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“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [2]

([1]はこちらから→“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [1])

会場が暗転した。この年にリリースされたシングル『Love me』をテクノ調にマッシュアップしたような出囃子と共にメンバーが現れる。アリーナ中央に建てられたお立ち台にスポットライトが四つ、人陰を映し出した。遂に来たのだ。この時が。

ライトに照らされたKEYTALKは伸び伸びと手を振りながら、花道を通って舞台へ向かう。こんなに大きな会場なのに、花道を囲むアリーナの観客ひとりひとりに笑顔を振りまき、ハイタッチなどしながら歩く。成程これは確かに「アイドルバンド」と揶揄されるかもしれないよなーと思うサービス精神の高さだが、そんな神対応も彼等と言うバンドを構築する単なる一要素に過ぎないと言う事を、僕達は次の瞬間身を持って実感させられるのだ。

そこからの約三時間程度、僕は呼吸も忘れ、明日の予定も忘れ、脳味噌をぐちゃぐちゃにされる程の感情の奔流に呑み込まれ、気がつけば泣きながら笑っていた。


アリーナの巨大な舞台が狭く見える。普段のライブハウスでの公演よりも狭いんじゃないかってぐらいに彼等ははちゃめちゃに動きまくる。ギターの武正さんは本当にギター弾いてる?ってぐらい右から左から花道にまで走り回りながらそれでも今までで一番と言って過言じゃないぐらいのギタソロを聴かせてくれるし、せり上がるドラムセットの上で一心不乱に弾ける笑顔で叩く八木ちゃんは修羅にして天使。舞台の左右からは火炎放射が上がるわ頭上のミラーボールは完全にジュリアナ東京だわ、銀テープにレーザービーム、あらん限りのド派手な演出を駆使したバブリーっぷりにも関わず、彼等は一切その派手さに負けてない。

特に義勝さんとギタボの“巨匠(って言う渾名)”寺中氏、ボーカルふたりの存在感が凄い。僕は元々お歌をうたうひとが大好きで、だから優れた歌い手がふたりもいるこのバンドが大好きなのだけれど、この日はふたりとも炸裂しすぎてそのまま舞台の上で果ててしまうんじゃないかと言う歌いっぷりだった。

噛み付き合うように鋭い声音で掛け合いしたかと思いきや、次の曲ではまるで呼吸をするような滑らかさのハモリ、ユニゾン。
バンド結成当時は義勝さんは純然たるベーシストで、最初からツインボーカルとして歌い始めたわけではないふたりだったけれど、今ではまるで初めからふたりで歌うために生まれてきたんじゃないかってぐらい、彼等の間に永久機関が精製されているかのような歌だったのだ。

中でも『ASTRO』。舞台中央の大きな画面に映し出されたリアルタイムのふたりの横顔が向かい合うように合成された瞬間、開演してたった二、三曲目だったにも関わらず僕はぼろぼろ泣いてしまった。単なるMVのオマージュ演出だったのだろうが、僕の中で何かが弾けてしまったらしい。今となっては流石に早すぎたと思う。

一万二千人で踊る『MONSTER DANCE』は床が抜けそうなお祭り騒ぎだったとか、武正さんの「下北沢からやって来ました、KEYTALKです!」がこの日程エモく聴こえる事はないだろうと思った事とか、いつもは凛とした歌声とハイセンシーな下ネタぐらいしか発さない物静かでクールな義勝さんが、黒いドルマンスリーブのカットソーの裾をアゲハ蝶のようにひらめかせながら何やら猛々しい雄叫びを張り上げたのでうっかり悩殺されそうになった事だとか、思い出せばキリがない程猛烈なインパクトにまみれた想い出なのだけれど、一番印象深かったのは、やっぱりあのシーンだ。


ライブも中盤になった頃披露された『マスターゴッド』。メジャーデビュー以降フルアルバムに一、二曲ずつ必ず収録されているソロボーカル曲のひとつで、義勝さんのソロによるセクシーを通り越してエロな女性詞が印象的な曲だ。僕は今までこの曲を生で聴けた試しがなくて、ずっと聴いてみたいと思い続けていた大好きな曲だった。

しっとりしたピンクの照明の中で歌う義勝さんの、延髄を爪先で愛撫するようなハイトーンボイスに脳味噌を蕩かされかけながら音に身を委ねていると、大サビ前で不意に演奏が止まった。
義勝さんの周囲に集まるメンバー。八木ちゃんまでもが要塞ドラムセットの上から降りてきて下手の義勝さんを取り囲む。メンバー含むその他大勢の視線を一身に集めた義勝さんが、ベースを押さえる手を離してマイクスタンドを掴み、りんごみたいに小さな顔を照れ臭そうな笑みでくしゃくしゃにしながら言った。

「二十年後も、三十年後も、一緒にバンドやろうぜ!」


ライブは本当に楽しかった。ロックにジャズにフュージョン、なんでもありの幕の内弁当みたいな彼等と言うロックバンドが歩んできた十年間を物語るような、胸が苦しくなる程はちゃめちゃに楽しいライブだった。アリーナ級のライブは生まれて初めて観に行ったが、処女航海が彼等で本当に良かったと思う程だった。

だけれど、義勝さんの義勝さんらしからぬあの言葉だけが、僕の心の奥底に引っかかり続け、今でも時々ほろ苦く奥歯の辺りで香るのだ。
よく聞く言葉だ。いつまでも一緒にいような、ずっとみんなで音楽やろうな。よく言えば真っ直ぐな、悪く言えばありきたりな美しい言葉。気の置けない仲間達と曲を作り演奏し、それで大勢のオーディエンスを涙させ、興奮させ、踊らせる。きっとバンドマンなら誰もが夢見る事だろう。
しかし、その言葉を口にしたのが他でもない、首藤義勝だった、と言う事実に、僕は言葉以上の意味を受け取らざるを得なかった。


義勝さんは、KEYTALKがまだインディーズだった頃他のバンドでもボーカルを執っていた。繊細で緻密で、美しく、狂おしい程に物悲しい音楽をやるバンドだった。今でも根強いファンがいて、彼等と同世代のプロのミュージシャンの中にも影響を受けたと言ってやまないひと達もいるぐらいの凄いバンドだった、らしい。

そのバンドは、少し悲しい経緯で解散してしまった。だから今はもういない。

僕は当時まだそのバンドを知らなくて、後になって楽曲を聴き、大好きになり、今この時代に現在進行形で彼等の音楽が聴けたならと願いながらも、それは贅沢な願いなんだろうな、とも思った。

当時そのバンドのファンだったと言う、ネットで知り合ったKEYTALK勢仲間の女性から、そのバンドの解散ライブ——とは名ばかりで、実際は義勝さんひとりきりの弾き語りライブだったらしいが——の時の様子を聞いた。その話を聞いて僕は、彼が作る音楽がもしも世間に認められないのなら、そんな世間の方が間違っていると思った。

彼は、泣きながらベースを弾き、涙に掠れた声で一生懸命に歌っていたらしい。


アンコールまで終わった後、義勝さんのその言葉に応えるかのように巨匠が彼の手をぎゅっと握った。繋いだ手を頭の上に高く高く掲げる。汗びっしょりで、ノースリーブを絞ったら滴りそうなぐらいのくせに笑顔がペパーミントのようにきらきらしている八木ちゃんがその隣に立つ。MCで巨匠に「息してる?」と心配される程のマシンガン具合でバンド結成の馴れ初めを嬉々として話していた武正さんが、いつも通りのよく通る声で「KEYTALK、ジジイんなってもずっと音楽やるからなー!!!」と叫んだ。リーダー、本当にバンドが大好きなんだなあと改めて思う。

とてもとても美しい、ロックバンドの絆。冒頭で僕は「絆と言う言葉は呪いになりうる」と言ったと思うのだけれど、しかしこの時の彼等の姿からは、「呪い」なんておぞましい言葉は一切浮かんでこなかった。


ここに来る前に、地元の駅前のファミレスで哲学談義に興じていた時の彼女の言葉を思い出した。

「永遠って、一体何なんだろうね」

([3]へ続く!→“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [3])

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