見出し画像

伸び盛りの維新、しかしある意味では今が最大の苦境にあるとも言えるー新興政党が必ず通る試練、人材難ー

 先の参院選で比例で野党第一党、議席も倍増と大きく勢力を増した日本維新の会。注目度も以前と比べれば大きく高まっています。

維新の会の議席増加
2012年は実質的に別政党


しかし、維新の会の「国会議員」を何名言えるか数えてみてください。馬場伸幸、鈴木宗男、音喜多駿、足立康史、東徹……(敬称略)このあたりが有名どころでしょうが、例えば、比例得票率で維新に競り負けた立憲民主党の、小沢一郎、野田佳彦、泉健太、枝野幸男、岡田克也、江田憲治……(敬称略)と比べると明らかにネームバリューで劣ります。
 このネームバリューに劣るというのは、選挙戦では圧倒的に不利に作用します。ある選挙区の候補に応援弁士が来ても「こいつ誰?」となって人が集まらないわけですから…。


維新は新入社員ばかりの大企業?


 そしてネームバリューに加えて、党をまとめた経験の少ない議員が多いのも大きな問題です。現在、維新の会の主要執行部に入っている国会議員は、馬場伸幸共同代表、藤田文武幹事長、柳ヶ瀬裕文総務会長、音喜多駿政調会長の4名です。この4名のうち馬場共同代表を除いた3人は参院選終了時点で国会議員になってからの年数が3年未満です。
 企業に例えるなら、維新は国会議員62名、地方議員大阪系合わせて379名、それを支える秘書、党職員と大企業に値します。この大企業の副社長、専務、常務が全員入社3年以内となっているようなものなのです。
 そもそも日本維新の会は衆院で5期以上当選した議員は0、4期以上当選した議員は6名でうち非大阪系は2名のみという極端なベテラン議員の少なさとなっています。そして参議院議員は衆議院議員以上に極端で4期以上当選した議員は0、3期当選した議員が2名のみとなっています。

人材難の要因

 この人材難の唯一とも言ってもよい理由が維新が急激に伸びた政党であることです。日本維新の会という名の政党は10年ほど前から存在しましたが、さて、上記のような深刻な人材難ですが、この記事でも書いたとおり、当時の維新の会は統一感がなく、分裂の後にできた現在の維新と同一の政党とみなすことは困難です。

そのため、現在の維新の会の主力となっている議員は、2015年以降の新生・維新の会での当選メンバー。そこに分裂以降も維新に残った(旧)維新の会のメンバーが混ざっているのです。
 これがもしベンチャー企業なら他社から優秀な社員を引っ張ってくることが可能かもしれません。しかし、これが政党となると勝手が違います。選挙で別の政党の候補として支持を受けた議員が他党に移籍するというのは民主主義としてどうなのかという問題があるのです。実際にはこのようなかたちで議員を増やす場合もありますが、とくに野党の場合、こうした議員は比例復活枠目当ての場合が多く、「優秀な」議員確保とは違ったものになってしまいます。

松井代表の辞任と代表選 大阪の地域政党からの脱却

 こうした維新の事情を考慮してのことかは分かりませんが、これまで維新の会をまとめてきたのは大阪系の2首長でした。

吉村知事と松井市長

 ところが先の参院選の直後松井代表が事前の発言通り辞任を表明。吉村副代表も代表選不出馬を表明しました。
 松井代表の「任期満了辞職が決まっている者がいつまでの代表にいるべきではない」という発言は言葉通りとるとして、吉村副代表の不出馬は大阪色払拭の狙いが見受けられます。すなわち、あまりにも党内の大阪パワーが強すぎると「維新の会は大阪の政党でしょ」「自分の地域のことを大阪の人が決めるのはちょっと…」という有権者が他県で増え、これからの選挙戦が戦いにくくなってしまいます。こうした有権者に苦しめられた代表的な選挙区が京都選挙区です。

また、そろそろ政権に代わる選択肢として総理になれる議員が代表のほうが良いという考えもあったでしょう。
 8月には維新の会の代表戦が行われます。現時点で立候補の意向を示しているのは梅村参議院議員のみです。(書き終わったあとにニュースを見返したところ馬場共同代表と東徹議員も出馬の意思を示していました。)その他、馬場共同代表も出馬の準備をしているのではないかという報道もあります。役員としての経験年数からすれば、馬場共同代表が有力候補となりますが、維新代表選は党員議員ともに一人一票。一般党員の投票で結果が決まるとも言え、先は読めません。有力候補が馬場候補だけではそれ自体が人材不足のあらわれともとらえられかねません。

なぜ「今」が「最大の」苦境と言えるのか

 これは単純にときがたてば多くの議員がベテランになるからです。それでは昔のほうがもっと深刻だっのではと思う方もいるかもしれませんが、維新がその名の通り、大阪の地域政党だったころは人数も少なかったため、まとめる人の人数もそこまで多くは必要ありませんでした。実際、小規模政党である社民、N党、れいわに対して人材不足だと言われることはあまりありません。維新の場合、所属議員がほとんど大阪系だったため、大阪の2首長がまとめれば十分だったという事情もあります。野党第一党までもう一歩という今が最も苦しい時期なのです。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしこの記事を気に入っていただけたら、フォロー、よろしくおねがいします。


 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?