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【小説】 三重奏、トリオ。


 ライブが終わってから、誰もアキちゃんに話しかけることは出来なかった。これまで通り「お疲れ」とか「楽しかったねえ」とか言うだけ。だってそうだよね。アキちゃんは、いつも通りに歌っただけなんだから。なにか新しいことをしたワケでもないし、誰かに迷惑をかけたワケでもない。ただ、これまでとはナニカが違うパフォーマンスだった。誰も太刀打ち出来ない、巨大な存在感を放っていた。同じステージに立っていた私たちだけが分かること。こちらが恐ろしくなるほど、底知れぬエネルギーだった。
 一番影響を受けていたのは、ツインボーカルの相方であるマキコちゃんだ。ライブが終わると、血の気が引いたような顔をしていた。それは挫折といった類のモノではなく、山道で熊に遭遇したような、恐怖にも近い表情だった。でも、彼女を励ますのも違うし、変にアキちゃんを讃えるのも違う気がする。だから、妙な空気が流れていたんだ。

「谷山さん、今日、なにか変えた? 圧倒的だったね!」

 アニメの世界みたいに、耳がピクンと動いたと思う。楽屋で汗を拭っていると、廊下から阿南さんの声がした。誰も口に出せなかったことを、客席の音響ブースから見守っていたマネージャーは、平気で口にしている。ザワっと効果音でも聞こえるみたいに、私は楽屋に居合わせたマキコちゃんと目が合った。

「曲の解釈が変わったというか、新たな面を見せてもらえたよ。まさか、ツアーの最終局面で、こんな進化が起こるなんて思ってもみなかったなぁ」

 私たちの気も知らないで、興奮気味に阿南さんは語っている。いつもは敬語が多めなのに、父親みたいな話し方になっている。たぶん、理性がぶっ飛んでるんだろうな。いつも側で支えてくれているからこそ、阿南さんも気付いてしまったんだろう。

「いやいや、おかげで確信したよ。このバンドは間違いなく、もっと上にいく! もっと上にいかないといけないんだって!」

 アキちゃんはどんな反応をしたんだろうか。どれだけ耳をそば立てても、リアクションは聞こえてこない。聞こえてくるのは「うんうん」とか「そんなことないさ」とか、阿南さんの声だけだった。
 マキコちゃんは下唇を噛み、目をキョトキョト動かしていた。涙こそ浮かべていないが、いつ溢れてきてもおかしくなかった。胸の奥が、チクリと痛む。

 タクシーの中は、静かだった。
 見たことあるような、でも、見知らぬ景色が流れていく。屋台に群がる人、手を繋ぐカップル、髪に剃り込みが入った、いかにもヤンチャそうな若者達。
 カチカチとウィンカーの音が車内に響く。隣に座るアキちゃんは、なにを考えているのか、虚で眠そうな目を外に向けている。私は、運転手さんの後頭部を見ながら、ぼーっと思考をぐるぐる回す。時間がゆったり進んでいる気がした。

「ごめんね」

 夢か現実か分からなかった。
 いつの間にか、ウトウトしていたんだと思う。
 声の方向を見ると、アキちゃんは窓の外を眺めたまま、唇を震わせていた。
 どうして、謝るの?
 今日のライブのこと?
 アキちゃんは悪いこと、なにもしてないよ?
 私は、ボンヤリした頭の中だけで喋っていた。

「わたし、リオンくんのことが好きなのかも知れない」

 淀みのない、澄んだ声でアキちゃんは言った。
 どこかで聞いたことのある言葉だった。
 急に心臓がドキドキしてきて、世界の輪郭がハッキリと視界に入ってくる。運転手さんには聞こえているのかな。もうすぐホテルに着くのかな。リオンくんって、私が好きだったリオンくんだよね。あ、私と被ったってことか。だから謝ったのか。お腹すいた。なんか、疲れた。シャワー浴びたい。なんて返事すればいいのかな。アキちゃん、最近、吃らなくなったよな。
 毛穴が呼吸してるのがわかる。それくらい、身体が敏感になっていた。でも、どうしても言葉は出てこなくて、私は黙ることしかできなかった。

「まだ、好きって気持ちが分かってないんだけど・・・、たぶん」

 ザラっとホワイトノイズみたいに、アキちゃんの声が掠れて聞こえる。
 そして、記憶の底から同じ言葉が重なった。
 私の声。そして、リオンくんの声。
 その上にアキちゃんの声。
 三重奏。トリオ。

「うん」

 私は、やけに落ち着いた声を出していた。


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