【短編小説】クライミング・バム
「君と出会えたこと僕ずっと大事にしたいから」
「ん?スピッツ?」
僕の渾身の告白を、彼女は好きなアーティストの歌詞を朗読したと勘違いしたみたいだ。
「あれ?竜くん、スピッツ知ってるの?私よりもっと上の世代だけどな~しかもインディーズ時代の曲だよ。彼らが自分たちの方向性を決めた曲でさ、彼とよく聴いたなー。」
彼女はその続きのメロディを口ずさんだ。山の中で、鳥のさえずりや風に揺れる木々の音は彼女を取り囲むオーケストラの様で、その美しいハーモニーに僕の告白は打ち消された。
「僕がこの世に生まれてきたわけにしたいから~♪」
ーーーーー
声が美しい女性だった。大学生活を送る僕のお腹を満たす食堂といえば、黄色いMの文字が光るファーストフード店。マシーンのように動くスタッフの中でレジは5つ稼働していた。その中でもひと際通る声がする。マスクの下でもスマイルが分かるような1トーン高い声に、垂れた目尻から4本のシワが見え隠れする。僕は毎回、あみだくじのようにアタリますようにと祈りながら並んだ。
「いらっしゃいませ、ご注文お伺いいたします。」
「チキチーセット、ナゲットマスタードでアイスコーヒーを。」
「ご注文繰り返します、チキチーセットのナゲットでソースはマスタード。アイスコーヒーはシロップとミルクはなしでいいですね?」
「あ、はい。」
「いつもありがとうございます。お会計520円です。楽天カード、dポイントカードはお持ちですか?」
「いえ、ないです。現金で。」
「はい、それではちょうどお預かりします。536番、モニター下でお待ちください。ありがとうございました。」
機械的なセリフの中に、「いつもありがとうございます。」なんて言葉があると、彼女は僕のこと認識してくれているんだなって少し嬉しくなってしまう。彼女はいつもレジにいて、僕が見る限りどこの列よりも回転率が高い。僕はホームランバーを食べ終えるみたいに順番を待ち、なんだか当たったらラッキーな気がしていた。制服のポケットに山本と書かれた名札がぶら下がっているのを確認して、なんだかそれも嬉しかった。いつもと同じメニューをいつもと同じトーンでオーダーする。ひそかな楽しみにしていて、ここでしか会えないと思っていたら思いがけない場所で山本さんを見かけた。
「横5列でお並びいただき、前のお客様に続いてゆっくりお進みください。なお、チケットはお手元にご用意いただき、スムーズな入場に御協力お願い致します。」
僕が好きな3人組バンドの全国ツアーが2年ぶりに開催され、その会場でファーストフード店と同じ声がするのに気付いた。白いシャツに黒のパンツスーツ。長い髪を高い位置で1つに結って、いつものMの制服とは違って色っぽく、右手に持つ拡声器姿がやけにかっこよかった。列が前に進んでも後方の彼女を目で追いかける僕を一緒に並んでいた友達が知り合い?って聞いてきた。うん、まあと軽くあしらっていたら、彼女と目が合い軽く頭を下げると、彼女が手を振ってくれた。2年ぶりのコンサートと同じくらい嬉しくなった。彼女はそのまま、同じようなアナウンスを何度も何度も繰り返し、僕が会場に入るまでその美しい声は僕の耳に届いた。
コンサートが終わると外は、火灯し頃になっていた。灯りがないと人の顔も認識しづらい中で、誘導灯を持つ彼女の姿を探すことが出来たのは、アナウンスする声に惹きつけられたからだ。
「お足元お気をつけてお帰り下さいませ。横2列、左に寄って前の方に続いてゆっくりとお進みください。ご来場ありがとうございました。」
僕は友達にトイレに忘れ物をしたと嘘をついて戻り、また明日授業でとお別れを告げた。忘れてもいないものを探しにトイレへ戻り、ゆっくりと歩いて会場外の花壇に腰を降ろした。彼女がその花壇の前を通ったのは、それから1時間後だった。
「山本さん!」
「あ、チキチーセットの!!ナゲットマスタード君だね!わー、やっぱり!合ってたんだ~入る時、マスタード君かな~って思ったんだけど、バタバタしてて。うわ~奇遇だね。好きなの?」
彼女は入口に飾ってあるアーティストのポスターを指挿して聞いた。
「あ、はい。昔から好きで。久しぶりに。あのモトヤマです。」
「あ~ナゲット君、モトヤマ君って言うんだ!え?モトヤマくん?私、山本って言うの。マウンテンブック。もしかしてブックマウンテン?」
「・・・あ、漢字ですか?あ、はい本に山で本山です。」
「わ~すごいね!すごいじゃん!ブックマウンテンの響きがいいね~あれ?友達は?友達一緒だったよね?」
「友達は先に帰って。それより、はじめて言われました。ブックマウンテンって。」
「そう?いい名前じゃん!私ね、山も本も好きなの。だから平凡だけど、好き。でも、本山のほうが、なんかいいな~?あ!これから帰り?私も今バイト終わったの。帰る?あ、なんならラーメンでも食べてく?」
彼女は会って、1分もしないうちに、僕をいろんな呼び名で呼んで、マシンガンのように喋った。最終的に僕が食事に誘おうと思って待っていたのに、彼女がラーメンを食べようと僕を誘ってくれた。
「キング行こうよ。すぐ近くにあるから。」
そうやって彼女についていくと、看板には王将と書いてあった。彼女はどうやら、簡単な日本語は英語に訳す癖があるらしい。僕はラーメンセットを頼んだけど、彼女は酢豚定食と餃子を2人前頼んだ。彼女はラーメン食べようと僕に言ったのに、その定食にはラーメンはついていなかった。僕の定食には餃子がついていたけど、彼女はなぜか餃子を2人前頼んだ。なんだか不思議な人だなと思ったけど、メニューを頼んでいるときも、おしぼりで手を拭くときも、水を一気飲みするときもなんだか楽しそうだった。
「私の名前は、マウンテンブックフラワーです。」
「え?」
「山本華です。」
「あ、えーと僕の名前は、えっと。ブックマウンテン、、、ドラゴンです。」
「本山竜くん?」
「うん、正解!ここの近くの大学で6年です、院に行ってて。山本さんは?何年生ですか?」
「え?私?大学生??大学生に見えるの?」
「え?違うんですか?」
「竜くん、優しい!新手の詐欺?すごいね~よし、今日はお姉さんがご馳走してあげよう!食べな食べな!」
「え?山本さんって大学生じゃないんですか?」
「竜くん干支ってもしかして、辰年?」
「はい。」
「私も辰年だよ!ひとまわり上の!!」
驚いた、彼女は36歳だった。話を聞くと、ファーストフード店のレジ打ちも、コンサートのもぎりもアルバイトで他にも美術館の受付や、スナックのお手伝いなどバイトを複数掛け持ちしながら生計をたてているらしい。ひとつの場所で生きるのもあまり好きでなくて、数年に1回は引越ししていろんな場所で生きているという。
「私ね、両親いないの。一人っ子だし、帰る場所もなくて。5年前に恋人もいなくなっちゃって。だから待ってなきゃいけない必要もないんだ~、自由に生きてるの。だからかな?若くみられがち。しっかり皺もシミもあるのにね。竜くんは何を勉強してるの?」
会ったばかりの僕にも、聞いちゃまずいだろうなと思うようなプライベートの話も気にすることなく話すような人だった。僕は深くは聞けなくて、質問されたことにだけ答えた。
「僕は農学部で。地盤を調べています。山にこもってることが多いんですけど。地すべりとか土砂災害とか、現地調査や地形解析とかをして。そういう国土防災の仕事がしたくて。今はその研究を続けている感じです。」
「やっぱり山だね。すごい、竜くんにぴったりだよ!」
「それはブックマウンテンだからですか?山本さんも、山好きですか?」
「うん、好き。ひとりでも登るよ。昨年はね、穂高岳挑戦したんだけどね、ちょっと天候悪くて頂上までは行けなかったんだよね~。今年もどこか登りたいなー。」
「来月、剣山行くんですよ、一緒に行きますか?」
「えー行く行く!!バイト調整するよ!」
それから彼女は酢豚定食を僕よりも早く食べ終え、2人前の餃子も食べたらいいよと言ってくれたけど、2個だけもらって後は全部彼女が平らげた。僕が食べ終わる前に杏仁豆腐も追加で頼んで、僕が食べ終わる前に杏仁豆腐も食べ終えた。細く華奢な彼女からは想像つかないほどよく食べて、よく笑い、よく喋る人だった。
それから連絡を交わすようになり、何度かMのお店でオーダーして、何度かキングのお店で麻婆豆腐や青椒肉絲定食を一緒に食べた。杏仁豆腐を待っている間に本の話になって、僕の愛読書である沢木耕太郎の「凍」は彼女の愛読書でもあることを知った。彼女の生き方を、僕がバムみたいだと言ったら、知ってるの?と聞いてきた。
「凍を読んで、クライミング・バムという生き方に惹かれたの。」
翌週、僕は文庫本の凍をリュックに忍ばせて、彼女と剣山を目指した。山の麓で彼女は両手を合わせ目を瞑る。
「どうしたんですか?」
「彼に行ってきますの挨拶。山から帰って来ないの。5年前、山にでかけたきり。獣になってでも生きてたらいいのにね。」
彼女は笑いながらそう言って、行こうと僕を促した。5年前いなくなった恋人とは、山で遭難して帰らぬ身になったということか。彼女の歩幅に合わせて、僕も1歩ずつ歩みを進める。野鳥や野草を伝えると、彼女は興味深そうにカメラにおさめ、スマホのノート機能に書き留めていた。彼女が、どんなアルバイトもそつなくこなすのは、こういう律儀なところがあるからだろうなと思った。
少し休憩しようと岩陰に座ったタイミングで僕は言った。
「君と出会えたこと僕ずっと大事にしたいから」
「ん?スピッツ?」
僕の渾身の告白を遮って、彼女は好きなアーティストの歌詞を朗読したと勘違いしたみたいだ。
「あれ?竜くん、スピッツ知ってるの?私よりもっと上の世代だけどな~しかもそれインディーズ時代の曲だよ。彼らが自分たちの方向性を決めた曲でさ、彼とよく聴いたなー。」
彼女はその続きのメロディを口ずさんだ。山の中で、鳥のさえずりや風に揺れる木々の音は彼女を取り囲むオーケストラの様で、その美しいハーモニーに僕の告白は打ち消された。
「僕がこの世に生まれてきたわけにしたいから~♪ミルク色の細い道を振り返ることなく歩いていく。昨日よりも明日よりも今の君が恋しいから~♪」
僕は用意していた告白の続きを閉まって、いつかこの曲が僕とリンクしてくれたらいいなと思った。あと何回登ったら、そうなるかな。僕は彼女が登る山が災害に合わないように。大好きな山が大好きな山であり続けるように、僕の研究は続くし、彼女との登山も続いていく。
焦ることはない、だって僕たちは、マウンテンとブックで繋がっているんだ。その時はもう一度彼女に伝えたい。君と出会えたこと、僕がこの世に生まれてきたわけにしたい。と。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?