この流れもよくある光景だが、アキは純粋に答えただけだと思う。何度同じ話をしても、自分の気持ちに素直に反応できるのがアキのすごいところ。私みたいに「その話聞いたわ」とはならない。

 「私も同じ気持ちなんだけどさ、じゃあ、緊張ってなんだと思うの?」

 また小さな意地悪をしてみた。話の趣向が変わるかもしれない。

 「ねえ、それ、前にミウ自身が言ってたことじゃん。自分で言って忘れたの?」

 ヒロナはニヤニヤした目をした。明らかに私をバカにしている。ムカつく。自分だって同じ話をしてるくせに。

 「は? なに? じゃあ、言ってみて!」

 「私、けっこう感動してたんだから。ミウすごいなって思ったんだから!」

 「はいはい。どうぞ!」

 「えっとね、緊張は期待に応えようとしてる証拠なの。親の期待に応えたいとか。観客の期待に応えたいとか。阿南さんの期待に応えたいとかね。そういう気持ちがあるから緊張してしまうって話」

 そうそう。その通りだと思う。
 いや、これは私が言ったこと。
 でも、こんなにハッキリ覚えてくれていたなんて・・・。
 たぶん、一回くらいしか言ったことがない話なのに。

 「でも、それって、優しいってことでもあると思うんだよね。あとは真面目だってこと。それは、とても大切なことで、やっぱりその気持ちがないとダメなんだよ」

 なるほど。確かにそうかもしれない。
 私の思考は、その前の時点で止まっていた。

 「私が言う『緊張しない』の中に、それらの気持ちを忘れるって意味は含まれていないの。むしろ、本当はその逆。真面目だし緊張しちゃうから、楽しいことで頭をいっぱいにさせるの。『どんなことが起きるんだろう』って、ワクワクすればいいんだって」

 面白い。自分の話が、こんな解釈で受け止められているなんて。
 
 「前に、マキコちゃんがギターの弦を切ったときみたいに。誰も想定していないことが起こるのかなって思う。そのときに今度はちゃんと対応できるのかな、とかね。まあ、そうやって紛らせているのかもしれないけど。最近は、そっちの気持ちの方が緊張より勝ってきてるんだよね」

 そっか。私の話とも繋がるのかもしれない。
 誰かの期待に応えたい気持ちは分かるけど、それでは自分と大衆だけの関係になってしまう。だから、まずは私たちがお互いに期待し合って、お互いが応えればいい。もっと個人間の期待に変えてしまうという考えにも通ずる。
 ヒロナは、私たちの演奏によって何かが起こることを期待しているんだと思う。

 「・・・なるほどね」

 「いやいやいや! これ、ミウが教えてくれたの!」

 「な、な、ななんか、面白い! ま、ま、前にミウちゃんが言ってたこととも、少し違う気がする!」

 やっぱりアキも覚えてくれていた。
 ヒロナもアキも、結局、話をちゃんと聞いて、理解しようとする姿勢が常にあるから好き。

 「なんか思い出してきました」

 これは完全にマキコの天然。
 いや、バンドに対する甘えた部分。

 「え、なんか、ミウさんが言ってたことって・・・」

 今度はマキコの持論が展開されていく。
 会場はザワザワしているが、私たちも舞台袖でザワザワしていた。
 反対側の袖を見ると、ダンス部の可愛い衣装を身にまとったメンバーも、お互いに何かを話してザワザワしているみたい。

 本番前の客席が好き。
 いや、ザワザワが好き。 

 2200字 1時間23分

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