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ますく堂読書会レポート「李琴峰『言霊の幸う国で』を読む」試し読み(冒頭部を抜粋)

芥川賞作家・李琴峰渾身の大作
『言霊の幸う国で』


益岡和朗(以下、益岡) 
本日は、李琴峰『言霊の幸う国で』(筑摩書房)の読書会です。まず、この読書会の開催経緯について簡単に触れておきたいと思います。
僕自身が、この本の出版を知ったのは、李琴峰さんのⅩ(旧Twitter)の投稿でした。弁護士の滝本太郎氏がⅩにて「李琴峰トランス女性説」を事実であるかのように取り上げ拡散したことを受け、その不法行為に対して法的措置をとる旨の表明と、そのための支援を求める内容でした。その際、カンパのお願いとともに、間もなく出版される『言霊の幸う国で』の購読についても呼びかけていた。詳しい内容は、李さんのnoteの記事をご参照いただきたいと思いますが( https://note.com/li_kotomi/n/n61b4502ade68?sub_rt=share_pw
「私は私自身と似て非なる人物「L」を主人公に据え、彼女の視点から二〇二〇年代前半の日本における様々な差別問題を記録し、批評しています。この時代の差別がいかにおぞましく愚かしいものかを論じるために、たっぷり紙幅を割いています。」という作品紹介を大変興味深く受け止めました。

個人的にもトランスジェンダーを巡る現状については問題意識を持ってきましたし、社会的にも政治的にも、文学的テーマとしても極めて重要なものとして認識されていく課題だという理解をしておりましたので、この一冊はそうした「今」を表象・告発するきわめて重要な書物になるであろうという確信がありました。
また、李さんには弊誌の最初の配本である『早稲田文学女性号を年の瀬に読む』にご参加いただいたというご縁もありましたので、何かお力になれることがあれば、という思いもありました。
そこで今回、本書の読書会を開催し、その記録を弊誌特別号として刊行することとしました。諸費用を除いた売上については、李さんへのカンパとさせていただきたいと思っておりますが、そうした意図をご説明したうえで、多くの方にお集まりいただけたことをうれしく思っておりますし、参加者の皆様にまずは御礼申し上げたいと思います。
さて、実際に読んでみたうえでの雑感なのですが……やはり、トランスジェンダーを巡る小説としてはきわめて重要な一冊になっているということ、それは間違いがないと感じました。それに加えて、文学論争的な部分、現状の文学シーンを活写するような小説にもなっている。この部分についても、大変に面白い、興味深い小説になっていると思います。僕の世代としては……学生時代に多大な影響を受けた、なじみ深い作家や批評家、書評家が……あえてこういう言い方をしますが……「悪役」として登場してくるというくだりに、非常に複雑な思いを抱かされました。そうした、個人的な受け止めについても、あえてさらけ出していきたいな、と(笑)
この小説について語ることは大変難しい……それは、知識面や、批評・読解のテクニカルな部分もさることながら、扱っている問題がデリケートなので、僕自身は、心理的なハードルの高さを感じているところがある。でも、それでは、難解一辺倒のつまらない小説なのかといえばそんなことはまったくない。むしろ、いままでの李琴峰作品の中では「読みやすさ」への配慮がもっともなされている小説であるようにも思う。
この分厚さにちょっとびびっている人にも、手に取ってもらえるような、「小説好きなら読まないと損」と思ってもらえるようなお話も積極的にしていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

トランスジェンダー文学であり、
文壇小説であり、政治小説であり…


益岡 
それでは、まずは、お一人ずつ、簡単に作品の感想をお話しいただければと思います。
ずみん 
ずみんです。《ますく堂なまけもの叢書》や「読書サロン」の活動にたびたび参加させていただいております。かなり分厚い作品ですが、読み始めたらするする読めてしまったという印象です。トランスジェンダーをテーマにした小説としては、「ここにすべてが書かれている」というか、トランスジェンダーに関しては、多くの入門書が刊行されている状況がありますが、そうした本ではカバーできない、SNS上の文脈がぎゅっと詰め込まれている。本当に、この一冊が出てくれてよかったと感じました。
美夜日 
美夜日です。常日頃、「読書サロン」や《ますく堂なまけもの叢書》の活動には参加しているのですが、今日は特に、李琴峰さんの力になれれば、という思いで参加いたしました。この小説を読むことで、自分の中でのトランスを巡る差別や、言説が整理されたな、という実感を持ちました。トランスに限らない「差別」の話を受け止めるにあたり、個人的な副読本として読んできた本がありまして、中野信子さんとヤマザキマリさんの『生贄探し 暴走する脳』(講談社+α新書)は、コロナ禍の日本におけるSNSでの「誰かを叩く」という現象について書かれた本なのですが、今回の課題作でもSNSでの誹謗中傷は大きなテーマになっていると思います。また、ネット時代以前の差別の構造を分析した本として宮田登さんの『ケガレの民俗誌 差別の文化的要因』を。いわゆる保守派から「美しいニッポン」として称えられる時代の差別意識について、民俗学からのアプローチを示した一冊です。性差別や部落差別に係る「原理」を明らかにしようとした一冊として紹介したいと思います(追記:この読書会の後に「【呪いは娯楽】「妬んで恨んでしまう私を止められない」「SNSが呪いの生産を加速させた?」民俗学者・小松和彦×作家・中村うさぎが迫る! 呪いを生み出す “闇の心”の正体」というSNSと民俗学と物語の役割にまつわる対談のYouTubeが出ましたので、これもご紹介したいと思います)。
水上文(以下、水上) 
水上文です。文芸批評や書評など、文芸関係のライターをしています。今回、この李琴峰さんの小説に私も登場しておりまして……
一同 (笑)
益岡 
いやいや、すごくいい役ですよ。すごく重要な役(笑)
水上 
けっこうな大役を本の中で担わせていただいております(笑)
まず、小説に「自分のような人物」が出てきたことはないので、人生で初めての体験をさせていただいたという意味で、個人的にも貴重な一冊になりました。そうした作品について、どういう距離感で話したらいいのかというのは難しいところなんですけど、ただ、ここで書かれていることは、フィクションも交えているけれど、実際に起こったことも多く語られていて、でも、どれがフィクションでどれが現実なのかはわからないように書かれている。文学が、まだこの時代に、こんな現実への介入の仕方をしたり、闘い方をしたりすることができるんだ。そういう闘いをしようとしている作家がいるんだということに、まず、私は感動しました。
この一冊が、今のトランス差別や外国籍の方への差別、いろいろな差別の問題の入門書だけではカバーできない領域─SNS上の言論であったり、個人的な経験であったりといったものを記録する文学としての価値を持っていると同時に、「文学に今何ができるのか」という命題を突き付けるとともにそのテーマに挑戦している作品でもあって、そうした点に強く感銘を受けました。
今話したようなこと、また、それ以外のテーマについても、皆さんとお話ししていけたらと思っております。よろしくお願いいたします。
酒井晃(以下、酒井) 
酒井と申します。普段は大学で歴史を教えております。フィクションとノンフィクションのあわいの部分は、斬新に受け止めました。あとは……今回の参加者の中にも、作中の登場人物が何人かいるので……
一同 (笑)
酒井 
この場そのものが歴史的な一場面になるんじゃないかと、その場に立ちあうことになるんじゃないかと、歴史研究者のひとりとしてうれしく思っていますが、個人的には、今回はあえて軽い気持ちで参加したいと思っています(笑)。よろしくお願いいたします。
森の風 
森の風と申します。普段は小学校の図書室で司書をしつつ、大学の研究員として様々な資料の整備をしています。今回、この作品を読んで「本当に読ませてもらって良かった」という思いです。李さんの作品はデビュー作の『独り舞』から読み続けてきました。今回、それ以来の決着が、この作品によってついたんじゃないかという印象を持っています。『独り舞』は「レズビアンが死なない小説」だった。主人公が死なないなんてあたりまえじゃないかとも思えるけれども、やはり、小説に登場するレズビアンは、薄幸な存在として描かれることが多かった。それに作者として必死で抗う作品で出発した李さんが、闘っていく、生きていく主人公を描いたことはひとつの決着なのではないかと感じました。
あとは先ほども少し触れられていましたが、「わるもの」の立ち位置で登場してきてしまう人たち、笙野頼子さんとか、BAR Gold Fingerの小川チガさんとか、私自身、年齢的にも近いところがあって、こうした人たちへの描写については、この読書会でも皆さんの意見を聞かせてもらいたいな、と思ってきました。
本日は、よろしくお願いします。
近藤銀河(以下、近藤) 
近藤銀河といいます。アーティストやライターとして活動しています。
私もこの小説に出てくる人の一人なんですが……私はそんなに重要な役ではなくて(笑)……修論で悩んでいるところとか、どうでもいいようなボヤキが文学の歴史に記録されてしまったなあ、と……
益岡 
いやいや、この作品のリアリティに寄与してますよ(笑)
近藤 
私自身、SNSなどでトランスヘイトに対抗するような言説を表明してきたという意識があるので、そういう人間として、自分の人生とこの作品が重なる部分が多くて、なかなか客観的に語ることが難しい、かといって主観的に語ろうとすると「語ってはいけないこと」にぶち当たってしまう─どちらにしても語ることが難しい作品であるのですが、そういう風に感じてしまう人間として、その立場から、今日はいろいろお話しできたらと思っています。
この小説は、外国人差別やトランスヘイトに対する応答だと思うんですが、そうした差別はどういうところから起こるかというと、ある種の「本質主義」─真実を明らかにせよ、事実を明らかにせよというジャッジメントするための資料を提供せよという要求だと思うんです。それに対してこの小説はフィクションとリアルを混沌とさせることによって、ヘイトを目的とした、そうした要求に抗っている。ヘイトを生み出すような言説に対しては答える必要はないんだと言っている小説だと思います。
でも……私は、こんな小説は本来書かれるべきではなかったと思います。こんな小説を書かせてしまったこと自体が辛い。作中にも、そうした思いは述べられていますよね。前線に立つことは辛いし本当はしたくないけれど、そうせざるをえない、と……李琴峰さんの友人としても、トランス差別に反対してきた人間としても、こんな状況を生むことを止められなかったことが辛いな、と思っています。
もうひとつ触れておきたいのは、李琴峰さんの小説は今まで長くても中篇ぐらいがメインだったと思うんですが、今回は大長編ですよね。でも、読みづらくない。私はこれを三時間くらいで読んで琴峰さんに感想を送ったら「本当に読んだの?」と突っ込まれたんですけど(笑)そのくらいリーダービリティのある小説で、この一冊で小説家としての力量も証明されたのではないかと思います。
私がこの場でぜひお話ししたいと思うのは、主人公の二重性、引き裂かれるアイデンティティについて。前半は台湾人であるということが描かれていると思います。台湾人の日本文学作家として受ける批判と賞賛。「外国人のくせに日本の政治に口出ししている」というような批判の声があがる一方で、「台湾という素晴らしい民主主義国家の方が日本を愛してくれている」という賞賛の声も受けている。そして台湾では「日台友好」の名のもとに台湾の左派的な政治勢力と、日本の右派的な政治勢力が結びついているという実際がある。それへの怒りを主人公は抱いているんだけれど、それはなかなか理解されない。後半はトランスジェンダーの問題になっていくわけですが、全編通して、この「主人公が自身の二重性によって引き裂かれ続ける」というモチーフが語られているように思うので、この辺りも、お話ししていけたらと思っています。よろしくお願いします。
トット 
トットです。この一冊でトランスジェンダーをめぐる言論が見渡せるようになっているし、迫力もある。評論寄りの小説という立ち位置もよかったと思うけれども、小説を読まない人、大きな物語だけで生きていける人にどうやったら届けられるのか……安倍晋三の政治によって大きな物語がよみがえった。どんな小さな言葉も、大きな物語に紐付けされるようになってしまった。すると政治的な言論だけで生きていくのが容易になる。その人たちと、小説や詩という秘密を持つことが可能な場所を知っている人との分断はどうしてもあって……双方の対話はどうなっていくのかなと考えながら、この場へ来ました。よろしくお願いします。
ティーヌ 
ティーヌです。セクシュアルマイノリティが登場する文学作品を読む読書会《読書サロン》を十一年ほど続けています。昨日、ちょうど読書会があって、台湾の作家・陳思宏の『亡霊の地』(早川書房)という小説を読んだんですが、重なるテーマはあったかな、と感じましたのでそのあたりの話もできたらと思います。
李琴峰さんとはデビュー前からおつきあいがあって、小説を読ませてもらったりなんかもしていたら、いつの間にやらデビューして、芥川賞をとって……すごい人になっていったな、と思っています(笑)。
今回の作品について印象に残ったのは、日本社会における台湾の評価─親日路線、みんなが「日本いい国、大好き~」と思っているというようなイメージへの反論も書かれていたことと、ネット上のトランス差別言説については、私個人は「何を言っているのかわからない」というのが正直なところで、特段の主張はないように見えるし、根拠もないように思う。差別のための物語を吹聴しようとしているというか、トランスヘイターこそが物語に憑りつかれているように見える。その姿を、物語によって打ち返したという小説なのではないかという印象を私は持っていますが、皆さんがどう読まれたのか伺っていければと思います。よろしくお願いします。
新たま屋・改(以下、たま屋) 
こちらの活動には古書ますく堂の常連だったご縁で参加するようになりました、「新たま屋・改」です。この名前は、一箱古本市に出ているときの屋号で、三回目の改名をしたところなのですが、一箱古本市の店主としての活動はほぼ引退間近となっております(笑)。よろしくお願いいたします。
今回の本は、益岡さんから紹介されるまで内容などもまったくわからずに、読書会も、まずは読んでみてから参加するか決めようと思って読み始めたのですが、一気読みしてしまいました。皆さんが言っているように「読ませる力」のある小説だなと感じました。私小説風に始まったかと思いきや、徐々にノンフィクション要素が増してきて、評論的なところもあり、最後はメタフィクションのようになっていく。ところどころに散りばめられた宗教的な要素なども含めてなかなかに複雑な構造をもった一筋縄ではいかない小説だと思います。いろいろな切り口で語ることができるからこそ、どこから語るのかが難しい小説なので、皆さんのお話を聞いてみたいな、と思って参加しました。よろしくお願いいたします。

李琴峰小説史上初の
「性格の悪い主人公」にウキウキ


益岡 
さて、何の話からしましょうか?(笑)
ティーヌ 
「台湾のネットの酷さ」について書かれていると思うんですけど、『亡霊の地』でも触れられているんです。役所の窓口に勤務する女性がネットで炎上してしまうエピソード。盲導犬のブリーダーを名乗る人物が起こしたトラブルを解決しようとした際に動画を取られてしまい、「盲導犬を排除しようとする役所職員」として拡散されてしまう。
益岡 
役所では、自身の潔白を証明するために、勤務中の自分の姿を撮影しておくように指導されているんですよね。ドライブレコーダーみたいな感じ。
ティーヌ 
こうした台湾のネット社会情勢は、台湾の小説やドラマではメジャーな描写になっている。日本もネットリンチ社会になりつつあるけれど、台湾ではそうした現象は先行して起こっていて、李さんの小説でも同様の世界観が描かれていたから、「台湾小説」味を感じましたね。
近藤 
基本的には日本を舞台にしている作品だと思うんですけど、同時にトランスナショナルな作品でもあって、その特徴が、後半に語られるトランスジェンダーをめぐる情況が世界的な動きになっているということも雄弁に語るという構成になっている。前半の台湾に関するパートでは、主人公の柳千慧は、日本が台湾に向ける二重の幻想を受け止める役割をもとめられてしまうわけですよね。右派的な人は台湾を「親日」の象徴として、左派的な人は民主主義が進んでいる国として見る。さらに台湾からも「日台友好」の期待をかけられてしまう……それぞれがいろいろな幻想を投げかける状態をどう解きほぐしていくのか、という話でもあると思います。
ティーヌ 
台湾をめぐる物語では「~之光」という言葉がすごくよく出てくるんだよね。
森の風 
台湾籍の人が海外で大きな成功を収めるとその言葉を使う傾向がありますよね。主人公もコロナ禍で台湾には帰れないものの、現地では英雄のような扱われ方をされている様子がある。でも……
ティーヌ 
でも、台湾がそんなにいい国だったら出てはいかなかったよ、という……
森の風 
いい思い出はあまりなさそう(笑)。デビュー作の『独り舞』も「台湾を出ていく物語」が描かれていて、別の作品ではあるけれども、ゆるやかにつながっているような感じを受けます。
近藤 
この作品によって過去の作品の解釈も変わっていきそうな気がしますね。
ずみん 
日本と台湾の「捻じれた共闘関係」については、この作品で読むまではあまり認識していませんでしたね。ぼんやり、台湾にも安倍晋三人気みたいなものはありそうで、そこから右派の台湾びいきがあるんだろうな、という印象は持っていましたけど……ただ、ならば何故、台湾にルーツのある蓮舫にはあんなにもバッシングが起こるのか……ネトウヨのスタンスというのは、叩きたいものがまずあって、そこに屁理屈をつけて叩くというような構造になっているんじゃないかと思ってしまう……
実は親がネトウヨなんですけど……選挙の話をすると「蓮舫は国籍問題がある、中国とつながっている」と……台湾と中国共産とは対立関係にあるんじゃないかと思うんだけれど……統一教会についての受け止め方にしても、ネトウヨの一貫性のなさが表れているように思うんですよ。それぞれの内面で、そうした矛盾にいったいどう折り合いをつけているんだろうといつも疑問に思う……
森の風 
「メビウスの輪」という表現が作中にも出てきたように思うんですが、「捩れているけれどつながっている」というのが現代の縮図なんですかね。
美夜日 
アメリカと統一教会のことは好き。
ずみん 
でも韓国は……いったい、どういうことなんだろう、と。
森の風 
ところで芥川賞受賞の描写で、昔はもっとどんちゃん騒ぎだったと思うんですけど……パーティーのあと、文壇バーへ行って、という……もちろん、コロナ禍だったからというのはあるんでしょうけれど、すごく普通の日常の中に芥川賞が描かれていて驚きました。
益岡 
主人公が「芥川賞が取りたかった」とはっきり表明しているところが良かったです(笑)
美夜日 
主人公が正直でいいですね(笑)
ティーヌ 
この主人公、琴峰さんの登場人物の中ではいちばん性格が悪いんじゃないかと思って、ウキウキ読んだ(笑)
トット 
意地悪いですよね。語り手がしぶとい性格だから話を希望へと漕ぎ着けられるのだと感じました。
益岡 
ティーヌさんは、李さんの小説の登場人物は「正しい人」「倫理的な人」が多すぎるんじゃないかと、いつも言っていましたよね。
ティーヌ 
ひどいことをする人がいても、すべてに理由があって、それが説明されている。「その時代に受けている教育」であるとか「政府に監視されていて自由に行動できない」とか、なんらかの理由があって人を傷つけるようなことをしてしまう人物。だから、基本的、みんな「いいひと」なんだよね。
益岡 
李さんの小説は、よく言えば、誠実で、折り目正しい小説ということになるのだけれど、その「誠実さ」はときに「つたなさ」として受け取られてきたようにも思うんですね。作中でも、芥川賞受賞時のニコ生での中継が描かれていて、栗原裕一郎さんや豊﨑由美さんが登場してくるんですけど(笑)そこで、「政治的なことを描くことを避ける日本では政治的なことが書かれている小説を低く評価する傾向がある」というような議論が登場する。李さんの作品が政治的なことを直接的に描いているから批判されるんだろうという見解に対して、栗原さんや豊﨑さんは、そういう意図で批判しているわけではない、単純に小説が下手だと言っているんだと応じるわけです。
僕はこの点については、理解できるところもあるな、と思っていて……というのは、日本文学において政治的なことがらは決して語られてこなかったわけではないと思っているからなんです。ただ、李さんの小説のように直接的には語られない。何か、大きな物語、空想の世界をつくりあげることで象徴的に描くであるとか、庶民の生活を淡々と描くことで実は政治批判が行われているとか、そういった「小説として昇華させる技術」というものが貴ばれてきた歴史があると思うんですね。
その歴史に照らすと、李さんの小説は些か直接的すぎる書き口が目立つ。芥川賞受賞作である『彼岸花の咲く島』は広義のファンタジー、SF小説といっていいと思いますが、大きなフィクションが用意されているという点は従来の日本文学の作法に倣っているものの、その設定がむき出しに語られることで、「作者が自らの思想を語り上げている」というような印象を与える小説にはなっていると思う。ただ、僕は、ここまで直接的な書き方をすることで伝えられる切実さがあると思っていて、その姿勢は、『独り舞』から一貫している李琴峰文学の特色であるように思うんです。従来のお上品な日本文学の作法では抗いきれないほどのこの国の「政治状況の劣悪さ」を露呈させて告発する力が、李琴峰文学にはあると思ってきた。
今回の作品は、そうした李琴峰文学の「力」を保ちながら、小説的な技巧にも満ちた作品に仕上がっていると思う。何が言いたいかといえば、「豊﨑さん、この小説なら、いいでしょ?」という……
一同 (笑)

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