本当の望みを知る|自分をみつめた5か月の振り返り
『正直であること』
9月から受講を始めたプログラムの第1フェーズである5か月が今月で終わろうとしている。
これからも、変わり続ける自分との対話は続いていくが、今現在みつけた『私』のピースをここにまとめようと思う。
正直に、ありのままでいること
『正直であること』
それが私の心の中にある最もコアな願い。
いくつか浮かび上がってくる心の声が、この『正直さ』に紐づいている感覚がある。
まず、ひとつめは、
『そのままの私を愛して欲しい』
という望み。
他者の目を気にして取り繕った自分ではなく、ありのままの私でいること。
そして、それを受け止め愛してくれる人がいること。
これを実感させてくれる最も大きな存在が、私にとっては家族だ。
家族で過ごす穏やかな時間。
のんびりと散歩をしたり、布団を3つ並べてお昼寝をしたり、同じご飯を「美味しいね」と言い合って食べたり。
そんな何気なくてとりとめのない毎日があるからこそ、私が私でいられる。
それは、瀬戸内の静かな海をぼーっと眺めているような、そんな心落ち着く時間。
家族と過ごす穏やかな自分が、視線や評価を一切気にせず、自分自身を押し曲げていないありのままの私であると感じる。
『そのままの私を愛して欲しい』という望みは、自分に嘘をつきたくない、正直でありたいという願いと同じだ。
「生きる」を実感するために必要なこと
ふたつめは、
『「生きる」を実感したい』
という望み。
以前、こんな記事を書いた。
「生きること」に長い間活力を見出せず虚無感を抱えていた私が、本当は誰よりも「生きたい」と強く願っていたことに気づいた話。
そこで、私にとっての「生きる」ってなんだろう?と考えてみた。
そして、出た答えがやっぱり『正直さ』に紐づいていた。
やりたいことをやる
行きたいところへ行く
食べたいものを食べる
そんな風に、自分の心の声に耳を傾け、自分で決めること。
「迷惑をかけるかもしれない」「自己中心的になっているかもしれない」
そんな風に他人軸で考えるのではなく、自分と向き合い正直に行動すること。
これが、私にとっての「生きる」実感を感じさせる方法ではないかな、と思う。
何かにチェレンジしたり、物事をより良い方向へ改善したりすることも、私がやりたいからやること。
他人のためではなく、自分のため。
自分がワクワクするため。
でも、ここで気をつけたいな、と思うことがある。
それは、「~したい」がいつしか「~しなければ」になってしまうということだ。
こうなると、途端、行動することが苦しくなる。
WantがHave toに変わる。
私は今までこうして、やりたいと思って始めたことを苦しみながら続けてきたことがたくさんある。
だからそのうち、やりたいことさえもしなくなった。
やりたいことをしなくなると、そのうちやりたいことが何なのかも分からなくなった。
これを防ぐために、まずは、自分の中の固定概念をフワフワにしておく必要がある。
「決めたことは貫き通せ」→「やり始めたことを途中で変えても良い」
「途中で投げ出してはいけない」→「最後までやりきらなくても良い」
そんな風に、私を縛り付けていた価値観を柔らかくしておけば、「ま、いっか」と自分自身を許してあげることができると思う。
そしてもうひとつは、
「自分の『楽しい』の範囲を理解しておくこと」
が大切だと思う。
好きで好きで、どんなにやっても好きでいられる!!!
ということなら良いと思う。
だけど、大大大好きなチョコレートだって、1日100個食べ続けたら
「もうお腹いっぱいです」
という気持ちになるのではないだろうか。
それと同じで、好きなことも自分にとっての心地良い『量』というものがあると教わった。
だから、やってみて、「あ、ここからはしんどいな~」とか「これ以上したら苦しくなるな~」とかいった自分なりの『適量』を知っておくことが、「やりたいことをやり続ける」ために必要なことなのだと思う。
「人が好き」な気持ちを大切にすること
最後のひとつは、
『心でつながりたい』
という望み。
これは私の「人が好き」という気持ちからきている。
人とのつながりをとても大切にしていて、周りの人が笑顔で心地よい状態であることを好む。
この「心地良い」という中にもちろん自分も入っていて、
私の中の「心地よい」は、
「自分も相手も正直であること」
という定義だ。
誰かが我慢したり、嘘をついたりした関係では「心がつながっている」とは言えない。
それでは、そのうち綻びが生じて崩れてしまうと感じる。
これはきっと、過去の経験から築かれた価値観なんだと強く感じるのだけれど、今までもこれからも大切にしていきたいものでもある。
みんながみんな、正直であることは、本当は難しいことは分かってる。
だけど、お互いに寄り添い思い合える関係であれば、きっと「調和」は生まれるのではないか。
そう考えている。
あと、「人が好き」という気持ちは、私の「知りたい、探求したい欲求」をもくすぐっているなぁと思う。
最近気づいたこととして、
私はあまり人のことを嫌いにならない。
むしろ、興味をもって観察している自分がいる。
その人がどんなことを考えているのか。
どんな価値観をもっているのか。
観察して、聞いてみて、知ることが楽しい。
「調和」の話と同じだけれど、相手のことを尊重したいと思っているし、自分も尊重してほしいと思っているんだと感じる。
「人が好き」という気持ちは、
人という存在が尊く、とても愛おしいと感じているからだ。
私はやっぱり、大学時代の教授が言うように、『情の人』なんだと思う。
ただ、ここでも気をつけておきたいな、と思うことがある。
それは、
自分が一度に向き合える『人数』を分かっておくこと
信じることを恐れないこと
自分も相手も正直である関係は、とても体力と精神力が必要だと思う。
適当に相槌を打ち受け流すのではなく、きちんと向き合い心と耳を傾けることだ。
繊細な気質の私は、一度に入ってくる情報量が多い。
あまりに多い情報量は、自分をとにかく疲弊させる。
今までも、そういった疲労感によってだんだんと人とのつながりが薄れてゆき、そうこうしているうちに関わる人の数が減り、関わりがないから「人が好き」という気持ちまで忘れかけていた。
だからこそ、キャパの小さい私が一度に処理できる情報量を分かっておくことはとても大切だと思う。
そうして、無理をしない範囲で、きちんと向き合っていく。
きっとその方が、私には合っているのではないかと思う。
もうひとつは、向き合った先に分かり合う未来があると信じること。
自分が心を傾け向き合うことで、相手がどんな風に感じるかは分からない。
だけど、自分が納得できる形で向き合った先に、望むつながりを感じられる。
そう信じること。
信じることは恐い。
今までも恐かったし、恐かったから向き合ってこなかったこともある。
だけど、「心でつながりたい」。
そう私の心が望んでいるのなら、信じて前に進みたいと思う。
信じることで変わることがあるはずだ。
例え、望む結果が得られなくても。傷ついても。
無駄なことは一切ないのだから。
これから「正直に」生きていくために
『正直であること』を最上段に、私の中の心に眠っていた「望み」のピースを書き出してみた。
私という人間はこれからも変わり続けるし、今見えているものが全てではないけれど、こうしていったん書き出してみることで大切にしたいものが文字となり言葉になって認識できたことは、これからの選択を変えるきっかけになると思う。
余談として。
先日、同じプログラムに参加している同期のみんなとお話する機会があり、心の中の喜びには「静」と「動」があるよね、という気づきを得た。
「そのままの私を愛して欲しい」
穏やかな自分でいることは、「静」の喜び。
「生きるを実感したい」
自分の気持ちに正直に進むことは、「動」の喜び。
「心でつながりたい」
人が好きという気持ちは、「静」のあたたかさと「動」のワクワク感がある喜び。
こんな風に見てみると、私の心の中は「静」と「動」がバランス良くあらわれていて、心地よい状態になるための調和をとっているのだと感じる。
どちらも私にとって大切なもの。
どちらも満たしていけるように、「自分に正直に」これからの選択をしていけるようになりたい。
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