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魅せてくれ、モノホンの“レトロスペクティブ”ーディストピア東京、真夏の下北沢でビレッジマンズストアとベッド・インを観る

■古風なものが割と好き

8月の終わり、秋の気配を感じてもおかしくないはずのその夜はまだまだ蒸し暑くて、Tシャツを容赦なく背中に貼り付かせる汗はもう何度も空調で乾いてはまた流れを繰り返していた。
どんなに換気に気を遣っても、ほかの観客との間に今までの3倍ぐらいディスタンスが設けられていても、地下のライブハウスはいつだって蒸した。手強い盟友であるマドンナ達との闘いを半ば程終えた、真っ赤なスーツが日本一似合うそのひとは、最早愛おしさすら感じるそのじっとりとした空気に向かって、少し俯きがちになりながらゆっくりと慎重に言葉を紡ぐ。

「去っていく仲間に言われたんだ、“水野さんが望んだ方向に進んでいけばバンドはきっと良い方へ行く”って。でもな、おれが望む方向はいつだって、お前が望む場所なの」

まだ若手、とは流石に言えないが、旬が遅いバンド界隈では若いと言って過言ではないはずの年齢の彼は、ゼロ年代どころか90年代の古き良きロックミュージシャンの面影を感じさせる美貌を少しだけ綻ばせて、フロアに集う無数の“お前”に向かい照れ臭そうに微笑みかけた。

「お前の前で歌えて、嬉しいよ」



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昔から、いわゆる“古風”と形容されるようなものが好きだった。
僕は両親にとって比較的遅めに生まれた子供で、上にふたりぐらい姉や兄がいてもおかしくないぐらい両親と歳が離れている。だからかどうかは知らないが、物心ついた頃にはいわゆるわかりやすい“昭和の香り”を色濃く感じる文化に触れる機会が多かった。
年の暮れには家族で必ず忠臣蔵を観るし、小学生の時分には江戸川乱歩や横溝正史が好きだった。日曜日には父親の隣で『演歌の花道』を観て、あのやたら情感豊かに作り込まれたセットの中で歌う演歌歌手の姿に幼稚園児ながらに何か凄まじいものを感じてドキドキしていた。(ていうかマジであのセットすげえからあれぐらい手の込んだシチュエーションで推しのミュージシャンに歌ってほしすぎる、テレビが無理ならYouTubeでもいい)
思春期の頃には神保町で中原中也の詩集や古い音楽雑誌を買って純喫茶でナポリタンを食う苦学生となり、昭和の経済成長時に建てられたようなビルや、団地やホテルなどの廃墟に憧憬を抱く変態に成長してしまった。ニュー新橋ビルや銀座の奥野ビル、原宿のキャットストリートの渋谷寄りの街並みなんかは今でも大好物。幼少期のうっすらとした記憶の中にかろうじて残っている、表参道の同潤会アパートが今でも永遠の理想郷だ。
音楽が好きなので、古のバンドブームへの憧れもある。イカ天やヴィジュアル系の隆盛、初めてイエローモンキーやSADSを知った時の衝撃ったらなかったし、それ以前の、60年代に勃興したグループサウンズのムーブメントなんかは母親から何度も思い出話を耳にしてとめどなく幻想を膨らませたものだ。

だから、最近若者の間で“レトロブーム”が来ている! なんて報道を目にした時は正直、おっ、おれの時代がやっと来たか!? なんて調子づいたぐらいだ。
次々出てくるレトロ“風”の雑貨屋さんや喫茶店、レトロ“風”の街並みが自慢のテーマパーク。勿論決して気にならないわけではない、のだが……僕がいわゆるレトロなものに望んでいる事とは、それらの持つ趣はまたちょっと違うような気がして、なんか物足りないなあと思ってしまう事が多いのが正直な感想だ。

テレビでも最近、よくレトロブームが特集されていたりするけれど、リアル昭和中期生まれの母親はそんな内容の番組を目にする度に少々複雑な表情をする。
「なんか違うんだよねえ」と煮え切らない言葉を発してチャンネルを変える母親。曰く、「なんか惜しい」のだとか。

ちょっと前の話だが、とある有名なアイドルグループがリリースしたとある楽曲がめちゃめちゃスマッシュヒットを記録した。“とある”が多すぎて乱文になってしまった事を詫びるが、あまりに有名すぎるのでここで真名を出すのがはばかられるためどうか目を瞑ってほしい。当時、そのアイドルグループのファンだった友人が、その曲に対してかなり辛辣な評価を下していた事を思い出した。
その曲は最早そのグループにとって代表曲とも言える曲で、友人はたいそう誇らしかろうと僕は勝手に思っていたのでちょっと意外だったのだが、彼(または彼女)はその、80年代アイドル風のちょっぴりおダサいヒット曲に対して忖度なしにこう言い放ったのだった。

「レトロスペクティブを履き違えてるんだよね」

正直僕も、それな、と思った。

とかくレトロスペクティブというものは難しいのだと思う。やりすぎてしまったり、逆に作りが浅かったり、ちょっとでもズレが生じると途端に“惜しい”感じになってしまう。僕だって当然当時の空気を知っているわけじゃないし、知識にだって偏りのある単なる好事家でしかないので偉そうな口は利けないが、脈々と受け継がれた歴史ある存在を心底愛しリスペクトを示し、またはしっかりとした時代考証をしたうえで現代に求められるかたちにアップデートしていくといった作業は、僕達が思っている以上に骨が折れるものなんだろう。


■下北沢のライブハウスで、ビレッジマンズストアとベッド・インの対バンを観る

いわゆる“歌謡ロック”と呼ばれるジャンルや、それに準じる雰囲気の音楽が大好きだ。
具体的にミュージシャンの名前を出すなら、椿屋四重奏、LACCO TOWER、ビレッジマンズストアなど。KEYTALKもルーツ的にはそこに含まれるだろうし、かの偉大なるイエモンも挙げられるだろう。そもそも“歌謡ロック”という言葉には明確な定義はなく、“歌謡(曲っぽい雰囲気を持っていたりコード進行やメロディ、歌詞の世界観が歌謡曲っぽい)ロック”の略称だと考えるのが妥当だと僕は思っており、この好みもやっぱり僕が昔から抱き続けている懐古趣味的な嗜好が根本にあるのだと思う。

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今年の8月28日に、ビレッジマンズストアとベッド・インの対バンがあった。ビレッジマンズストアの対バンツアーの東京公演で、会場は下北沢シャングリラ。対バン相手が発表された時、僕とツレの友人は小躍りして喜んだ。
トレードマークの真っ赤なスーツ姿も目に眩しく、今時珍しいぐらいバキバキのロックンロールバンドをやっているビレッジマンズストア。いにしえのGS(※グループサウンズの事である)やグラムロックバンドのかほりを感じるヴィジュアルに、90年代のバンドブーム時やゼロ年代ネオヴィジュアルやパンクスの雰囲気を感じさせる楽曲がウリの彼等の対バンとして、ベッド・インはもってこいとしか言いようがなかった。そもそも彼/彼女らはもともと対バン経験も多い盟友同士ではあったし、いつかは観られたら良いな……とは思っていたが、ライブの機会自体が以前より減っている今、こんなすぐに観られるだなんて思いもしなかった。


念のため、彼女達を知らない読者諸兄諸氏のために説明の時間を取ろう。ベッド・インはロックバンドではない。“地下セクシーアイドル”を名乗る女性ふたり組のユニットだ。

美しいおみ足と圧倒的な歌唱力、ソバージュの似合う長い黒髪がトレードマーク。ザ・女王様なタイプの益子寺かおり様と、豊満にして放漫なボディとチャーミングな顔立ち、アイドル的な可愛らしい歌声と相反する超絶ギターテクニックが自慢の“ちゃんまい”こと中尊寺まいさんのふたりを中心に2012年に結成。完全セルフプロデュースのもと、バブル期の文化をテーマに作詞作曲なども自身で行い、ライブハウスからフェスシーンまでアイドルの枠を超えて活動している激マブなナオン達だ。ド派手なボディコン姿と濃いめの美貌、自身を御自らそれぞれ“おみ足担当”と“パイ○ツカイデー担当”と名乗る奔放で濃厚なキャラからいわゆる“企画モノ”かな……? と思われがちっぽいが、ところがどっこいコミックを感じる曲はあまり多くなく、ゴリゴリのロックサウンドやChillなシティポップサウンドを巧みに駆使して情感豊か且つ懐かしさを感じる歌謡ロックや真っ当なポップスをやりまくっているイカしたロックユニットなのだ。僕の中では個人的に、B‘zやポルノグラフィティ、GRANRODEOなんかと同じ枠だ。

丁度ビレッジマンズストアとの対バンだからというわけではないが、ボーカルの水野ギイ様(美形)(大好き)は常日頃から対バン相手に対して「ロックバンドとは殴り合って良いと聞いた」と発言している。さっき彼女達を「ロックバンドではない」と紹介したばかりだが、水野ギイ理論を流用しても、やはりベッド・インはロックバンド(ロックユニット)だと言って過言じゃないと思う。

長い説明はこの辺にして、なんとなく彼女達の事をわかって頂けただろうか。この2組の組み合わせ、真夏の終わりに下北沢にド派手なレトロスペクティブ空間がやってくることこのうえない。この時僕達は調子に乗って真っ赤なジュリ扇(ジュリアナ扇子の略。昔ディスコで舞い踊っていたおねーさん達が手にしていた、羽根のついたアレ)を揃いで手に入れてライブハウスに持ち込んだぐらいだ。これは実際にベッド・インの現場で通例とされている持参アイテムなのだが、流石にビレッジマンズストアの現場では浮くか……? とやや不安だったのだが同様に手にしているおねーさんやおにーさんがフロアに散見されて安心した。

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(これがその時のジュリ扇。アマゾンで見知らぬ海外人(かいがいびと)から安物を買い取ってしまったがために我々が踊った場所そこいらじゅうを赤い羽根だらけにしてしまった。不死鳥飼ってるみたいだった)


やや押し気味で先に登場したのはベッド・インのふたり。ギラギラのネオンカラーの照明とシンセバキバキピコピコの出囃子に彩られながら、実力派のバックバンドのオトコ達を従えて姿を現したふたりは、玉虫色に照明を反射するレインボーなボディコンにピカピカの健康美をねじ込んで艶やかにステージに降臨した。決して大柄でも今時のKPOPアイドルのように痩せぎすでもないその佇まいはしかし目のやり場に困る程に美しく、美と迫力の融合といった風情だった。

見上げた位置にはお立ち台に堂々と投げ出されたかおりさんのおみ足。そのピンクの唇からは音源そのまんま出てるんかという程ピッチの狂わない、それでいて情熱的なヴィブラートにロングトーン、圧倒的な声量によるボーカルがマシンガンのように僕達を襲う。かと思いきや曲間には茶目っ気ある変顔やマイクを使ったここに書き綴るのも恥ずかしくなってしまいそうなエッチムーブも織り交ぜてきて、と思いきや次の瞬間には少し照れ臭そうな笑顔も見せてくる。チャーミングすぎて我々下々は完全に女王様の手中。一瞬にして情緒を完璧に支配されてしまった。

一方、少し目線を上手へ移動すればちゃんまいがバキバキのギターテクで骨抜きにしてくるから息つく暇もない。甘く可愛らしいイチゴミルクのリキュールみたいな歌声からは想像もつかないようなメタルギターと挑発的な眼差しは、初めてKEYTALKのライブに臨んだ時に首藤義勝さんのボーカルとベース捌きを間近で目にした際の衝撃に近いものを覚えた。この可憐なボディの何処からそのパワー出てくんの???

サウンドの派手さと緻密に作り込まれた打ち込みのトラックのニクさ、更にナオンふたりのチャーミング且つ力強い歌声、なにより己の美貌をこれでもか! と誇るふたりの佇まいにシャングリラは一瞬にしてジュリアナか、はたまたマハラジャかといった趣きに(なんのことやらワケワカメなキッズはお父さんやお母さんに聞いてみるかggrks♡)。汗も滴る良いナオンの谷間にはオソロのペンダントが光り、背中合わせに振付を披露するアイドルソングもチャーミングで最高。MCで飛び出す「おシモの北沢」などのパワーワードに『夜もヒッパレ』を彷彿とさせられたのは僕だけじゃないはず。いや、僕はぶっちゃけヒッパレも記憶にないぐらいのピヨピヨヒヨコなのだが、“憧れのイメージの中にあるバブル期の深夜音楽番組”って、こんな感じだったよネ……?

なにより印象深かったのは、彼女達のライブ恒例の“早着替えタイム”だ。実は僕、昨年自宅から配信でベッド・インのライブを密かに観続けていたのだけれど、その際に曲演奏と同じぐらい楽しませて頂いていたのが、ステージの上にカーテン的なサムシングを用意してその中でお色直しをする幕間の場面だった。彼女達をよく知らないひとからしてみたら何を言っているのかわからねえと思うが、自分でここまで書いておいて僕自身も正直何を言っているのかわかっていない。ともあれそういう場面があるのだ、という事にしてひとまずついてきてほしい。
この時彼女達はライブのクライマックスを前に、カーテンの向こうでキワドイハイレグのビキニアーマーみたいなお衣装に化けた。それがまた“戦乙女(いくさおとめ)”といった趣きで素敵だったわけだが、何故かその場面でまだ出番じゃないはずのビレッジマンズストアのメンバーがステージ上に突如出現。彼女達による厳正な選別の結果、ギターの岩原先生と総大将水野ギイがおふたりの尊厳を守るためのカーテン持ち係(これを彼女達は“便利クン”と呼んでいる)に任命されるという謎イベントが発生してしまったのだ!

これには流石の僕もマジで深夜番組観せられてるんか……? と思ったし、多分ツレの友人もそう思ったに違いない。結局この後彼女達のマイペース極まりない勢いにあの水野ギイですら気を呑まれてしまい、ビレッジ側のパフォーマンスが開始してからも2曲目ぐらいまで目が半分しか開いてなかったし、メンタルを14歳の少年にされてしまった……と初心な乙女のような慎ましさでMCにて自己申告するに至ってしまったわけだが、あの水野ギイ(大事な事なので2回言う)の威勢を削ぐとは流石のナオン達である。(尚、ビレッジマンズストアの頭脳にして良心の岩原洋平先生におかれましてはカーテン持ってる間中なんかずっと楽しそうだった事も書き記しておきたい次第だ。流石は肝っ玉が据わっておられる。)



しかし、勿論いつまでもやられっぱなしの水野ギイではない。
ライブも後半戦、今回のホストたるビレッジマンズストアのターンが来た際、彼はブラックオパールのような瞳をギラギラと輝かせ、気高くも恐ろしい獣の唸りよろしく低い声で、こう言い放ったのだった。

「残念だったなベッド・イン!!! 本日ファイナル、余力を残す必要なし!!! お前らを、そしてお前を、14歳にしてやる!!!」

無論、この時の“お前”はフロアに詰める僕達オーディエンスの事だ。前から5列目の至近から見上げる彼は思っていた以上に大きく、ロックミュージシャンとしての威厳があり、支配的で、それでいて一切威圧的ではなく。さっきまでおねーさま達の白い美脚ばかり眺めてしまったのが癖になってしまったのか、思わず不躾に眺め回したくなってしまう程真っ赤なスラックスに包まれたおみ足が美しく長かった。

「お前を14歳にするのは誰だ!? ロックバンドだろうが!!!」

その時、僕も確かに、ロックバンドへの憧憬を自覚した、そして“古風”といわれるものを自分が愛好している事にも気がついたばかりの、14歳の中学生の頃に戻っていたのだった。


■誇りを守るための聖戦

そして、冒頭のあの言葉である。

「去っていく仲間に言われたんだ、“水野さんが望んだ方向に進んでいけばバンドはきっと良い方へ行く”って。でもな、おれが望む方向はいつだって、お前が望む場所なの」

これは、この時の公演中、半ばのMCでギイ様が口にした言葉だった。

このツアーの前に、彼等を長い間支え続けてくれたマネージャーの方が退職された。彼等がライブを出来なかった昨年などは生配信番組の司会なども担ってくれたぐらいの方で、ファンの間でもとても親しまれている、優しげでクールで可愛らしいひとだった。
流石に仕事を離れられる理由まではわからないが、時期的におそらく、この“去っていく仲間”には彼女も含まれるのではないかと思う。そりゃこんな世の中だもの、スタッフさんや同業のバンドマンなど色々なひとが彼等の前から姿を消しただろうとは思う。しかし我々ファンが干渉出来る範囲にいる人物の中で、彼の事を「水野さん」と呼ぶ代表的な人物は紛れもなく彼女だった。
その事に気づいた時、僕はなんの事情も知らないのに、何故か涙が止まらなくなってしまった。一体このひとは、このひと達は、これまでどれだけのひとの想いや真心や重圧を託され、その背に負って生きてきたのだろう。

クライマックスを飾るように披露された『正しい夜明け』『サーチライト』『Love Me Fender』『PINK』。2本の脚でライブハウスの板を踏みしめるように、何度も殴られて灰になる寸前のボクサーのように佇み歌う水野ギイの姿が、脳裡に焼き付いている。声にならないフロアのレスポンスと、代わりに叫ぶメンバーのいっそ歌にならないコーラス。ギイ様の沿らせた首が、そこを伝う汗が、絞り出されたように掠れた歌声が、雄叫びという祝詞を上げる神獣のようで神々しい程だった。


その姿は前半戦のクライマックスで『We are BED・IN』を披露した際のマブいナオンふたりとも重なる。

ピカピカのビキニ姿で仁王立ちになるかおりさんは、殴られようが投げられようが何度でも立ち上がる女子プロレスラーのような貫禄を湛えていて、その隣で修羅のようにバキバキのギタソロを奏でるちゃんまいは彼女と一蓮托生の闘いの女神だ。その姿は決して洗練されてもいなければ肩から力の抜けたオシャンでChillな趣もないけれど、世界一美しい生き物の姿のように思えた。


今まで色々な歌謡ロックや“レトロ”を感じる音楽を聴いてきて思うのは、レトロスペクティブを芸術や表現に取り入れるにおいて、最も難しく、そして最も肝心要な要素になるのは、“ダサカッコよさ”だという事だ。クールで洗練されてはいるけれど何処かいなたさの残された、一歩間違えたら「時代遅れだ」と言われてしまいかねない、泥臭い、だけれどカッコイイ表現。それは自分が歩んできた人生や影響を受けてきた文化、芸術への誇りを正しく守って愛し、今という時代に合わせてアップデートしていく行為だ。
アップデート。これこそが大事なのだ。
喩えるならば、大切に大切に建てられ、育てられるようにして扱われてきた古い建築物に、今のライフスタイルに合わせてリノベーション工事を施していくようなイメージ。そんじょそこらのアイドルプロデューサーがアクセサリー付け替えるようにやってみせる“レトロ”とは違う。鉄筋コンクリート製の新築にヨゴシをかけてシャビーに見せるようなオシャレとも格が違う。衆目を集めるブームの上っ面を掬って、いいとこ取りでコピーしていては、“ダサカッコイイ”にはならない。今は良いかもしれないが、流行が去ったらただの“ダサい”へと成り果ててしまうだろう。
真のレトロスペクティブは、己の人生の誇りを守るための聖戦なのだ。


■ディストピアで踊れモンキーダンス

かなり心外だが、僕達が生活するこの国は“ハラスメント大国”なんて呼ばれる事がある。僕達がどんなにバブルや昭和レトロに憧れたところで、正直今の方が色々な点からして“良い時代”と言える点も少なくない。リアルタイムでお立ち台に立ってイケイケのボディコンに身を包んでいたオネーチャン達でさえ上司からお茶汲みを強いられていたし、シティボーイは24時間戦う事を求められて風邪を引こうがうつになろうが休めなかった。
今やわが国でも女性の活躍が叫ばれて久しい。まだまだジェンダーギャップは大きいしセクシャルマイノリティへの理解も足りないけれど、女性重役も当時よりは増えているわけだし主夫だって少なくはない。皮肉にもこの疫病流行下で、“体調が悪けりゃ休む”という当たり前の事を少しは実践しやすくもなった。
結局、「あの頃が良かった」「昔は元気があった」わけじゃなくて、今の時代に元気がないのだ。こんなのは相対的なもんで、それは結局やっぱり景気の善し悪しの影響なのかもしれないな、とも思う。

だけれど、“時代のせい”にして諦め続けるのも悔しい。そりゃどうしようもない事も沢山あるけれど、上手くいかないことをなんでも“時代”という見えざる手のせいにしていたら、なんだか今生きているのが本当の意味での自分の人生ではないような気がして、悔しい。
いわゆる“古風なもの”を愛好していると、時に「生まれる時代を間違えたかな」なんて思う事もある。だけれど、正直僕みたいなヤツは当時の日本で間違いなく生きてはいけない。別に“その時代”に憧れているわけではないのだ。ただただ、その頃の“景気の良い”元気な文化が眩しいだけだ。

僕が愛する、ベッド・インやビレッジマンズストアのような音楽をやっているミュージシャン達は、たとえ本人にそこまでその気がなかったとしても、その“眩しい”文化を今の時代に引き継ごうとしているように思える。何もかもを “時代”という見えざる手のせいにせず、安易に流行りモノに乗っかったり流されたりもせずに、自分の責任で“今”を生きている。だからこそ洗練された、眩い程の“ダサカッコよさ”を持っている。
万物は水のように流動的で諸行無常。結局のところ、時代なんてどうしようもないものに左右されず、振り回されず、自分の好きなリズムで踊れるヤツが最強なのだ。


ライブが終わりツレと別れた後、ぬるいソルティライチを片手に薄暗がりの遊歩道をひとりさみしく歩いていると、空に綺麗な半月が見えた。風の匂いが夏の終わりのそれで、秋の虫の声がよく聴こえる。
ディストピアにも鈴虫は鳴く。昭和を通り越して平安時代のそのまた昔から愛され続けている風物詩に、僕の心はまた少しだけ踊った。




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ビレッジマンズストアのライブに初めて足を踏み入れた時の感想文

ベッド・インの配信ライブをめっちゃ観てた時のツイートまとめ


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