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40代以上の恋愛の未来
こんにちは。
先月、また歳を一つ重ねたわけですが、皆さん自分の成長・進化・衰退って感じてますか?
さすがに30代後半くらいからだんだんと衰えは感じる機会が増えてきていますが、年齢と共に比例して増えていくのは経験もそのうちの一つだとおもいます。
2度離婚して、「自分の結婚はもう結構」と思ってるし、私の場合は「結婚不適合者」以前に、パートナー選びで失敗するパターンなのでそもそも普通の結婚生活を過ごせたのは二度の結婚生活トータル12年の中で、半分もないんじゃないかな、と思っています。
ということは、私は、新婚時代以外まともな結婚生活を知らないとも言えるような気が最近してます(笑)。
さて、きょうは40代で恋愛するという事はどういうことなんだろう?
という答えの出ないテーマを書いてみようと思います。
40歳を超えてできなくなること
結婚して、出産して、離婚したワタシ。
40過ぎると、女性は望めないことが男性より一つ増えますね。
それは、妊娠・出産。
30代前半までは25~30%。20代とあまり変わりませんが、35歳を超えると18%にまで下がります。40代となると妊娠出来る確率は5%、45歳を過ぎると1%と、ゼロに近い数字にまで下降します。
40代の妊娠率の高い部分は42歳までに集中しているんだとか。
若いころは恋愛の先に、結婚・出産の道筋が目安だった
まだ20代30代のころは、子供が産めるかどうかなんで気に留めることもなく恋愛していたし、結婚したら子供は授かるものだと思っていましたよね。
授かる授からない、望む望まないはもちろん様々だとは思いますし、未婚の母、事実婚など出産するときの状況も多様化してきていますが、大まかな一般論としては出産するためには、父親が必要で、そのための結婚でもあると言っても過言ではないと思います。
子育てするには、離婚したからこそ強く思う事ですが、大人二馬力で子育てするのと、ひとり親で子育てするのでは精神的余裕も全く違います。
だからこそ、出産・子育てには、支え合えるパートナーがいることはとても重要なんですね。
そして一緒に子育てやその他家庭内での出来事を共有しながら乗り越えながら、夫婦もだんだんと「夫婦らしく」「父親らしく」「母親らしく」なっていく、それが結婚なんだろうと思います。
女性としてできることがなくなる
ところが40を超えると、望む望まない以前に妊娠率低下の現実を迎えます。
そしたら、出産までして妊娠がほぼ難しくなった私は存在価値なくなっちゃった?って一瞬思ってしまって。
ガックリ落ち込んだ時がありました。
別に子供をまたほしいと思ってたわけではないんです、むしろ産みたいとはもう思ってないんですけど、自分の価値がなくなっちゃったような気がして。
でも長く落ち込むことは無く、「私の人生だし、子供一人は産んだから女性としての喜びは経験できたからいっか!」と思い直して、立て直せたんですけど。
結婚も出産もしない、でもひとりで死にたくない
離婚して40代に突入してすぐ、お付き合いしている人もいないとき私は、ただただ、ひとりで、誰にも知られず死ぬような終わり方はしたくないな、と思う事がふえました。
もともと豆腐メンタルの恋愛依存症+メンヘラ気質なのもあって、自分自身を映す相手を求めてしまう性分。
いいかげん自立しろよとも思うんですが、これで40年以上生きてきて、なんなら10年近くひとり空回りしてる結婚生活もあっただけに、今はもう「誰かにうなだれかかって生きていきたい」くらい、HP減ってます。
夢見る夢子ちゃん、ならぬ痛々しいオバちゃん
2度の離婚、結果的にはその結婚を決めた私自身の自業自得とはいえ、さすがに二度は相当堪えました。
そんな中、親友に先日「男に夢見がちだよ」と言われたんです。
(悪意はなく素直に受け止めました。)
たしかに若いときから「恋に恋してる」時期もありましたもんね(;'∀')
親友に言われた言葉も否定はできません、心当たりがないわけでもなくて。
両親がなんだかんだで仲がいい夫婦で、そのもとで育ったので、家庭を持つことにあこがれも強かったんですよね。だから若いころから結婚願望も強くて。
だから願望として、離婚してひとりになっても、お互いに大切にしあえる人がいるんじゃないかってあきらめられない自分がいるんですよね、これが「夢見がち」といわれる理由でしょうね。
同時に、失敗ばっかりで自信もなくし、承認欲求も強くなってるからこそ、受け止めてほしいという欲求も強いんだろうと思います。
遅いメンヘラの自覚
昨年知り合った友達が、まさにメンヘラの年の離れた年下の男の子で。メンヘラっぷりは私以上でしたが、まるで自分の若いころを見ているようにいろんな感性が本当にそっくりで。
私はメンヘラでありながら、メンヘラを引き寄せてしまうところもあるからその男の事もしばらく密に連絡を取り合う時期もありました。
そんな彼に好きな女の子ができて、幸せな恋愛とは言えない相手なのもわかっていながら離れられない彼をみて、私から距離を取ったんです。
そのとき、彼の状況を考えながらも私自身を俯瞰したような錯覚を覚えました。
彼との出会いは、私自身の側面を自覚するためのご縁だったんだな、と悟りました。
何度でもやり直せるなら
メンヘラくんとの出会いから過去の自分をあれこれ本当に振り返りました。
自分自身がメンヘラ気質を十二分に持ってる事、そしてそれによって私の恋愛のクセが色々改めて見えてきたこと。
だから結婚もうまくいかなかったのかな、と。
「仲良し家族」「家庭円満」のあこがれはさすがに持ってませんが、それでもね、一人遊びできるタイプではないので、「共に生きる」ことをやっぱり私は望んでるみたいです。
アラフォーの「法律婚」のメリット
法律に守ってもらうための選択肢です。
遺産相続、手術同意書に署名できる家族、様々なことが多様化してきてはいますが、それでも法に守られるところは大きいのかなと思います。
でもね、今、働き方・生き方が多様化してきてる事で、結婚するメリットは昔よりも少なくなっている気もします。
だからなおさら、今のご時世法律婚のメリットはそこまでメリットを感じない。
恋愛の先にあった「結婚(法律婚)」という図式は、アラフォーでなくても若い世代でも崩れてきてるのかもしれませんが、そうなるとなおさら、40超えての法律婚って、法的に家族でないとできない手続きをするための権利を取得する手続きでしかないですよね。
しぶとく「連れ添う」ことにこだわる
先日のメンヘラ君との出会いから、そもそもから自分で疑っていた私自身の恋愛依存もあって、誰かにすがってないとダメな性分なのかな、と落ち着きそうにもなったんです。
二度も離婚して、それでもまた今パートナーがいる自分に、もちろん自分の弱さや寂しがりなのも感じてはいるんですが。
メンヘラ君とのことをきっかけにまたちょっと違った視点で自分を振り返ったとき、依存しやすい自分とは別に、私にとって「幸せに感じる事」って何だろうって考えたんです。
にぎやかな家庭で育ってきたこともあり、「家族が好き」なんですよね、私。
「結婚」という形態にこだわる理由はもう無くっちゃいましたが、「共有できる親しい人が居る」ということは、何も恋愛だけに限らずですが、私にとっては人といることに疲れやすいくせに、心許せる人と共有する時間は「幸せ」だと感じるんですよね。
だから、共有できるパートナーを欲しいと思って行動するんですね。
40代以降の先にあるもの
40年生きてきて、本当に自分が求めてる幸せ、私にとってはパートナーを得て人生の充実感を探求することかもしれません。
私はその過程に恋愛という過程を選びがちではありますが、恋愛がしたいのではなくて、身近に分かり合える家族のような絶対的味方、理解者をともなって、母でもなく、女でもなく、ひとりの人間として安穏を求める旅があるのだと思います。
いい大人が恋愛、というと、幼稚に聞こえるところもあるかもしれませんね。
だけど、その過程を経て他人を理解し、距離が縮んでいく過程は私は嫌いじゃありません。男女の違いにはいつも面白さを感じるし、他人との価値観の違いにも受容できる範囲であれば新鮮です。
価値観や習慣、互いに持っている違うものをすり合わせながら生きていく事は、結婚にしろ、友達関係にしろ同じこと。
それをわかってる上で、他人の異性を受け入れ理解していくという過程=恋愛というならば、人間観察が好きな私からすると、まだまだ人生楽しめるのではないかと思います。
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