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【小説】 郷に入ってはなんとやら


 中草コウシはほんのり顔を桃色に染めていた。
 お酒の力もあるが、それだけが染料になっているワケではない。自分の部屋で恋人と過ごす時間が、何よりも幸せだという表情をしている。

 「緒方は、ルールってなんのためにあると思う?」

 緒方ミウは、ベッドの上に寝転び、両手を頬に当てながら彼の話を熱心に聞いていた。膝を曲げ足をぷらぷらさせているから、態勢は可愛らしいが、眉間に皺を寄せ目を左右に動かしている表情は険しく見える。純粋に思考しているだけなのに。この表情がクールとか恐いと言われてしまう所以だ。

 「え、なんだろう。秩序を守るため・・・? かな」

 表情とは裏腹にミウの声音は明るかった。未成年なのに中草がお酒を飲んでいることに、小さな嫌悪を抱いたことが話の発端だったが、そんなことよりも中草が出す難問を考えることが好きだった。

 「ああ、確かにそうよね! あとは?」

 中草は解けない問題を考えるのが好きだった。それはミウも同じだ。ミウはさ
らに険しい表情になり「うーん」と唸った。

「制限がある方が人は楽しめるから・・・かな? 子どもと遊ぶときは、ルールを決めてあげた方が楽しめるって聞いたことあるんだよね」

 ミウは中草と付き合うようになり、思考が深くなるようになった。
 思考回路がかわったといっても過言ではない。彼氏に染まったという言い方をするとネガティブな印象を持たれることが多いが、柔軟な思考の持ち主とも言える。ミウは親友のヒロナからも「ミウは考えが柔らかい」と言われていることもあり、変化していくことに疑問も躊躇もない。中草は、そんな彼女に惹かれていた。

 「うわ、面白いなあ! よく話題にもあがるけど、『不自由の中にこそ自由がある』ってやつだよね。そうか・・・。ルールを作ることによって、わざと不自由を作っているのか。・・・そうだね。そうなのかもしれない。なんか、すごく納得した! うん、そうだよね」

 彼は一人で思考や言葉を循環させていた。何度も何度も。自分に言い聞かせているように。きっと彼の中にも考えはあったはず。でも、それを口に出すことはなかった。ミウは何も言わない彼をぼんやりと見つめていた。
 思考する彼の横顔を見るのが好き。人は内面が勝負という考えもあるけど、容姿にも好きなポイントがあると好きという軸がぶれない気がする。
 心も容姿も衰えていくだろう。優しかった人が結婚を機に人が変わるという話も聞く。きっと心が衰えてしまったのだと思う。見た目だってそうだ。どれだけ努力をしても、老化を止めることはできない。でも、脂肪やシワがつくとはいえ、横顔のラインに大きな変化はないだろう。
 ミウは彼の横顔が好きになれたことを心から喜んだ。

 「ねえ、なんでルールの話を聞いたの?」

 何も言わない彼に代わって、ミウが口を開いた。すっかり眉間からはシワが消えている。

 「ん? えっとね。ルールって、場所によって変わるってことがあるよなあって思ったからさ。人を殺してはいけないってのがルールがあっても、戦地に行ったら通用しなくなるし。家に上がるときは靴を脱ぐけど、外国人の家に行ったら脱がなくていいじゃない? なんか、ルールって制服に近いのかなって。学校にいる時は着ないといけないけど、学校の外に出たら着なくてもいい。みたいな? 伝わるかな?」

 中草は懸命に思考し、ミウに気持ちを伝えようと思ったが、そう簡単には人と意識を共有するのは難しい。

 「うーんと、制服の話から分かんなくなっちゃった」

 言うべきかを悩んだ挙句、彼は意を決したように語り出した。

 「ボクたちは、たぶん、色々な制服を持っていて、行く場所によって着る服を変えてるんだよね。“郷に入っては郷に従え”なんてことわざがあるように。そう考えた時に、お酒は二十歳からっていうルールも、『公共の場』では適応されるってことの方がいいんじゃないのかなって。実際、海外では年齢設定は国によって違うワケだしね。そもそも、嗜好品なんだから、それを楽しみかどうかは家庭によって、教育によって違いがあって然るべきだと思うし。とはいえ、ほとんどの人は『公共の場』って考えを理解できないのもわかるし。だから、さっきの緒方の話にはすごく感動しちゃったんだよ。まあ、ボクは、自分の家の中では、飲んでもいいのかなって思ってるんだけどね」

 「そういう話か! なんだ! 自分がお酒を飲むための言い訳じゃん。もっと、真面目な話だと思ったのに!」

 中草は「バレた?」と言いながら、コップに残ったビールを飲み干した。茶目っ気たっぷりの顔をして。
 しかし、彼の言いたいことも理解できないワケではない。純粋にそう思えた。公共なんて曖昧な言葉を使ってしまったら、曲解されてしまう。だから、ハッキリした数字が必要になるのかもしれない。1+1=2 という方程式は絶対に崩れないように。
 彼の喉を音を立てながら流れるお酒に少しだけ魅力を感じてしまった。
 真面目だと思っていた彼を突き動かす、お酒の力とは一体どれほどのものなのだろうか・・・。
 ミウの喉がゴクリと音を立てた。

 「あれ? もしかして、緒方も飲みたい?」

 この日、ミウは初めてお酒を飲んだ。
 “郷に入っては郷に従え”だもんね。

 2100字1時間36分

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