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②「何があっても絶対に、大切な物からは手を離してはいけない。」それは彼の口癖だった。

車から降りた私は、自分の体が自分のものでない様な感覚のまま、何も考えず、歩いていた。携帯を開かず、ただ何となく目の前にある道を呆然と歩いた。
別れ際の彼の言葉が背中からまだ聞こえる。〝ここまで送ってやったのに、仕事行かへんってどう言う事やねん!!〟彼の言うことはいつだって正しい。当然だ。仕事の合間を縫ってわざわざ車で1時間もかかる所まで、起きなくても良い時間に起きて送ってきてくれている。それも今日が初めてでは無い、私が会いに行った時可能な限り彼はいつだって私に対して全力で優しさをくれている。そんな彼に、私はどうしてこんなに酷い事をしているのか?我慢が出来ないのが情けなくなる一方で、いまだに不安は消えていない。その不安にも押し潰されながら私は、〝もう2度と彼の前には現れるべきではない〟と言い聞かせる様に心の中で唱えた。

人と人との別れは〝死別同然〟でたとえ喧嘩別れであったとしても、互いに死んだと同じに値するから絶対に大切なら手を離してはいけない、と彼はよく話していた。よく話していた、と言うのは、喧嘩になるといつも私は軽々しく〝別れ〟を切り出すからだった。その度そうやって私を諭し、話して、そして抱きしめてくれて今までの長い間一緒にいる事が出来ていた。
今回私は一方的に手を離してしまった。しかも携帯を触れず無視した状態であり、彼はこの私の行動をなんと受け止めているだろうか。。。

彼との日常といえば私は仕事の休みはいつでも彼に会いに行っていた。休み前日の仕事終わりにはまっすぐ彼の元へ向かった。私は自分の休みであったとしても何の苦もなく、むしろ生き返る為に訪れていた。そこには少しの生活があり、周りの人たちから奥さんと呼ばれ、幸せを感じられる空間であった。ただ、そこは彼のお店であり、家ではない。そんな生活をこの春から続けていた。

そもそもの私の不安だった原因。毎年の彼の7月の25日と言うのは、天神祭に参加する日だった。今年は世話役の人が名前を書き忘れ参加できなかったと、3日前に私は教えてもらった。彼はいつ知らされたのか聞くと「俺も最近やで聞いたの。」と言った。どうやら書き漏れている事を気がついた世話役の人がギリギリまで粘ってくれたみたいだけど、無理だったようだった。彼は何年も毎年恒例行事として参加していたこともあり残念がっていた。「あ〜、明日は仕事休んで1人で海外でも行ってこーかなぁ、天神祭の雰囲気感じたく無いわぁ、せめて大阪から出ようかなぁ。。」独り言の様にこぼした。これを聞いて私は、天神祭には出ないけれど何か大切な用事があるのではないかと勝手な想像をした。私が仕事ではあるが、万が一会いに行ったとしても、会えないという事実を先に匂わせていると考えていた。
基本的に休業日の無いお店の為、何かの用事がなければ店は開けている。ここの所イベントや打ち合わせで、数日休んでいたし、打ち合わせの間に私が店番をしていたこともあった為、それだけの事で〝店を閉めて…〟と言った彼の言葉に、私は何か引っかかった。(今思えば〝それだけの事〟?と思ったが、よくよく考えたら、確かに毎年の様に参加していた彼にとって賑やかしい大阪の空気感は大変虚しい事だったのかも知れない。彼が話した理由以外に、嫌な理由があったのかも知れない。そう思い返すと〝それだけの事〟と考えた事を申し訳なく思った。)
そして、その時には「休むの?今週2日も休んでるのに良いの?」と聞くと「そうやねんなぁ、やっぱり開けるべきよなぁ。」とは言っていた。「夜は会える?仕事の後来ても良い?」「もちろん。迎えに行ったろか?」「え?仕事は?」「朝の打ち合わせの後はまぁ、開けるつもりやけど…。とりあえず終わったら電話してや。」(…と、何か濁した様に感じた。)「分かった。けど、お店おんなじ休むんなら、私が休みの日に休んで欲しいわ。」と言うと「んー、まぁなぁ。」と。
4月から始まって、私は自分の休みのたびにお店に来ている。確かにお店が終わってからご飯を食べに行ったり、朝買い出しに出たりと、お店に缶詰ということはないけれど、開店している時間が長いから、遠くに出るという事は1日もしていないし、彼に〝私の休みに休みをとって〟というのもこの時初めて言った事だった。

7月24日の夜は、そんなやりとりから私はモヤモヤした気持ちで、彼に迫っていたのだった。

✳︎読んでくださりありがとうございます。
この続きはまた次回に♡

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