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落ち込んだ日は。そんな自分も受け止めて対話してみよう

今週、心が落ちてしまった原因は、実は割とすぐに分かった。

それは、
自分にとっての大切な存在である人に、「分かってくれない」という気持ちを抱いたことだ。

具体的には、
夫の存在。

私にとって夫の存在は、自分で思っていた以上にとてもとても大きい存在だった。
それが心底理解できた2日間だったなぁ、と感じる。


第二子の出産を控え、いろいろと変化が必要な時期。
そして、子が頻繁に病気になり思うように仕事ややるべきことがこなせない現状。
そのことで、家族がどんどん疲弊していっている様をなんとか改善しようと、自分なりにたくさんの対話を重ねてきたつもりだった。

でも。
ほんの些細なことだったのだけれど。

「あぁもう、なんで分かってくれないの!」

ということがあって。

こんなに自分は心をくだいて話しているのに、なんで理解してくれないのだろう。
と、心底悲しい気持ちになった。

大切だ、と強く思うからこそ、自分のことを理解して欲しいと願っている。
そんな私の気持ちと逆の現実に悲しさが押し寄せ、エネルギーを枯渇させてしまった。


なんとか回復を試みて。
思い切って、父に話してみた。

案の定、母のように共感と励ましをくれるわけではなく。
冷静で客観的な視点からのアドバイスのような助言のような言葉をもらった。

正直、メンタル底辺な状態で冷静な意見を聞くのはかなり辛かったけど。
そんな返答がくると分かりながらも思い切って対話したことで、視野が狭くなっている自分に気づくことができた。

どんなときも自分の心をシャットアウトせず、人とつながり対話することの重要性を感じた。


父が与えてくれた客観的視点から見たら、
夫は決して「分かってくれていない」ワケではなくて。

私とは「歩む速度」が違う、ということだけだった。


同じ事柄を進めるとき。
私は一気に10のことを考え、10を進めるよう努める。
だけど、人によっては、3のことを理解し、1つずつ進んでいく人もいる。

それぞれが違うのだから、全く同じ目線を求めると難しくなる。

父の話を咀嚼しながら振り返れば、夫はそんな風にゆっくりと変化する人で。
出会ってからこれまで、たくさんぶつかり、たくさん話し合ってきた結果。

全く変化していないことはなくて。
むしろ、大きな期間で見ればものすごく変化していて。

だから。

「分かってくれていない」
わけではなく、

彼なりのペースで咀嚼し、彼なりのペースで進んでいるだけ。


それが分かると、
「分かってくれない」悲しみが薄れていく気がした。



自分勝手な視野になっていたのは、私の方だった。

『大切な存在だからこそ。
自分のことを理解して欲しいし、相手のことも理解したいと思っている』

そんな、自分のコアにある大事な想いを。

これからも求め、模索し、もがきながら進んでいきたいと思う。


そして。

心が落ちたこの2日間。
そんな学びがあり、それを認識できている自分になれたことに感謝。

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