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黄金の月(短編小説試し読み版)

5月21日東京流通センターにて行われる文学フリマに向けて刊行する、参加している文芸誌「空地」に寄せた短編小説の試し読み版です。
詳細は下にあります。



どうしようもないほどの夏の午後、僕は日課のダイビングを終えてコーヒーを飲みながら、換気扇をつけて両切り煙草を吸っていた。
確かにどうしようもない夏の午後だな、と思った。開け放した窓から熱風が入り込み潮の匂いが鼻腔をくすぐる。
先にシャワーを浴びて塩を取って爽やかな気分でいたのに、既にもうこの前買った白いTシャツは汗ばみ、塩を吹いていて、髪もべったりと額に張り付くようだった。
煙を肺に入れて吐き出し灰をトマト缶に落とす、その一連の作業の中で、そういえば煙草を吸うようになってから三年が経ったな、と思い返した。それはグランパが死んだ夏からだった。

ダイビングを生業にしながらも煙草を吸う人間は意外に多いが、やはりダイビングをしながら煙草を吸うというのは肺活量や運動量にも影響があって、彼らは実力のないやさぐれた人種として捉えられていた。
僕はこの街で一番素潜りの上手い人間だったし、年齢を重ねて身体が人生のピークを迎えようとしている今では上達のほどもあるのだが、それに悪影響もあるようだった。
もしかしたら煙草を吸わなければ更に潜りが上手くなったかもしれない。しかしそれに対して何かを思うような潜りに対する切実さは僕の中にはもうなかった。ただ毎日午前中を海の中で過ごすというずっと続いてきた日課を変化を嫌って崩さないでいるだけだ。

平穏を欲して平穏に慣れた二十代の今、十代の終わりの時期に抱えていた感傷と呼ぶには強かったあの感情について想いを巡らせれば、あの時期は大切なガラス細工を握りしめて割れた破片で手を切るような日々だった、と言えた。

 その精神に偏重していたと言っていい十代を終えた後の僕にとっては、精神と肉体が確かな調和を持って機能することは何よりも大事に思えた。精神と肉体、それは一本の鉄棒に繋がれた二つのタイヤ、と言えた。互いのサイズが違えば真っ直ぐ進むことが出来ずに曲がってしまう。そして僕は結果として肥大化していく精神と成熟していく肉体を萎縮させていく方向を選んだと捉えることができる。
そういう言い方になるのは、それは自然に起きた事で、僕はそれを自らの意思で進んで選んだとは言えないからだ。
僕は三年前グランパが死んだ後、その悲しみを忙しない日常の多くの要素と共に苦労して乗り越えて、具体的な現実にのめり込むことが嫌になり、何にも関心を持てなくなってしまった。
単純に笑わなくなり、泣かなくなった。あるいはそれに起因する感情すら平坦になった。
それを大人になったと簡単に済ませることもできるように思えたが、驚いたことにそれをするには僕は多感な十代の内省と葛藤の日々にそれなりの安心感を覚えていたようだった。
自己嫌悪も絶望も何かしらの自己肯定の要素を孕んでいたのかもしれなかった。あるいはそれに身を費やしている間は僕は正しくいられると思えたのかもしれない。
それは少なくとも自分が正しくあろうとするための行為と言えるからだ。そしてそれを終えてしまって、何についても何も思わず、ただ忙しない日常の平穏の中にそれらを遠ざけて、ひたすらに潜り、煙草を吸う今では、そういった意味では自分の正しさを保てなくなったように思えた。
今でも社会に対して強く嫌悪を抱いたり何かを殴り飛ばしたくなったりすることもあの時のように多々あるのだが、自分の正しささえ確信できない今では、その突き上げた右手は空を切り、シュッと音を立てるばかりであった。
僕はあの十代の頃のように、切実に潜り、切実に友人を愛し、切実にグランパの死を悲しみたいのかもしれない。そうすれば今よりはまともでいられるのかもしれない。
しかしもうあの頃に戻れないのは確かで、僕は今の僕なりの何かを見つけなくてはならないのだ、と最近は思うようになった。
それを見つける切実さも持てないまま。


 何年前かの記録的な酷暑の夏、グランパの葬式のあの昼下がりも、どうしようもない夏の午後だった。

グランパが死んだことを知ったその日、僕はいつものように浜辺に行き、マリンスーツを着てシュノーケルを付けて海に潜っていた。
僕は海に潜ることの危険性をよく知っている。準備体操とストレッチのルーティーンを欠かさず行い、まだ冷たい海水に体を慣れさせてから器用なクロールで浜辺から徐々に離れた。
その時僕の目標はあるポイントの水深約二十メートルにあるイソギンチャクに触れることだった。ポイントに着くと僕は立ち泳ぎをし、穏やかな波を感じながら空を見上げた。
太陽が目を刺し、目の裏の奥底まで焼けるようだった。
僕は、自分の眼球が文字通り球のように丸いことを感じた。
そして大きく息を吸った後、深い海へと入り込んでいった。
体を海底と垂直にして平泳ぎの動きでのめり込んでいく。水圧が僕を襲う。頭が痛い。途中で何度か耳抜きをして、やがて前に諦めてしまった深さまで辿り着いた。
僕はさっき目を焼いた日差しのその残り跡を確かめるようにゆっくり瞬きしてから、もう一度力を振り絞って潜った。
そして海底の岩に張り付くイソギンチャクを目で捉え、手を伸ばした。するとそれに驚いた小魚がさっと飛び出して逃げていった。
僕はそれを眺めてから、最後の力でイソギンチャクに触れた。その後、僕は体を反対にして仰向けになり、海底にまっすぐ届く太陽の光を眺めた。あの頃の僕は海底から見る太陽が好きだった。
波で太陽が揺れている。小魚が泳いでいる。
なんとなく口に残った空気をぽうっと吐き出してリングの泡を作った。
泡は徐々に海面へと上がっていく。真ん中に太陽が見える。綺麗だ、と思う。そして目標が達成できたことを嬉しく思った。

 浜辺に戻ると、近所の少年が最近倒れて危篤だったグランパが死んだことを教えてくれた。僕は、すぐに行くよ、とだけ言ってマリンスーツの上を脱いで塩っぽい体を日差しで温めた。そうか、グランパは死んだのか、と思った。

 グランパの葬式の後の火葬場の昼食時間で僕は何処にも居場所がなく外に出た。そしてグランパの肉体を焼いた煙が潮風に流されていくのを眺めた。そしてグランパが潜りを最初に教えてくれた時のことを思い出した。

「海に潜ることは自分の中に潜ることと同じなんだよ。潜っている間は生きているのに必死で何も考えられないのに、海面に出りゃあ一晩考えた時より色んなことが見えちまう。そして、いいか、何よりも大事なのはな、海に潜るってことは死に近づくことなんだ」

幼かった僕にグランパはそう言った。
グランパは長年の素潜りで骨が少し変形しており、足を少し引き摺るような形で歩いていた。
浜辺で遠く水平線を見ながらそうつぶやくと、分厚くゴツゴツした掌で僕の頭を撫で、僕の手をとって強く握った。その時の僕はまだ幼く、グランパの言葉の真意は掴めなかったが、グランパの掌の暖かさに包まれると、それは陽射しに温められた砂浜の熱を足の裏で感じた時のようで、嬉しく、安心して、少しこそばゆかった。

それを思い出してからも、僕はグランパの死んだ悲しみと共に、今までのように毎日海に潜った。そして海に潜ることの意味合いが変わったようにも思えた。
毎日海に潜りながら何かを考え、そして地上ではほとんどのことを考えなくなった。
海に潜ることは自分の内的世界に潜ること、そうだ、そうだったな、と思った。

 このように僕の長いとは言えない人生の中にも何人かの人々との出会いや別れ、そして何個かの言葉があって、それはある時々によって形を変えて生活の道標のように思い出されて現れることがあった。その度に僕はこの街に吹く潮風のことを思った。
そう、風が過ぎ去っても少なくとも風は僕のすぐ傍にいた瞬間があったのだ、ということ。

 僕がこの街にやってきたのはまだ十歳の時だった。穏やかな海、真っ白な浜辺、海岸線に反り立つような山々に囲まれて、いつでも潮の匂いと砂が混じった風の吹くこの街は、人口が数百人の小さな街だった。
線路が一本通っていて、午前と午後に一回ずつ二両編成の旅客電車が走った。
両親が蒸発してグランパに預けられた時、僕は異邦人だった。
街に暮らす子供たちは皆が気持ちよく日焼けしていて真っ白な歯を見せて笑っていた。
当時の僕は色が白く体の線も細かった。生まれた都会ではスイミングスクールに通っていて泳ぎには自信があったが、海で育った彼らの方が泳ぎも上手く速かった。
彼らは実務的に泳ぎ、実務的に潜った。幼い僕にとって泳ぎはスクールバスに乗ってから為される非日常の行為であり習い事でしかなかった。
街の子供たちは僕の色白い肌と下手くそな潜りを笑い、馬鹿にした。
それに対して幼い僕は怒り、悲しくなり、泣き出して殴りかかろうとしたが、巨大な自然の中で育った男の子達には敵うはずもなかった。
そして僕はグランパの待つ家に帰り、潜りを教えてくれ、とせがんだのだった。

やがて僕は街で一番素潜りの上手い青年になった。しかしそれが周囲から称賛されたのは随分前の話で、周囲が大人になり、モラトリアムを抜けた実社会で暮らす人間になっていくと、その行為は極めて個人的で緻密な繰り返しの営為となった。
この街に来た僕を馬鹿にし、やがて僕と共に毎日海で遊んだ男の子達は、海で生きる男らしくこの街の産業の担い手である漁師になることを望んだ。
それはアメリカの血気盛んな青年が軍隊に入ることを望むことくらい自然なことだった。
彼らは父親の属する漁業組合に入り、深夜に起きて荷を積み下ろしし、漁に出ては網で魚を獲った。
彼らの自慢はその屈強な身体と、大物を釣り上げること、そして海を熟知することだった。彼らはやがていつまでも浜辺の近くで黙々と小さな目標のために潜り続ける僕を変わり者だと思うようになった。
しかし彼らは海に生きる者特有のおおらかさと明るさで今でも僕と友好な関係を続けていた。

この街でも全員が漁師になるわけではなかった。生湯が海水で、海やその文化と共に生まれ育っても持ち前の気質がそうさせないこともあった。
ある者は郵便局に勤め、ある者は数少ない観光客の為の仕事をした。
そして他の者は静かにこの街を去った。彼らが近くの小さな都会か、あるいは遠く離れた大きな都会に行くかは様々だったが、なぜかその多くが海の近くの住宅地に住んだ。
何かの用事で街に帰ってきた男は僕に語った。

「俺はこの街の閉鎖的でくだらない風習が嫌いだった。全部が抑圧的で腐っているって思っていた。だからこの街にいる時、海は当たり前にあったけどわざわざお前みたいに潜ったり夕陽を見にいったりはしなかったんだ。海も嫌いになりそうなくらいだったからな。でもさ、この街を離れて長いこと都会でタフに暮らしているとな、俺は海が見たくなったんだ。海は全てを包み込む母だって教わってきたけど、俺には俺が海から逃れられないというか、海が俺を包み込もうと追いかけてくるようにすら感じるんだよ」

 僕はそれを聞いて男のサラリーマン的な格好と髪型を笑った。
そして「わかるよ」とだけ言った。
僕らは海から生まれ、そして海から自由になることはできない。


僕は色んなことを思い出した後、煙草を揉み消して今日が電柱と約束をした日だったことに気付いた。
毎年この時期に僕は彼とウミガメの孵化を見にいくのだった。
それは僕がこの街に来て、まだ慣れない時期に幼い彼が誘ってくれてから毎年の行事となっていた。電柱は僕の同級生の男で今は遠洋での漁業に従事している。
今朝この街に帰ってきて恋人に会ってから来ると手紙が来ていたのだった。
その手紙には僕の知らない遠い街の切手が貼ってあって、彼が船で釣り上げたのであろう大きな魚を持っている近影と美しい漁港の絵のポストカードが入っていた。
随分美しいところだな、と思っていたら、手紙によればそれは彼が実際に訪れた街ではなく(実際、遠洋漁業というものは旅のような華やかなものではなく延々とつづく大海原の中の孤独な営みなのだった)彼の仲間の船員の故郷ならしいのだった。
手紙には、俺はいつかは故郷を出て、このような美しい街で白い小さな家を建てて、魚介のパスタや書斎に入り込む西陽なんかと共に今の恋人と暮らしたいんだ、だからこのような肉体に過酷な仕事をこなしているのだ、と書いてあった。

(以下続く)

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