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20代後半で医学部受験を決めた経緯(続)

前回の記事の続きです。

家族の病気をきっかけに医師を目指した。
そんな話はそこらじゅうに溢れていて、SNSにも「だから医師を目指す、絶対合格する」と書いていて永遠に合格しない人がごまんといる(失礼だけどこれ本当)。

おじいちゃんが、おばあちゃんが、父が、病気になった、だから医師を目指す。
治療にあたってくれた医師に感謝と憧れの気持ちを抱いた。
よくある話です。医学部入試の願書に書く人は多そうです。

私も、さわりだけ読んでいただくと、そんな数多いる中の一人ですが、
私個人としては、「絶対に医師にならねばならない」という神からの啓示のような使命感を勝手に感じたのです。
だから、諦めるという選択肢は最初からなかったし、
学力でも学費でも困難な壁に当たり、やっぱ無理だろ、と思った時も、
「いや、必ず道はあるはず、針の穴は極小かもしれないが、空いてないわけではない、どんなに小さくてもその針の穴に必ず自分が通る」と信じ込んでいました。

病気になった私の家族は(詳細を書くと身バレしそうなのであえて伏せます)、
命の危険がすぐそこに迫っている状態でした。
もし手術をして助かったとしても、一生後遺症が残るかもしれない、寝たきりの状態になるかもしれないことは言われていました。
そうなれば、私が仕事を辞めて、家庭内で介護をすることになるだろうと想定していました。大好きだった仕事を辞め、昼夜問わず呼吸器やモニターのアラーム音を気にしながら介護していく人生が、20代から長く続くだろうと想像されました。
他の家族も、当然その役割は私だろうと、誰も口にしませんでしたが家族親族内で
沈黙の同意がありました。私は、私が生きることで大切な家族が生かされるなら、喜んでその役割を引き受けようと思っていました。
 ところが、私の家族の場合、その疾患の中で最重症だと言われていたにも関わらず、手術は成功し、数ヶ月はモニターや呼吸器を自宅で装着していたもののその後全て外すことができ、全くもって普通の健常者と同じく社会に出ることができました。想定されていた私の介護生活はなくなり、これまで同様に仕事復帰できたのです。
 私はその喜びを噛み締めると共に、不思議な違和感を持ちました。
私はこれまで通りの仕事に戻って良いのだろうか、と。

「何事もなかったかのように、家族も私も通常の生活に戻った。これは全て医療のおかげだ。壮絶な数カ月を経て、闘病生活とはどういうものか、治療にあたる医師の姿を見て、知らない世界を見た。もう私は、前の自分とは違う人間になった気がする。
 今こうして普通の生活に戻れたのは、神様からのギフトなのではないだろうか。20代後半からの数十年を、昼夜問わず家族の介護だけで過ごすと覚悟していた私に、もう一度社会に出て良い、一人で外出しても良いし、自由に過ごして良い時間が与えられた。ならば今こそ、この時間を最大限活用して、何かにチャレンジすべきなのではないだろうか。
 病気のことを調べて、あんなに論文を読んだ。もっと知りたいと思った。こんな治療法があるならこれをやっている先生に会ってみたい。その気持ちに今こそ素直に従う時なんじゃないか。」

 こうして、決めたんです。医学部に行って、学んで、医師になることを。
これは神様が私にくれたギフトだと思いました。人生の自由時間をもう一度与えてくれたことと、チャレンジする機会を与えてくれた。挑戦しない理由が見つかりませんでした。医学部受験をするのは、私にとって必然でした。

しかし、ここからが苦難の始まりです(続く)

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