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大事なものはいつも自分の中にある|忘れてしまう気持ちを言葉にしよう

昔から、アーティストのミュージックビデオを観るとき、
何気ない日常のカットが取り入れられているものが好きだった。

あとは、一歩一歩歩いていくさまとか。
イヤホンを差して一定の歩幅で歩くのにぴったりなリズムとか。

屋久島の縄文杉に会いに行くために、初めて登山を経験したとき。

なんの舗装もされていない山道を、一歩一歩足元を確認しながら登るあの感じに、物凄く心が満たされたことも。


全部ぜんぶ、私が大切にしているものだった。


最近ふと、そのことに改めてきづいたんだ。



それは、私が。

日々過ぎ去る毎日の、ほんとうに些細な。

雨の日にぽたぽたと落ちる雫とか。
洗濯物が揺れる姿とか。

息子が片づけ忘れたパトカーのおもちゃとか。


そんな、気にしなければ記憶にも残らないような。
毎日同じことを繰り返しているような。

でも、同じときはひとつもないような。


そんな、人と自然と命の営みを、

とてもとても大切に想っているから。


そして、

その記憶にも残らないような毎日を、
ただただ繰り返すように、一歩一歩、小さく小さく前へ、終わりへと歩みを進めていることを。

とても愛おしく感じているということだ。


そんな、目には見えない小さな繰り返しを愛おしく感じるのに反して。

自分自身には、大きな変化を起こさなければいけない。
でなければ評価されない。
価値を感じられない。

そんな風に、見えないプレッシャーをかけていたんだ。


そんな気づきを最近感じた。



それに気づくと。

自分が営んでいるこの小さな毎日も。
変わりたいけど、進みたいけど。
思いっきりジャンプしても1センチくらいしか飛べていないことも。

なんだかちょっと許せて。
愛らしくて。

変わらないようで変わっている。
その積み重ねを認めてあげられるような気持ちが湧いてくる。



私が大切にしているものは、いつも私の中にあって。

忘れていたものを思い出す瞬間は、いつもぐっと涙が溢れて。


そんな風に愛おしい感情をきちんと感じられる。
この瞬間に生きている。

そんな自分を忘れないように、
今、ここに記したいと思ったんだ。


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