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#012:眠らぬ夜のマレーシア〜集中力と楽しさと書くこと。

マレーシアは今、午前5時55分である。
昨夜から、実は寝ていない。
でも、元気。書いていて楽しい。書くことが楽しい。

これって、中学生の美術の授業で『ガラス絵(板ガラスの裏側から絵を描く作品)』をやった時に、ハガキの半分ぐらいのサイズのガラスを勝手に持って帰り、その当時大好きだった渡辺美里のライナーノーツの傘を持った写真がかわいくて、それを下に敷いて作品を作っていたら夜が明けていた、あの時ぐらいの楽しさだなぁ。哲学対話を始めたころ、2020年の春に気づけば明け方までしゃべっていた時に感じた楽しさにも近いかもしれない。

夢中になれば、なんだってできる。

私にはそんな自信がある。
今回だって、タイトル文字を上位レイヤーにして、その下に写真をしくという作業を自分で発掘(発見?)できたし、チャンギ空港のトランジット中の出国について、次回はもっとスムースにスマートにそして優雅にJewelの% Arabicaで珈琲を飲んだり、スカイトレインでレイン・ボルテックスの横をすり抜けたりできる準備もできたし、なにより三日坊主な私はもう既に11個目のnoteを書いている!
なんだかよくわからないけれど、6周年記念バッチが先日届いていたけれど、超絶遅ればせながら、今になって、友達のzine計画に刺激されて、やっとnoteの楽しさに気づいたみたいだ。気づけたみたいだ。

ここでふと、思うのは。
私はもともと下手の横好きで書くことが好きだったこと。
だけど哲学対話という遊びを始めて、毎度開催する記録をつけたり、なにか感じたことをまとめておこうとすると、なぜか書けなくなり、そして書かなくなっていたこと。実は6月ごろから哲学対話や対話Barの開催回数を減らし、とうとう先月と今月は未開催になりそうで落ち込んでいたんだけど、このタイミングでこの集中力、この楽しさを振り返ると、実は「考えること」「対話すること」には、もしかして私に「書くこと」を遠ざける何かがあったのかもしれない。私にとって対話するアウトプットと、書くアウトプットは両立しないのかもしれないなぁ・・と言いつつ。実は「哲学対話や対話Barに関することだけ、書きたくなくなる」という私の中に性質があっただけかもしれないけれど。

何はともあれ。
私以外の誰でも同じように、『強力な集中力は楽しい瞬間を生み出す源』であり、また『楽しいと感じる瞬間は火事場の馬鹿力的集中力を産みだす種』となり、その卵と鶏の間で『自分の潜在能力』を見つけることができるんじゃないだろうか・・なんてね。

睡眠不足の時にでる脳内ホルモンで「ちょっと思考がやばいことになっているな」と感じつつ、「あ、昨夜飲んだコーヒーでトリップ?!」と、友人にもらったコーヒーのタイトルを思い出すのでありました。

大麻・・ブレンド??
酸味もほどよく、美味でした。

さて、そろそろ寝てやるかw

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