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”このくらい”の底上げ
「このくらいでよくね?」が重要という話。
昔から、妥協を許さない姿勢が嫌いである。
なぜなら、終わりがないからだ。
例えばこんなの
・掃除をしていて、「これくらいでいいや」と思ったら、「ここも汚い」と言われる。
・資料を作っていて、「これくらいでいいや」と思って出したら、「もっとちゃんと作れ」と言われる。
基本的に、”突き詰める系”の作業は、いくら時間があっても足りない。
掃除にしろ、資料にしろ、粗を探そうと思えば、いくらでも探すことができる。
練習で監督に
「良いというまで走ってろ!」
と言われる絶望感に似ている。
いつ終わりが来るか分からない。
おわりが見えないことの絶望感ったらない。
そこで、ある種のボーダーになってくるのが、
「このくらいでよくね?」
という感覚値だと思う。
個人的な感覚だが、
「これくらいでよくね?」に到達するまでのモチベーションは結構高い。
しかし、
「これくらいでよくね?」以降のモチベーションは格段に下がる。
パフォーマンス的にも、
精神衛生的にも、
「これくらいでよくね?」という感覚値は非常に重要な気がする。
ただ、それだけだと仕事は回らなくなる。
みんな「これくらいでよくね?」でやっていたら、向上するものも向上しなくなる。
そこで提案したいのが、「これくらいでよくね値」の底上げだ。
みんなの「これくらいでよくね?」のボーダーが上がってくれば、勝手にパフォーマンスが上がってくる。
先の例で考てみる。
・掃除をしていて、「これくらいでいいや」と思ったら、「ここも汚い」と言われる。
⇒ 指摘された後、しぶしぶ掃除する。
⇒ 次の掃除の際、「これくらいでいいや」と思うが、前回指摘されたからちょっと頑張る。
⇒ が、また「ここも汚い」と指摘される。
⇒ 繰り返し…
・資料を作っていて、「これくらいでいいや」と思って出したら、「もっとちゃんと作れ」と言われる。
⇒ 指摘された後、しぶしぶ修正する。
⇒ 次の資料作成の際、「これくらいでいいや」と思うが、前回指摘されたからちょっと頑張る。
⇒ が、また「もっとちゃんと作れ」と指摘される。
⇒ 繰り返し…
こんな感じのループで、「これくらいでよくね?」という感覚値が底上げされていくのではないかと思う。
上に立つ人も、「一回で覚えろよ」と言いたくなるかもしれないが、そこは辛抱。
「今は、これくらいでよくね値を底上げしてるんだ」と思えれば、ちょっとは辛抱できるのではないかと思う。
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