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案外過酷だった海外生活

私は日本では出過ぎる杭だった。だからきっと海外で生きたら私は自由だ!と確信して日本から吹っ飛んで来た矢先、案外気にしぃで意見が言えない人間だったと思い知らされた。
私の海外生活11年の苦しみと這い上がり劇を幼少期から振り返りまとめていきます。
今過去の私みたいに辛いあなた。
大丈夫だよ!私がその沼から引っぱりあげて伴走するから!

幼少期~ドイツへ行くまで

幼少期~ドイツへ行くまで
私は幼少期ゴリゴリの人見知りだった。あまり知らない人と目を合わすことも挨拶することも苦手で母の後ろに隠れていた気がする。ありがとうやごめんなさいを言うこともとてつもなく苦痛だった。(←知ってる人や慣れるとふざけ倒す)
好きな友達への依存癖が強くて嫉妬ばかりしていた小学生時代、バスケ部で仲間ができて嬉しかったけど口下手で友達を傷つけまくった中学時代、出だしモジモジ失敗してどこの島にも入れなかった暗黒の高校時代、それを踏まえて広く浅くとにかく明るく振る舞うコミュ力と国際交流力を身に付けた大学時代、大学四年で湧いた遅すぎる英語学への学習意欲と就職したくないことを理由にアホが秀才に囲まれながら意味不明に論文を書いた大学院時代、残業休日出勤喜んで!のガリ勤スタイルで上司やクライアントさんに可愛がられてガムシャラに働いたイベント制作会社時代。

就職難で何十社も落ち、人格否定された気分で落ち込んでいたけど、私が小学校高学年の頃から今もなおタイに単身赴任している父親の影響でタイ移住を夢見ていた私。タイ人募集枠に無理矢理「タイ語喋れます!」←(忘れ去った)とねじ込んだら私のその勇気とやる気を買ってくれた前の会社には本当に心から感謝してます。

でも当時、遅咲きのコミュ力が開花しすぎていて、思ってるコトはすぐ言いたくなっちゃう、やりたいことはすぐやりたくなっちゃう、人とすぐ仲良くしたくなっちゃう性格だった大人の私。「暗黙の了解」が嫌いでけっこう上司を困らせた場面もあったと思う…。

イベントの仕事では英語が得意だった事で有難いことにたくさんの海外現場を経験させていただいた。その度に「私は将来海外で生きる人間だ!」と気持ちを高めながら、いつか英語とタイ語を使ってタイに住むんだ!と頑張っていた。

でもなぜかドイツ人と恋に落ち、東日本大震災で遠距離恋愛の辛さの限界をキッカケにドイツに漂流した。
それもまた、人口8万人の英語があまり通じない小さな街出身のドイツ人。ドイツ語か…
ま、いけるっしょ!と外国語習得が趣味だった私は覚悟を決めてドイツへ来たのだ。(のちにドイツ語は世界一難しい言語だと萎える)

ドイツに来てから…

27歳の時に渡独しました。
はじめはただただ好きな人と一緒に住めて嬉しかった!
知らない世界を知れることが楽しかった!
でも徐々にただ彼の帰りだけを待つ生活が辛くなった。
食の嗜好が典型的ドイツ人(肉!芋!パスタ!)の彼には料理の腕にはけっこう自信があったはずの私の手料理がどれもこれも合わず自信を失った。
「美味しいね」を共有できる人がいなくて寂しかった。
友達を作ろう!とヨガやバレエクラスに勇気を出して行ってもおば様か、スマホも持たない閉鎖的な若者しかいなくて孤独だった。
彼の口に合う料理と掃除と一日中ゴシップガールやグリーを見て過ごす怠惰な日々。外でのんびり寝そべる牛を見て、自分かと思った。
地元の友人はバリバリ働き、どんどん昇格していく。自分で稼いだお金で自由な暮らしをしていることに劣等感。
買い物先でも病院でも役所でも彼の友達のパーティーでも外に出たら何もわからなくて何もできなくて、彼に引っ付いてるだけで、まるで昔母の後ろに隠れてた子どもの頃のような感覚。
アラサーでまた学生に戻り語学学校に行き始めたら、海外勢の勢いに押されて「あなたはいつも静かで冷静よね」って本来の自分からかけ離れたまさかのおとなしいキャラ設定で苦しかった。
語学学校メンバーの誘いにはもちろん断れなくていつも参加してたけど、自分らしくいられないから、常に苦笑いでストレスでお腹がゴロゴロしてオナラを我慢してた。
クラスメイトの中東のおっさんに「お前はドイツ人男に遊ばれてるだけ、国に帰れ」って言われたけど何も言えなくてキレ号泣した。
物事ハッキリ言う義母と義姉が怖くて怖くてコーヒーか紅茶か、白ワインか赤ワインどっちがいいか聞かれても答えられなくてさらにムカつかれた。
知り合いのツテでドイツ語できないのに働かせてもらったTシャツプリント屋では質より量産!スタイルのお店で「お前は完璧目指すな!ロゴがズレててもいいから早く仕上げろ!」と汚いスラングだらけの環境で急かされイライラ。
街の若者集団に「わ!アジア人が来たぞー!ぎゃははは!」って笑われて悔しかった。
語学学校卒業後は、そんな苦手世代のティーンズに交じってアラサーからの教習通い。車がないと生きていけない所に来てしまったからやるしかなく、日本語ですら難しい車関係の専門用語を1年かけて白目で勉強。
すぐ怒鳴る教官と泣きながら実技。
もうアラサーなのに…
アホのくせに大学院まで行って頑張って学んで来たのに…
寝る間も惜しんで働いてきたのに…
私はここでは誰の何の役にも立てない。。。。
きっと彼も私のこと面倒になってきてるだろう
なんでドイツ人女性を選ばなかったんだろうって後悔してるだろう
義家族には彼のお金を吸い取りに来た外国人嫁だと思われてるだろう
彼の友達にもどのドイツ人にも、あーこいつドイツ語できない使えないアジア人かって煙たがられてるだろう

って!自分で今これ書いててもビックリするレベルにネガティブだったな!
もちろん楽しんでたこともたくさんあったんですが!
1人でふさぎ込むことの怖さを今一度確認致しました。

そんな私のもとにひとつの希望の光が差し込んできたのです
それは…!

続く…


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いがあゆ 自己分析で海外生活を生き抜く人

海外在住ママを笑顔にするのが使命
自分の可能性にワックワクできる自己分析サポートしてます☆

ドイツ在住11年 38歳二児のママ
元こじらせHSP

「傷つかない海外生活本」を作るぞ!
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