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答えが1つ出たのだ

8年勤めた高校の教員を辞めることにした。
「私はお母さんと一緒にいたい。」
「やらない後悔はもうしたくない。」
という、フツフツとわいてきたオモイを止めることが出来なかったからだ。

父が亡くならなければ決断しなかったと思う。
(父が亡くなった次の週に、校長先生に退職することをお伝えした。)
もっと計画的で賢明な方からは、突発的で、衝動的な良くない決め方のように見えると思う。
(ビジネスパートナーとしては注意が必要だと私が相手でも思うから笑笑)

でも、たぶん。
私はここで辞めなかったら、ずっと「飽きた私」でいた。

自分が、自分に、飽きてるのは知っていた。

先生という世界で上になる気がないことも、
先生という組織の中で上に上がれるくらいの、裁量がないことも分かってた。
どっちかというと、組織の中では大人しくて、絡むの面倒臭い人や、目立たないけど面倒な仕事を処理する人だ。組織のリーダーには育ててもらっていない。
「良い先生」って重労働だ。予想以上に。

もっといえば、
仕事と両立していたかったはずの事も「できない」

勉強したいことも、時間がないと諦めて勉強しない。
疲れたって言ってやりたいと言ったはずの企画の企画書を書けない、計画しない。
事務仕事集中モードとクリエイティブ集中モードを切り替えるのが下手。(私に1日に2つのエンジン動かせるエネルギーはないみたい。)
未来がどんどん見えなくなってた。

やりたいのに、できない私が重なって、
「できない自分」にも本当に飽き飽きしていた。


またやるの?来年も。同じ自分。



そんな所に「もういい加減にしなされ」と、
「ぐずぐずせんと決めなさい」と、
言わんばかりに「0」になる時間ができた。

大事なのは家族で、私の愛する人たちだ。
じゃあ一人暮らしの意味ないなぁって一人暮らしを辞めることにして、
やりたい事をやって死のう。
って、自分の人生に本気で時間割くために仕事を辞めた。

神様の後押しってジャストタイミングすぎて凄い。
周りの人からしたらビックリだと思うけれど、私には正しいタイミングなんだよね。



だから、先生でいるのもあと2週間くらい。
しっかり堪能しよう。













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