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彩りと日常 第四話
第四話 「Blue flame in my heart」
4月、僕の席の隣には、アメリカからきたALTが座ることになった。
ALTとは、Assistant Language Teacherの略で、外国語を母国語とする外国語指導助手のことだ。全国の小学校や中学校・高等学校に児童・生徒の英語発音や国際理解教育の向上を目的に各教育委員会から学校に配置され、授業を補助する立場だ。
彼らの勤務実態については、同じ教員でも英語科や管理職しか知らない。
慣れない土地に転勤してきたばかりの僕は、職員室内を見渡しても知っている先生は、ほとんどいない環境だった。
そんな環境で英語科の僕は、来日一年目のジェイクと英語でコミュニケーションを取る役目も兼ねる事になった。
お互いに知っている人がいないということ、お隣同士の席、さらには歳も近いこともあり、僕と彼は顔を合わせると頻繁に会話をするようになった。
とは言っても、ジェイクの出勤日は週に2回。水曜日と木曜日だ。
それ以外の平日、彼は市内の他校で勤務している。僕と彼の英語、時々日本語で行われる会話は主に水曜日と木曜日の空き時間、あるいは放課後に交わされることが多い。年末を迎える頃には親友と言ってもおかしくないほど親しくなっていた。
職員室の女性教員たちには、「ホープ先生とジェイクは、本当に仲良しよね」とからかわれる程になっていた。
ホープ先生とは、僕のことらしい。最初は呼ばれるたびに恐縮していたが、次第にそんな感情も薄まり、単語の意味ではなく名称として使われていることに違和感がなくなっていった。一体誰がそんなあだ名をつけたのか知らないが、いつの間にか職員室内で定着していた。
ジェイクとはMINEを交換し、暇な土日には、都会に繰り出していた。独身者で知り合いの少ない僕たちが国境や言葉を超えて仲良くなるまでに大して時間はかからなかった。
冬休み目前の昼下がりに、ジェイクは僕に小声で告げてきた。
「気になる女性がいるんだ。同じALT派遣会社の子なんだけど、冬休みは彼女と遊ぶよ」
僕はジェイクからのいきなりの話に、すごい顔をしていたのだろう。ジェイクは「ニカっ」と白い歯を私に向けながら、言葉を続けた。
「うまくいかなかったら、慰めてくれよ、ホープ。でも、うまくいく方を祈っていてくれよ」
久しぶりの長期休暇。部活動もなく、田舎に帰るわけでもない1月2日午前8時45分。
休みであってもいつもと同じ午前6時に目が覚めるのは、もう職業病といってもいいだろう。
今日も相変わらず同じ時間に起き、僕はゴロゴロとしながら、ぼんやりとテレビを見る。こうやって冬休みの大半は、部活動指導か、ゴロゴロとして過ごしている。テレビの画面の向こうでは、もう何度目だろうか、晴れ着姿のアナウンサーが幾度となく「明けましておめでとうございます」を繰り返している。
あぁ、……暇だなぁ。雅楽も「明けましておめでとうございます」も、もういい加減聞き飽きた。何かおもしろいことはないだろうか。
そんなことを考えていた矢先に、ピコンとスマホが音を立てた。
ジェイクからのMINEだ。
「やぁ、ホープ。新年あけましておめでとう。元気にしてるかい?」
やぁ、ジェイク。元気そうだね。僕は心の中で返事をすると、次の文に目を移す。
「ホープ、今日とんでもないことがあったんだ! どこかで会って話をしないか?」
とんでもないこと?! 一体なにだろう? 声をかけると言っていた彼女とのことだろうか。退屈な正月に辟易としていた僕は二つ返事でジェイクと会うことを決め、急いで身支度を整える。
僕の家からジェイクの家は電車で2駅だ。
近いと言えば近いし、遠いと言えば遠い距離に住んでいる。
ちょうど2人の家の間にファミレスがあるので、僕たちは普段からそこで落ち合っていた。
駐車場に車を停めているとファミレスの入り口で大きく手を振るジェイクを見つけた。彼は、お気に入りの黒のダウンに細身のジーンズを着ている。
「やぁ、ホープ。明けましておめでとう。今日も寒いね」
「やぁ、ジェイク、明けましておめでとう。寒くて凍りそうだよ。中に入ろう」
カランと入り口のドアについたベルの音を立てながら、僕たちは入店した。
「いらっしゃいませ〜。何名さまですか?」
僕は右手の人差し指と中指を立て、「2人」と店員に示しながら人数を告げる。
「こちらどうぞ〜。後ほどご注文を伺いに参ります」
今日案内された席は、奥まった角の席。
僕たちが日頃、特等席と呼んでいるこの店で最も居心地のよい席だった。新年早々ツイてる。
オーダーを済ませ、ドリンクバーで互いの好物を取り、会話の準備を整える。
僕はなぜか少し緊張しながら、ジェイクに切り出した。
「で、ジェイク、とんでもないことって何が起こったんだ?」
ジェイクは取ってきたコーラを少し口に含んでから、話し始めた。
「昨晩から今朝にかけて、不思議な夢を見たんだ。ホープは信じないかもしれないけど、夢の中で3年後のボクからの手紙を受け取ったんだよ!」
大きな明るい茶色の瞳を輝かせて話す彼のグラスには、瑪瑙色の泡が浮かんでいた。
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夢の中で、ボクは家のポストを開けたんだ。すると一通のエアメールが入っていた。最近ではメールでやり取りすることの方が多いのに、分厚い水色の封筒が入っていたんだよ。
この間、ホープが『日本には青を表す言葉がいっぱいある』って教えてくれた、アレ、空色より少しくすんだ感じの水色、「ワスレナグサ色」の封筒だった。
当然、ボクは不思議に思って、宛名と送り主を確認したよ。
「3年前のジェイクへ」
「3年後のジェイクより」
こう書かれていた。ボクは半信半疑で何度もソレを確認したさ。
普通に考えて、そんなアメイジングなことは起こらない。非科学的だよ。そう思ったけれど、結局、ボクは好奇心に負けて、それを開けたんだ。
中には水色から藍色へと綺麗にグラデーションになった青い便箋がぎっちり入っていた。
その一枚目は、こんなふうに始まった。
「やぁ、ジェイク、つまり3年前のボク、君は今、日本の中学校で初めて英語を教えるということにチャレンジしているよね。アメリカでボクたちは色んな企業で勤めたけれど、他の国で新しい一歩を踏み出す決意をした。君の決断の3年後を知りたくないかい?」
もちろんボクは知りたいと答えたよ。と、同時に疑ってもいた。
1枚目より少しだけ青色が濃くなった2枚目の便箋にはこうあった。
「今、君はこの手紙が本当に3年後から届いているのか疑っているだろう?
そりゃそうさ、ボクでも疑う。
だから君の状況を書いておくよ。
君は28歳で、まだ結婚をしていない。気になる女性が同じ会社内にいるタイミングだね。
中学校では特にホープと仲良しだ。彼と日々英語で会話することができて、日本での生活が充実している。
この間、日本に来て初めて近所の内科に行ったらアメリカの価格より大幅に安いことにびっくりしただろう? 日本の医療保険制度はすごいよなぁ。
日本とアメリカの中学生の違いにも驚くけれど、君は日本の文化や学校制度が気に入っている。
特に給食や制服、清掃活動、部活動を魅力的に思っている。
自分自身のことだから、まだまだ挙げられるけれど、どうだい?
これぐらいで信じる気になれたかい?」
ボクは2枚目を読んだ後、絶句したよ。
そこに書いてあることは、まさに自分の思っていることだったからだ。
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一気に話して、疲れたのか、ジェイクは再び少し気泡の減ったコーラを口に含んだ。
僕は話を聞いていたものの、そんな不思議なことがあるものかと信じられない気持ちがいっぱいだった。
しかし、ジェイクは嘘をついたりするタイプの人間ではない。それはこの9ヶ月もの期間を誰よりも近くで見てきたからわかる。きっと嘘ではない。
「ホープ、ピザが来た。さぁ、食べよう。続きは食べてからだ」
ジェイクは言い終わるよりも先に手を伸ばす。
「ここのピザはアメリカの味に近いんだよね」
そんなことを言いながら、割と大きめの一切れをペロリと食べる。
美味しそうに食べている様子を見て、僕もピザを口に入れる。
トマトの酸味と甘味が程よくきいたピザソースの香りが、ふわっと鼻から抜けていく。チーズとの相性もいい。ファミレスにしてはかなり美味しい。
注がれた当初よりも気泡が上がる勢いを落としたジンジャーエールを喉に流し入れ、僕はジェイクに言った。
「ちょっと信じにくいところもあるけど、ジェイクが言うなら信じるよ。続きがあるのだろう? 話してくれないか」
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良いかい? ホープ。3枚目にはこうあったんだ。
「君が迎えた新しい年は、試練の年になる。びっくりするぐらい試練があるだろう。伝えられる範囲でいうと、まず今、気になっている彼女は君の運命の相手ではない。最初はうまくいっているようだけれど、途中からうまくいかなくなる。その結果、君はとても傷つくだろう。
さらに授業がうまくいかない瞬間も出てくる。君の大好きな日本人の感性と合わない部分が出てくるんだ。君は大いに思い悩むだろう。
今の会社の雇用スタイルに対する不満も募ってくる。経験を積むとともにその理不尽さに不満が出る。
他にも色々とあるんだけれど、前もって伝えられそうなのはこれくらいだ」
この辺りまで読んだところで、ボクは目が覚めてしまった。
こんなことが書いてあった訳だけれど、ホープ、君ならどう思う?」
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「もし僕がジェイクなら、すごく悲しい気持ちになると思う。自分のこれから迎える未来が暗いと告げられたのだから」
ジェイクの眼を見ながら話すことが憚られるような気持ちになった僕は、俯き気味に返答する。
僕の返答を、どんな表情で彼は聞いているのだろう。
少し間をおいて、ジェイクがコーラを飲む音が聞こえた。
「ホープ、君ならそう言うと思っていたよ。でも・・・」
ジェイクの予想外に穏やかないつも通りの口調に、僕は顔をあげ、彼の眼を見た。
彼の眼はいつもと同じ蒼い輝きが宿っている。
彼の瞳は明るい茶色なのに、いつも蒼い輝きを纏っているように感じる。
「ボクは全部受け止めることにした」
全部を受け止めるとはどういうことであろうか。
彼女とうまくいかない、授業も、雇用関係もうまくいかない。
それだけでなく、他にもうまくいかないことだらけだと告げられているのに。
受け止める?
僕も授業や学級経営がうまくいっている訳ではない。
気になる事務の原さんに書類を渡しにいっても、修正ばかりできっと呆れられている。
新年であるにもかかわらず、実家に帰れないのも、家族とうまくいってないからだ。
うまくいってないことだらけの僕からしたら、ジェイクの「受け止める」は不可解以外の何者でもない。
「なぁ、ホープ、日本はすばらしいと思うんだ。こんなに安全に暮らせる国は、世界各地を探してもほとんどない。心ない言葉を電車の中で言われることもないし、いきなり何かを投げつけられたり、どうしようもない身体的な見た目で差別をしたり、攻撃してくる人もいない。ひょっとしたら、そんな人もいるのかもしれない。でもボクは今まで出会ったことがない。
学校でもそうだ。ほとんどの先生たちは優しくて、言葉の差があっても話をしようとしてくれる。時々翻訳アプリを交えてでも、コミュニケーションをしようとする。それがボクにはとても嬉しいんだよ。
言葉の壁があっても話をしようとするところが。
提供される給食も美味しい。食べたことのない日本食を毎日食べられるんだ。
こんな幸せ、他にあるかい?」
ジェイクはここまで言うと残りわずかとなったコーラを飲んだ。
グラスの中の氷がカランと音を立てる。
「どこで働くにしても、何かしらの不満は生まれるものさ。
ボクは今の給料には満足していないよ。もう少し給料があったら、貯金を崩さなくてもいい。
でもそれ以外には、大いに満足している。
ホープは今の仕事には満足してないのか?」
まっすぐ僕の眼をみて問うジェイクの瞳に僕が映り込む。
少しだけ、蒼い光を帯びた茶色い瞳が、僕を捉える。
自分がどうしようもなく動揺していることを感じる。
なんて滑稽な姿なんだろう。僕の自信のない情けない姿とは違い、ジェイクは堂々と自分の想いを表現している。
問われてもハッキリとイエスともノーとも言えない、どっちつかずな日本人思想の自分に少し惨めな気持ちになる。
ジェイクのようにハッキリと割り切ることができたら……楽だろうか。
返答に困惑している僕を見て、ジェイクは続けた。
「ホープにも多かれ少なかれ不満はあると思う。その不満は現状に納得していないから起こるんじゃないか。ということは、そこに伸びしろがあるんだろう?
納得できないのなら、自分が納得できるように不満や困難に立ち向かったらいいんじゃないか?」
ここまで一気に話したジェイクは、グラスの中で溶けた氷水を口に含んだ。
ほんとにジェイクの前向きさには頭が下がる。
困難を乗り越えられるかどうかを逡巡している僕には、彼の提案は眩しいものだった。
「なぁ、ホープ、君にもあるだろう? ダメだと思ったことを乗り越えた経験が。」
英語独特の倒置法を効かしながら、彼は僕に問う。
「その後、自分が成長したと感じた瞬間があったと思うんだ。
その体験は君だけでなく、小さな子どもたちにもある。
困難は乗り越えるためにあるんだよ」
確かに僕にもそういった経験はある。教員採用試験は2回落ちた。不合格だとわかった瞬間は、僕という人間を丸ごと否定されたように感じたものだ。
しかし諦めずに教師になりたいと試験を受け続け、やっと合格してつかんだ教諭という立場。もしあの時、諦めていたら……?
今では挑戦し続けて良かったと思っている。そして、あの体験が僕を強くしてくれたと思っている。
ジェイクは頷く僕をまっすぐ見据えて、言葉を続ける。
「ボクは、この夢を見て思った。
ボクはこれからも日本を好きである努力をしていける。
仕事を続けるために、恋人とのこれからについても悩むかもしれないけれど、ボクはまだ日本で働いていきたい。
だから未来がどうなるにしても、日本を好きでいる努力を最大限続けるだけだ」
そう言う彼の瞳には蒼い光が燃えている。それはまるで炎色反応で1番高温とされる海のような蒼。
その熱は僕の眼から体内へと吸い込まれ、やがて火を灯す。
「未来がどうなるにしても、好きである努力をする」
彼のその言葉は、苦しい状態の僕に向けて発せられた様だった。
きっと彼自身はそんなことは全く思っていなかっただろう。
でも、いつの間にか諦めぐせがついている僕には、必要な言葉だった。
僕はジェイクに向き直り、彼の眼を見て、告げる。
「僕も、未来がどうなるにしても最大限の努力をしてみようと思う」
僕の返答を聞いたジェイクは白い歯を見せて笑った。
「オッケー、ホープ。一緒に立ち向かおう。ところで明日は何をするんだい?」
日常の何気ない会話が進み始めた時に、僕は気付いた。
ジェイクの見た夢は、昨日から今日にかけて、つまり、1月1日から2日にかけての夢。言わば、初夢ってやつだ。
冬休みの始めに職員室で女性教員が話していた。初夢は正夢になりやすいらしい。あの夢は正夢になるのだろうか。
しかし初夢だとしても、きっとジェイクはいつもの明るい笑顔で白い歯を見せながら、こう言うだろう。
「そんなことよりも、好きである最大限の努力をする」と。
第一話「マーブルオレンジ」
第二話「ブラウンベージュ」
第三話「シルバーマジック」
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