見出し画像

一番変わったのは、物に「いのち」を覚える感覚

昔は恥ずかしかったんですよね〜。自分でつくった服を着るのが。つくることそのものは好きでも、自分でつくったとなると、どうしても粗が気になってしまいます。

手作り感=技術のなさ、センスのなさ、貧乏臭さ

みたいに感じてしまって、なかなか実用するには至れませんでした。

でも、今は全然違います。週5で自作の服を着ちゃってます!!

手作りの粗、一点ものの感じが大好きです。生きてるな〜って感じがします。そう感じ取れる器官が育ってきた、とも言えそうです。

画像4

こういう学校で働いていますというと、「その仕事をやってみて、一番変わったことは何ですか?」と質問されることがたまにあって、

既製品に対する感覚が変わった

といつも答えていました。

わたしの毎日は、とにかく自分や子どもたちの「手づくり」にあふれています。お弁当包みに、お箸に、カバンに、スカートに、笛袋に、ウクレレケースに、詩や歌に、授業の教材に、

画像3

形あるものからないものまで、数え上げるとキリがありません。(なんなら、机や椅子も、校舎も。この学校そのものが手づくりですね。)

いかんせん、低学年の小さな子どもたちがつくるものです。その中にはきっと「ひどい」仕上がりの品物も多いことでしょう。(実際に、可愛いと思ってインスタに載せても反応が薄い時がありますね〜涙)

画像1

しかしながら、子どもの側にいる身としては。それがどうその子らしいのか、どのような想いで生まれたかがよくわかって、面白いんです。

ものと人とのつながりが見えるから、面白い。面白いどころか、魅力的。「もの」が息をしているように感じることがあります。

最初は親バカ的な可愛さだと思っていましたが、ある日、雑貨屋さんにふらっと入ったときに気がつきました。

あれ〜〜〜?「いのち」がないぞ?あ、ここにはあった!

できあがっていく過程を側で見ていなくても、それが量産されたのか、魂込めてつくられたのか、説明不要でつくった人の想いが「見える」ようになっていました。たとえ「作家さん」がつくったものでも、その濃淡が、ものによって全然違うことがわかります。

そんなわけで、Instagramなどを見ていても、「整っていてきれい」なものでも「生きている感じ」がしないと物足りなくなってきました。もはや、生活感のある、雑菌の気配(笑)を感じられるものにしか、惹かれなくなりつつある・・・!

でもね、つるんとした、クリーンなものに安心するという気持ちもわかるんです。特に疲れやすくて敏感な人は、人の想いをくらってしまわないように気を付けますよね。

わたしも、ホテルみたいな部屋で暮らしたいときがあるし、刺激に疲れているときなんかは、旅先でもチェーン店に入りたくなります(!)

人とのやりとりが面倒だから、手厚くもてなされるよりは、さらっと対応していただきたいですって思うときも・・・。

結局は、どちらの世界観もわたしの中にあって、その都度、その状況でうまくバランスを取っていきたいということです。

人を育てるという仕事に関しては、やはり「人」や「いのち」で応じたいと思います。

この記事が参加している募集

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡