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子育てのために田舎に移住して一年が経った

溢れんばかりのイチゴをもらった。

いつものお散歩ルートを子どもたちと歩く。おやつの時間になったので家に帰ろうと言うと、熱心になでている招き猫の置物から離れたくないと次男が泣いた。あまりにも泣くもんだから、通りがかったおばあちゃんが「どうしたの?イチゴは好き?少しあげようねぇ」と声をかけてくれた。イチゴ、の響きを耳にした長男がトコトコと駆け足で引き返してくる。

ぎゅうぎゅうになるくらい詰めてくれた。ひ孫に食べさせるために農薬を一切使わずに作っているらしい。


今朝は玄関にタケノコが置いてあった。誰の贈り物かはわからないらしい。

妻の実家はいつだって鍵をかけない。だからこんなことが頻繁に起こる。
今の季節ならブロッコリーやえんどう豆、玉ねぎやトマトがいつの間にか届いている。送り主不明のお届け物は、何故かはわからないが、夕方になる頃には送り主が判明している。じきに90になる義祖母のネットワークは凄まじい。

気がついたら妻の実家に引っ越してきて一年が経ち、知らない人がいきなり家に入ってきたり、玄関に野菜が積まれているくらいでは驚かなくなった。

田舎に移住する

二年ほど前にふたごの男の子たちが生まれた。
僕は広島でシステムエンジニアをしており、四ヶ月の育休を取ったりフレックスを利用して早めに家に帰ったりとなんとか妻と二人でがんばって育てていたのだが…心が折れた。いや、正確に言うと、日々の全ての時間を子どもたちに捧げるような生活を続けることに耐えられなくなった。もっと別の道があるはずだと考えるようになった。なんでこんな辛い思いをして子育てしなきゃいけないのかと、実に無責任だが心からそう思った。

だから変えることにした。
まず妻が疲弊しきっていたので、生後九ヶ月の子どもを連れて実家に帰ってもらった。そこから僕はフルリモート勤務可の職場に転職し、今では妻の実家に住みながら国内外のメンバーとWebサービスを作っている。

島根県益田市
人口約45,000
歌人柿本人麻呂が終の棲家にした土地らしい。
妻の実家の周りには畑とビニールハウスが並ぶ。新幹線は通っておらず、広島から片道3時間の高速バスがほぼ唯一の移動手段だ。何があってもここに住むことはないと、初めて挨拶にお邪魔した時に思ったことを覚えている。

僕自身、山口県小野田市という益田と同じくらい慎ましやかな土地の人間なので田舎のつまらなさは身に染みるほど知っている。社会人になり広島や福岡に住み、若かりし頃の自分がどれだけの機会と可能性を失ってきたのかを思い知らされた。

ひどい人間だと思われるだろうが、僕は子どもたちよりも妻が、そして自分が好きなようだ。もちろん子どもたちは可愛い。かけがえのない存在だと思う。だが子育てが人生の全てだとは毛頭思えない。僕はまだ自分自身の人生を何一つ諦めることができていない。
だから今は、一生住むことがないと考えていたど田舎で義祖母と義両親の力を借りて皆で子どもたちを育てている。自分の自由のためだ。

歩いてすぐの河原

妻の体調はとてもよくなった。夫婦喧嘩も減り、よく笑うようになった(核家族の頃は本当に離婚するかもしれないと思っていた)。僕自身の育児の辛さも1/10くらいになった気がする。

核家族で子育てをしている方々は本当にすごい。僕にはとても耐えられなかった。妻の親たちと一緒に暮らすことにはそれなりの抵抗はあるが、育児のしんどさと比べたら全然苦にならない。

田舎に引っ越して義両親と一緒に子育てをする、転職してフルリモートで働く、という選択をしてよかったと思う。
エンジニアの僕が田舎に住んでみてどうだったのか、よいところと辛いところを少しばかり書いてみるとしよう。

田舎に住んでよかったところ

島根県益田市は子育て、特に幼児を育てることにおいては最高だ。
人も車も少ない。四季折々の自然に満ち溢れている。好きなだけ駆け回ることのできる場所がそこかしこにある。海も山も近く、動物もたくさんいる。

何よりその辺りに住む人たちが一緒になって子どもたちを育ててくれる。

冒頭に書いたイチゴの話もそうだが、近所に住む方々が子どもたちを可愛がってくれる。家の前のサツマイモ畑は一区画だけ収穫せずに、うちの子どもたちのために芋掘り体験を与えてくれる。ゴボウが収穫できるようになると引き抜きイベントが発生する。家にある古いおもちゃや子ども服を当たり前のように持ってきてくれる。

この一年、毎日のように家の近所を子どもたちと散歩してきた。ご近所さん達は、まだ歩くこともままならない姿から、走り回るようになるまでの成長の過程を見守ってくれている。
最初は知らない人がいるくらいの反応だったが、今ではすれ違う人たちは皆顔見知りだ。犬でさえ全て知っている。

大きくなったねぇと声をかけてくれたり、収穫したばかりの野菜やお菓子をくれる。犬はなでさせてもらう。その地域の人たちと繋がっている実感がある。

不思議なものだ。ただ散歩を続けていただけなのに。人が少ないからこそ生まれる関係性なのかもしれない。何だかとても人間的で僕は好きだ。
この環境はきっと、何十年も同じ土地に住み、良好なご近所付き合いを続けてきた義祖母や義両親が作り上げてきたものだ。その恩恵を僕たちは受けているんだと思う。
逆にいうと、誰も知り合いのいない土地に引っ越してきてもこうはならないかもしれない。田舎生活に憧れがある方には知り合いの輪を作ってから移住した方がいいよと伝えたい。

義母がしいたけ作ってるので山ほど手に入る

自然が豊かってのも実に素敵なことだ。
子どもたちは保育園から帰ってきたら庭の畑や原っぱに遊びに行き、四季を感じている。収穫できそうなものがあればとって食べる。
今の時期は日々タンポポの綿毛を飛ばしまくり、イチゴが赤くなるのを見守っている。今週末は地区の田植えがあるらしい。
夏は成長途中のスイカを叩いてまわってから熟れたトマトを食べ、ビニールプールに入る。車で20分の義母の実家に行けば栗拾いや山菜取りだってできる。

時々、都心に住む人が考えるスローライフってのはこんな感じなのかなーと思うことがある。よくわからんが情操教育ってやつにもいい気がする。

田舎に住んで辛いところ

エンジニアとして急激に錆び始めている気がする。
とても怖い。

情けない話だが僕は実に怠惰で、誰かに頭をガンッと殴られないとがんばらない人間だ。広島にいたころはエンジニア仲間や勉強会で出会った方々が僕の頭をハンマーで殴ってくれていた。その度にこのままではいけないと、焦り、飢えていた。

益田に来て一年が経つがITエンジニアと出会えそうな気配を感じていない。本気で出会おうとしていないだけかもしれないが、エンジニアコミュニティというものが見つからない。これは結構致命的だ。なんだかんだ言って側にいる人間から影響を受ける。どうもインターネット越しではガンッと僕の脳を揺さぶるほどの衝撃を受け取れない(極稀にあるけどね)。

そしてふたごの育児という最強の怠ける口実を手にしてしまっているので、子どもたちと過ごす時間を大切に~と自分に言い聞かせているうちにどんどん錆は広がっていく。

6時起床→子ども起こしてご飯食べておかあさんといっしょ見る→8時半仕事開始→17時半仕事終わり→子どもと遊んでご飯お風呂寝かしつけ→だいたい21時から自由時間→23時就寝

この二時間を自己研鑽にあてられるかどうかだが、全然できていない。あれだけ顔を出していたITコミュニティにも随分と参加頻度が減ってしまった。もっと先に進むべきだとわかっているがまるでだめだ。住む場所のせいにするのは間違っているとも思う。子どもを寝かしつける頃には疲れ果てていて気力ってやつが行方不明になっているのだ。

この土地でシステムを作る仕事をしているって話をしたら、はぇ~~すごい!プログラマーに初めて会った、って反応をされる(僕はプログラムを書かないけど面倒なのでそうですと言っている)。それほどに馴染みがない人種っぽい。
側にエンジニアがいないことが辛い。誰か俺の頭をハンマーでぶん殴ってくれ。

冬の厳しさには逃げ出したくなった

義両親と話していると、まばらに建てられた近所の家々の、そこに住む人の顔、家族構成、職業を驚くほどよく知っていることに気づく。同様に僕も周りの方々に見られている。

おかげで皆に育ててもらっている実感があると書いた半面、これは結構怖い。どこに行っても誰かに見られているかもと思う。子育てが忙しいってのもあるが博打の頻度が劇的に減った。ナカミチの旦那さんがパチンコ屋にいたよとか場外馬券場で叫んでたよとか言われるのが怖いので。


あとはまあ絵画や音楽に触れる機会が限られているなーとおもう。
僕も妻もクラシック音楽を愛している。人格形成の根幹になるほど影響を受けている。だけど、きっと益田にはベルリンフィルのコンマスは来ない。グラントワという非常に素晴らしい美術館はあるが、名だたる巨匠の名画が集結することは多分ない。
あれ程の、人生を狂わせるほどの衝撃に触れる機会がないことは僕の価値観では寂しいと感じる。そういう意味では子どもたちの可能性を奪っている。

高校生の時、毎朝水田に光る朝日を見ながら自転車を漕いでいた。だからなんだって感じだが、当時の僕にとってはあれが芸術であり物凄く美しく大切な景色だった。

だから一概に全てを奪っているとは言えないな、とも思う。本当にわからなくなる。

家の隣のキャベツ畑

これから僕は田舎でどう過ごすのか

僕はソフトウェアを作る人間だ。この仕事は非常に面白く価値があるものだと思っている。
だけど僕がエンジニアと出会えないように、田舎に住む子どもたちにはプログラミングやソフトウェア開発に触れる機会が不足している気がする。

今は技術さえあればどこに住んでようが金を稼げる。
衣食住のコストの低い田舎に住みながら都心基準の賃金を稼げればそこそこいい暮らしができる。

その第一歩を踏み出す機会が少ないってのはとても寂しく感じる。

子どもたちは二歳になり少しづつ手がかからなくなってきた。この一年は育児に注力していたが活動の幅を広げたいと思う。子どもたちにITの世界に触れるきっかけを作れたらいいなぁとぼんやり考えている。


今朝こんな投稿を見た。
田舎の悪い部分が凝縮されたような出来事だ。
人も事業も流動性が低いので、田舎だったらどこにでもありそうだなと思う。
まだ僕はこのような事態に直面したことはないが、それは今のところただ住んでいるだけだからだ。何か新しいことを始めた時には同様の圧力を受けるかもしれない。
その時きっと僕は告発できない。義両親に迷惑がかかる。村社会の密接な人間関係において輪を乱すとどのような扱いを受けるのかをぼんやりとだが知っている。

義父は結構いい加減な人間だが、近所付き合いや地域の行事への対応はとてもきちんとしている。この場所でうまく生きていくために必要なことなんだろう。

例えば毎月、町内会費を集める日がある。
義父は僕たちの住むエリア(組と呼んでいる)の代表なので、組の人間達は義実家に町内会費を持ってやってくる。夕方の17:00~19:00くらいの間義父は玄関に立ち、町内会費を受け取り皆と世間話をする。子どもたちは次々に訪れる客人を興味深そうに眺めている。
最初はあまりに非効率で儀式めいた文化にびっくりしたが、最近では皆が結構楽しそうにしているのであればいいかーと思うようになった(面倒な人は年払いで済ませてるし)。同じ場所に住む仲間であることの確認や健康チェック的な意味合いもあるんだと思う。
自分がやるかと言われたら…面倒だから嫌だ。でも集金イベントをやめたら悪く言われそうなので、結局やると思う。


なんか色々書いたけど、何があってもここに住むことはないと考えていた場所だが最近は案外悪くないと思い始めている。

車を気にせず家族四人手を繋いで横並びで散歩したり、夏の朝庭に出て大きくなったキュウリをもいだり、義祖母の作ったお手玉で子どもたちが遊んでいるのを見た時、なんかとてもいい感じだなーって思う。きっと、この環境をお金で手に入れるのは難しい。
色々と不満も書いたが、これらは僕の行動次第でどうにかなるものだ。

いつまで田舎に住むかはわからないが、それなりに楽しく過ごしていこうと思う。

海岸まで車で15分

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