話すことでさらに知れる、気づける
聴いてみないと分からないものだなぁ、
と感じた、今日の話。
私の夫は「気づく力」がとても強い人だと思う。
相手や状況を見て、その人が喜ぶことに「気づく」ことが出来る。
(と、私は思っている)
今日、自分の価値観を掘り下げたくて話し相手になってもらっていたら、
彼の思いもかけない側面を知ることになった。
「頼まれてもいないのにお節介を焼いてしまうことって?」
という問いで価値観が見つかると知って、
自分ならどうかな?と考えていた。
私の場合は、
困っている人がいると、それが解決する方法を提案したり手助けしたりする。
というのがある。
あとは、
散らかっているものを片付けてしまう。
というのもある。
これは、
周りの人に喜んで欲しい、
というのもあるのだが、
どちらかというと自分のためなのではないかなぁ、と考えている。
私は、
物事がスムーズに整い流れる様に心地よさを感じるからだ。
困りごとが解決して相手の思考がひらけ流れること。
散らかったデスクが整いその後の作業がスムーズに流れること。
こういうことに心地よさを感じている。
逆に言うと、
そうなってない様が視界に入るとなんだかモヤモヤするので、スムーズにしたい欲求に駆られるのだと思う。
夫の場合は、
「相手に喜ばれること」
に気づき、それを与えることには変わりはないのだが、
その目的は役割に応じて変わるのだとか。
プライベートな自分でいるときは、
純粋に「喜んでもらいたい」という気持ちでその行為を行なっているのだが、
仕事をしている自分のときは、
「これをすれば相手に喜ばれる」
↓
そうすることで相手の満足が上がり、更にはそれを見た周囲の人の会社への好感度が上がる
↓
最新的には売上につながる
という思考回路でその行為を行なっているそうだ。
思いやりの塊のような人だと思っていたので、
自分の置かれている立場によってそんな風に思考回路が変わっているのだと知って、驚いた。
(それが良いとか悪いとか、それによってガッカリするとかそういうことではなくて、単純に自分のフィルターを通して見ている彼との差に驚いたということ)
そして、そんな風に、同じ行為しているのに目的が変わる、と言うのも考え方として面白いなぁ、と感じた。
私は、いつも自分の直感に従って生きているような人間なので、
相手や立場が変わろうと、その目的はいつも同じ気がする。
ある意味、自分主体な価値観なのかな。
夫の場合は、立場に応じて求められることを目的とする、というところに価値観があるのかな。
なんだかまだ深掘りできてなくてフワフワした内容だけど。
今まで感じてた夫とは別の側面を
「話す」という行為によって知ることが出来て、
とても興味深かった。
それと同時に。
私はやっぱり個々の価値観に触れることが好きで、
「人」やその人が「生きる様」に興味があり、知れることに喜びを感じるんだな、と思った。
他愛のない夫婦の会話から、
そんな価値観をみつけたお話。
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