【書評】『「運」を育てる(KADOKAWA)』土田浩翔
勝負とは、肉を切らせて骨を断つ世界。
〜中略〜
痛みも体験していないのに、痛いから嫌だと体が反応していたのです。
改めて
何事も経験するということが大切なのだと思わされる一文でした。
最近ぼくは
一次情報か二次、三次情報かということに気をかけています。
ここで言う「肉を切らせる」というのは
まさに一次情報のことであり、
実際に自分自身で体験することが肝だということでしょう。
“自制”とは、
自身の感情や欲望を自ら抑えることを意味し、
人間にのみ特権的に与えられた能力です。
たしかに
「自制」や「我慢」というのは人間だけが行う行為でしょう。
それが良いか悪いかは別として、
動物の本能としては、自分が生きるために行動するはずですから
それに逆行する行動は通常行いません。
しかし
「自制」や「我慢」というのは本能に逆行する行為です。
例えば
食べ物が目の前にあって
まだまだ食べ足りないのに自制して周りに分け与える
なんてこと
人間以外の動物は絶対にしないでしょう。
そして
なぜ人間がこういう行動をするかというのは、
他と強調するという特性を持っているからなのかもしれません。
動物でも協調性が高くコミュニティを作る種はありますが
社会を形成するまでではありません。
ですから
高度な社会を形成する生き物として、
他との協調がより必要になり、「自制」をするのだと思います。
そもそも相手の言っていることを否定する行為には、
自分という物差しが介在しています。
たしかに
自分の尺度と照らし合わせたからこそ、相手がおかしいと思うのですね。
自分の物差しも
あくまでも数ある中の一つと捉えることができれば、
相手のそれもその一つなのでなんとも思わないはずです。
最近ではインターネットが発達したからか、
ぼくが関心を持ち始めたからかわかりませんが、
あるイデオロギーに対して否応なしに否定する人・団体が目立つように感じます。
このような方たちは
自分の尺度が絶対的なものなのだと思い込んでいるから
そのような行動に写ってしまうのだと思います。
壊さずにその形のままどうにかしようとするからうまくいかないのです。
手牌も手順も一旦破壊したうえで、
想像していくとどうなるのかを考えてみると新たな発見があるものです。
人間の心理でしょうか、
一度積み上げたものを一旦なしにするというのはとても気の進まないことです。
ルービックキューブ初心者というのがいい例だと思います。
ぼくも初心者なので詳しい仕組みは解説できませんが、
まず一つの色を揃えたとして次の色に取り掛かる場合、
その最初に揃えた色を崩したくないというのが初心者の心理です。
しかし実際は、
それを崩さないことには前へ進めません。
本書のように、
逆に一度“やめる”ことも思いの外大事だったりします。
(ルービックキューブの場合は一度“やめなければならない”。)
正直ぼくもまだ
この重要性を身をもって感じたことはありませんが、
さまざまな人の話を聞く限りは、必ずしも悪いものではないのだそうです。
直感を大切にする
直感というのは
感覚的に物事を判断することです。
論理的思考に拠らない手段なので
タブー視されがちですが、
案外バカにできないと思います。
というのも
ミニマリストしぶさんも同じように
「直感を大事にする」ということを言っていたのですが、
直感はそれまでの自分に基づくものです。
つまり
それまでの自分がどれだけトライアンドエラーを繰り返し、判断の質を磨いてきたかで
直感の質も変わってくるのです。
ですから
AIがランダムに抽出するのとは違い、
それまでの自分が反映されるわけですから
ある意味論理的と言ってもいいと思います。
これらのことから直感は大切にするに値するものだと思います。
「愛される人」=「また会いたいなと思われる人」
この一文を読んで、
おそらく自分は今まで会ってきた人に
「また会いたいな」と思われたことが少なかったのだろうなと思いました。
というのも
今のぼくは、今ままでの人付き合いの仕方に後悔しています。
人と会っても人見知りを理由に
「また会いたいな」と思わせることはさることながら
話しさえしないなんてことはザラにありました。
人は人と関わり合って生きていきますから、
多くの人と繋がり続けるに越したことはありません。
(もちろん精査は必要ですが。)
ですから
この「また会いたいなと思われる人」というのも
意識してみようとおもいました。
まとめ
麻雀をやっていない身からすると
麻雀はどこか俗っぽいイメージがあり、それもなかなか深いものという感じです。
このことから
必然的に打つ人も、多少傲慢で粗雑な性格な方が多いという偏見を持っています。
しかし
本書ではそれとは全く逆の
謙虚さや滅私奉公の精神を説いていました。
しかもそれも
「日頃の行いに気をつける」だとか
「相手あっての麻雀だ」とか
学校教育で習わされるようなとても単純なものでした。
ですから
正直、所々うさん臭いなと思う部分はありましたが、
土田さんは実績もすごい方ですし結果も残せているわけですから、
ぜひ参考にしようと思いました。
また
「学校教育のそれのよう」と述べましたが、
このことから
古くから教育機関で言われているようなことは
案外侮れないのかなと思いました。
「物に挨拶をする」、「気持ちを込める」などのことは
あくまでも精神論的なもので合理的ではありません。
しかし
繰り返しになりますが、結果が出ているわけです。
しかも
本書は「運」を扱った内容。
だから
「運」を育てるためには、
やはり目に見えないものを味方につける必要があるのだなと感じました。