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推しバンドが2年ぶりに活動再開した話ーー宝石箱を再び開けて

大好きだったバンドが活動を再開した。彼等が活動を休止したのは、今から2年近く前だったろうか。


僕が彼等の存在を知った時、彼等はとても若かった。僕も今よりずっと子供だったわけだが、彼等は更に若く、楽曲の作詞作曲のすべてを担っているボーカルの彼は高校生だった。信じられない程に成熟した言語センスと歌声、それに相反するような瑞々しい感性、若手バンドらしい粗削りな演奏にそれを“美徳”と感じさせられるだけの真摯さで年々進化していくテクニック。ヒット曲が出たことで「若き天才」「10代に大人気!!」みたいなよくある売り文句で朝の情報番組に出たり音楽番組に出たりもしたが、そのバブルに溺れないだけの地に足の着いた(程よく浮足立った)覚悟がメンバーみんなに感じられる、素晴らしいミュージシャン達の集まったバンドだった。

活動休止の理由も、至極前向きなものだった。そりゃ、ブレイクと言っていい程の活躍を遂げたことでメンバー間に軋轢がなかったとはいちリスナーである僕には断言しようがないが、少なくともそういう巷の皆さんが好きそうな理由からのアレではないようだった。簡単に言えば武者修行のような、更なる活躍のための充電期間のようなもので、喩えるならば流行りのKPOPアイドルが“カムバック”の前に暫く前線から去る、みたいな感覚だったのかもしれない。

だから当時僕は純粋にワクワクしていた。こんなに期待と希望に満ちた活動休止宣言が未だかつてあっただろうか、とすら思う。そりゃ反語も使いたくなる。淋しくはなるが、好きなミュージシャンは彼等だけではない。他の大好きな音楽を聴きながら、時々彼等の音楽も聴き直しながら、ゆっくり待てばいいのだ。

僕にとっては好きなミュージシャンや音楽は宝石箱に並べた宝石のようなもので、彼等のように活動休止に入ってしまったミュージシャンや一時的に少し心が離れてしまったミュージシャンなんかは宝石箱の奥にそっと仕舞い込んで、また“時”が来たらそこから取り出してその輝きを眺める、みたいな生活をしている。僕はその時、彼らの存在をそっと宝石箱の底に隠し、また取り出して眺める日を楽しみにしていた。

彼等が表舞台から姿を消してからも、彼等の音楽は支持され続け、数字はぐんぐん伸びた。それ自体は当たり前のことなのだが――僕もその一旦に日々貢献していたわけだし――、その“ぐんぐん”具合が想像していた以上に尋常じゃなかった。そしてその数字に貢献したひとびとの何割かは多分、活動中の彼等の事をそれ程よくは知らない、僕よりも彼等よりもずーっと若い少年少女達だった。端的に身も蓋も無い言い方で言うと、恋リアとかTikTokとかが好きそうな、なんか陽キャっぽい感じの若者達だ。

美しく深い孤独や恐ろしいまでの全能感――ある意味での厨二病性――と、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさが奇跡的なバランスで共存しているのが彼等の楽曲の一番の魅力だった、と僕は思っている。これもあくまでも僕の個人的な主観による感想でしかないのだけれど、彼等の曲はどんなに楽しくても、どんなに陽気でもポップでも、“陽キャの若者の夏の定番曲”にはなりえないはずだった。古参の恨み言だと一笑に伏したいならそれでも結構だ。寧ろ陽キャの皆さんに好かれるのは正直嬉しいぐらいなのだが、彼等をよく知らない、そして本来的には彼等のような音楽に救われる可能性のあるひとたちに“そういうバンド”なのだと先入観を持たれてしまいかねないその勢いに、勝手に気後れしていた。

そんな中でも、公式から時々SNSなどで気まぐれに発せられる“帰還”の予告は嬉しかった。新曲が出て、MVが出て、その時最新の彼等の姿を目にすることが出来て、テレビで見かけたり、ライブに行ったり……そんな機会さえあれば、僕はずっと彼等のことを好きでいられるだろうと思っていた。


しかし、

その“きっかけ”は訪れてしまった。

メンバーの脱退である。

しかも、5人組である彼等のうちのふたりもだ。ブレイクするずっと前から、唯一無二の音でバンドを支えてくれていたドラマーとベーシストが、“帰還”の時を前にして脱退してしまったのだ。最年長の包容力と親しみやすさでメンバーどころかファンまで包み込んでくれていたベーシストと、優しく力強い音がそのまま人柄となったような懐っこさと面倒見の良さを持った可憐なドラマー。あまりに急な発表だったから、きっと今でも受け止め切れていないというファンも少なくないだろうし、僕もまた、そのひとりだ。

これをきっかけに、僕は決定的に怖くなってしまった。彼等の“帰還”が。
果たして本当に、心底喜ぶことが出来るのだろうか、と。

唯一の慰めだったのがボーカルのソロデビューだった。もともとソロボーカリストを志していた時期もあった彼としては至極当然のこととして、バンド復帰の前の試運転のようにソロ楽曲をリリースし、テレビに出たりもしてくれていた。バンドのテイストを確かに感じさせながらも確実に持ち味は違っているその楽曲は純粋に楽しく美しく、暫く僕達の前から姿を消していたにもかかわらず歌声もヴィジュアルも最高峰をキープしてくれていたプロ意識に感服した。

しかし、KPOPアイドルかはたまたヴィジュアル系ミュージシャンさながらに美しくヘアメイクをセットし、ファッショナブルな衣装をヒラヒラとはためかせながら華麗に舞い、歌う彼をテレビ越しに見つめながらも、僕は依然として複雑な感情を抱えたままだった。

然るべき時が来た暁に、僕は果たしてあの宝石箱の底から、無事に彼等を見つけ出すことが出来るのだろうか。


そして、春がやって来た。彼等が“帰還”を予告していた春だ。


新曲がリリースされ、MVが公開され、あの頃の匂いをしっかりと残した現メンバーの姿をそこに感じ、僕は素直に嬉しくなった。しかし、それでもまだその喜びに無邪気に身を委ねられない自分は確かに存在していた。こんな不安定な気持ちのまま、既に開催が決定している復活ライブへ足を運んで良いものだろうか。そもそも、僕のような年寄りで陰キャのファンの居場所などあるのだろうか? 10代の代弁者たるキラキラ☆ポップな今の彼等のライブ会場に???

“帰還”を告げるや否や、テレビ出演まで決まった。流石は売れっ子である。“帰還”後初の舞台は、音楽ファンのみならず日本に暮らしている人間で知らない者はいないのではないかというぐらい有名な、とある生放送の音楽番組。僕は放送の当日を指折り待って、仕事をいつもより少し早めに切り上げその時を待った。

CM明けの演奏を震えながら待つ。まるで焦らされているように心臓が早鐘になった。番組のサウンドロゴと共に、おどけながらもやや緊張した面持ちの3人が姿を現した。カラフルな衣装に身を包み、ソロデビューした時のボーカルのように、ほかのメンバーも少しヘアメイクをしている。MVと同じその姿にグッとこみ上げるものを感じていると、遂に演奏が始まった。


おもちゃ箱をひっくり返したような、ギターの音とカラフルなシンセの殴り合い。

身体を折りたたむようにして、激しく頭を振りながら弾くギタリストの姿。

軽やかなステップを踏みながら、キーボードを弾いているのかいないのかすらわからない程元気なプレイを見せるキーボーディスト。

そして、ボーカルの指の先まで神経の行き渡ったしなやかな所作、ギターを背負った小柄なシルエット、クッと上がった口角、信じられない程に伸びやかで、時に少年のように儚い歌声。

すべてに、溢れんばかりの親しみを覚えた。


僕は知らず、涙を流していた。


僕達が知る由もない彼等の生活のなかで、きっと3人は音楽を続けていてくれたのだ。そう確信出来る程骨太なパフォーマンスだ。彼等の口から直接はまだ何も語られていないのに、ただただその佇まいと音と歌だけで、約2年間の空白が埋められていく。


涙と共に僕は、誰にともなく呟いた。

「おかえり、Mrs. GREEN APPLE」



これからはきっと、ちゃんとした彼等自身の言葉によって2年間の空白が少しずつ埋められていくのだろう。そろそろ音楽雑誌などにインタビューも載る頃合いだ。ワクワクしつつ、ちょっとばかり荘厳な気持ちで本屋に足を運びたい。

勿論、未だに不安がないと言ったら嘘になる。主に脱退したふたりのメンバーに対しての気持ちだ。あのふたりが何処へ行ってもやっていける技術とパッションの持ち主なのは重々承知なのだけれど――なんと言っても“あの”ボーカルが「人柄で選んだ」と豪語してやまないふたりなのだ――そのうえで、今後の活躍の行方がわからない限りは、このぼんやりとした老婆心のような心配は消えないのだろうとは思う。それはまあ、彼等のファンである限り仕方ないのかもしれない。


だけど、ひとつだけ言い切れることがある。

僕はあのとき確かに、宝石箱の中からあの美しい青林檎色の宝石を、再び見つけ出すことが出来たのだ。


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