利他

あなたにとって利他とは何でしょう?

中島岳志氏の『思いがけず利他』を読んだ。この本は今まで考えたこともなかった概念が書かれていて、かなり興味深く読み進めることができたし、腹落ちする部分も多かった。いわゆる哲学書のような難しい文体でもないし、文字数も少なめで読みやすかったのだが、内容は非常に濃かったように思う。

著書の内容が一連の流れの中で記載されているので、抜き出して纏めるのは困難だし、本質を言い表せないようにも思う。だから、この本を伝えるには、「一度読んでみて」と薦めるのが最も本質的なのかもしれない。

とは言いつつ、自分の整理も込めて少しだけ記載を試みる。この本の新たな発見は、①与格構文、②利他の時間差、という話だった。

①について、ヒンディー語では「私はうれしい」という主格を用いた内容にはならず、「私にうれしさが留まっている」となり、これは与格構文と呼ばれている。この構文は、私を器として、その中に感情等の自分自身がコントロール出来ないものが入ってくるような印象を与える。極限状態で自分の無力感を感じ、ふとコントロールできない感情や想いが湧き起こった時、自分の意図を超えて思いがけずやっちゃったということが、人間には起こりうるものだということが、落語の事例等も引用しながら述べられている。そういった行動が、結果として利他的になることもある。

一方で、利他的だと考えて主体的にした行動も、相手が肯定的に受け取らなかった場合、実際には利他になっていない。プレゼントをたくさんあげても、相手がお返しに気疲れしていた場合は、それは利他ではなくなるし、度を過ぎると支配にもなってしまう。(ちなみに、私はここのバランス感覚が相当弱かった気がしているが、この本で言語化して弱点を理解できたため、今後改善出来る気がしている。)

また、相手のためと考えて伝えた言葉も、その時の相手の心境では受け入れられず、怒りや悲しみを与えてしまうこともある。ただ、時間が経った後、「あの時の言葉はこういうことだったんだ。」「自分を思って言ってくれたんだ」ということを相手が気付いた時、その言葉は初めて利他的になったと言える。このケースは②利他の時間差になっており、相手が受け取るタイミングが現在ではなく未来になっている。つまり、現在の私は自分の行動が利他的であるかどうかは判断できないことになる。

一時期流行した(今もしている?)『嫌われる勇気』で述べられているアドラー心理学では、課題の分離を行い、自分と他者の課題を分離した上で行動することを推奨している。これはややもすると自己責任論にも通じる考え方でもあると感じる。また、自分の課題だと思って度をこした行動をしたら、上述したようにおせっかいや支配に繋がるため、相手の立場に立った考え方が非常に重要だ。これはブレイディ美香子氏の『他者の靴を履く』が非常に参考になった。そして、今回の本を読む前に読んだ本が『何もしない』というコミュニティの重要性を説く本であった。コミュニティの存続には利他的行動が増えることが必須である。このように、過去の自分が読んだ本が、今回の本と有機的に繋がって、利他という概念に対する理解が深まったように思っている。

利他的だとか、与えることが大事だとか意図して行動するのではなく、これが大事だと感じた時の自分の直感を信じ、今を一生懸命に生きることこそが、結果的に利他に繋がるのだろう。そして、その利他的関係は1:1の関係だけではなく、コミュニティや社会で互恵関係を含みながら循環し広がっていくのかもしれない。このような内容について、読み進めていく中で深く腹落ち出来たように思う。

ただ一方で、本著では利他の時間差の話など、スケールの大きい話をしていると感じた面もある。例えば日々の挨拶を考えてみる。「おはよう」って自然に口から出たことは無いだろうか?私は結構な確率で、顔を見てつい挨拶しちゃったということがある。その時に相手からも「おはよう」とか笑顔が返ってくるケースは存外に多い。挨拶は相手の存在を「認める」行為であり、相手の承認欲求を満たしていると言えるかもしれない。だから瞬時に利他的行動をしたということが実感できることが挨拶という行為なのかもしれない。だからこそ、挨拶は気持ちいいのかもしれない。

大きくても、小さくても、利他だと認知される行動が増えると、きっと社会の幸福度は向上するだろう。自然体で本音ベースで一生懸命生きることで、ついやっちゃったという行動を積み重ねながら、もちろん時には失敗もするだろうけれど、そんな人生を楽しんでいけたらよいかなと思えた一冊であった。


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