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桜(ソメイヨシノ)の虚しさ

私は桜が、ソメイヨシノが哀れに思います。

人間の都合で江戸時代に品種改良されて自家不和合成、つまり、去勢されてしまっているからです。

実を結ぶための花を咲かせるわけではなく、人間のお花見のために、道楽のために生かされてるだけです。

生命を繋ぐ能力のない花を愛でる。
お花見の時だけ桜を楽しむ。
手前勝手な人間に振り回された植物に儚さではなく、虚しさを覚えます。

生き物としての、種の保存としてのアイデンティティを絶たれた花を愛でるお花見に、なんの楽しみがあるのでしょうか。

春のお花見が常態化してしまっている人々にもアイデンティティのなき行いとして私は捉え、冷ややかな目線を送ってしまいがちなのです。
私は桜が開花してもワクワクしないのです。

ソメイヨシノのが咲かせる花はおろか、それを愛でる人々の行いにアイデンティティのかけらを感じません。

だから私は花見に心が踊らないのです。

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