アンという少女を想う
先週、子供が学校から借りてきた本を一気読みした。
「赤毛のアン」
カナダの作家・モンゴメリ作の長編小説、日本でもかなり有名な本だ。
ページを捲るごとに幼いころ憧れていた世界が蘇る。
グリーンゲイブルズの自然豊かな風景、アンという赤毛とそばかすの少女が孤児院から老兄妹の家に引き取られるまでの道のり、アンはこれから始まる新生活に胸を躍らせる。
これまでかなり苦労してきたせいか痩せて枝のような彼女が、老兄妹のマシューとマリラに対面したときの場面は印象的だ。
孤児院からやっと普通の家庭で過ごせるという喜びを爆発させていた彼女が、老兄妹が欲しかったのは実は「男の子」だったという事実を知ったときの深い悲しみよう。
このような悲劇が自分に降りかかるなんて、この世の終わりだ!
とアンが泣き悲しむ。
マシューは寡黙だが心優しい人だ。
自分は本当は男の子が欲しかったのだと言わず、アンを連れて家までの帰り道、お喋りに夢中なアンの声に耳を傾け続けていた。
楽しいお喋りに、いつしか心を許していた。
マリラは困り果て、アンを引き取ってもらえそうな家を探し歩く。
だが、まっすぐで正直なアンの様子を目にし、ついにマリラはアンを引き取ることに決めた。
アンはお喋りで、よく笑い、よく泣く。
他の人にとってはごくありきたりな日常の出来事でも、深く感動し、言葉にする。表現する。
うまくいかないことも多い。
アンの中では自分の心に正直に口にしただけなのだが、余計なことを言っては怒られ、反省もする。
だけどアンの心のうちに溢れる泉は彼女の豊かなイマジネーションを力強く支え、困難な状況にもめげない力を与えてくれる。
だからきっと私は、惹かれるのだ。
余計な一言が多い癖も、頑固なところも、そばかすも赤毛もみーんなかき消されてしまうくらい、彼女は本当に魅力的なのだ。
他人に迷惑だと思われていないだろうか?
自分の意見を言ってもいいだろうか?
なんて私のように考えもしないだろう。
思っていることをその場で言葉に上手く表現できないこと、他人とのコミュニケーションが疲れやすいこと、背が低いこと、耳の先が異世界人みたいにとんがっていることなど…。
コンプレックスを抱えて生きるのがしんどいと感じるとき、アンを想う。
大切なことは、とてもシンプルだ。
自分の心の内から湧き出る泉の音に耳を澄まし、泣きたいときは泣き、笑いたいときは思い切り笑う。
あの人はどう思うだろうか、なんて思わなくていい。
もっともっと感情に素直に生きていた方がずっと人生は生きやすいし、心に蓋をすることで薄灯にしか見えていなかった世界が、朝日が差し込むように色濃く鮮やかな世界へと変わる。
私の心に、日常の風景が美しいグリーンゲイブルズと重なる。
赤毛のアンは、そんなことを私に教えてくれている。
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