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鬱病とHSP

僕は臨床心理士でもなければ心療内科医でもありません。
ただ学生時代に心理学を学び、HSPの妻を持つだけの男です。

なのでいわゆる「心の病」的なものには大して明るくないですし、詳しく話せるほど知識はありません。
大学の教科書や講義で学んだ程度の浅い浅い知識しか持ち合わせておりません。

ですが、そんな僕でも僭越ながら鬱病とHSPについては少し思うところがあるので軽く書いておこうと思います。
鬱病とHSPと、両者に対する世間のイメージについての違和感。

今日はそんなお話。

病気?病気じゃない?

HSPは病気ではありません
ただの「気質」の問題です。

心理学的には「パーソナリティ」「性格」「気質」「気分」などは厳密に言うとそれぞれ少しずつ意味が異なってくるのですが、「気質」を簡単に言うと「生まれつきそういう性格的な傾向がある」って感じです。

なのでHSPだからといって心療内科に行く必要もなければ治療もしなくていいです。
普通に日常生活を送ってOK。

それに対して鬱病というのはその名の通り、病気です
自分ではなかなか自分が鬱病だとは気づきにくいのですが、周りの方がもし鬱病になっている時は速やかに心療内科を薦めるべきです。
(本当にその人が鬱病なのか、ただ落ち込んでいるだけなのかは別問題ですが)

「一人で抱え込まないように、、」と言っても難しいので周りの方のサポートは必須です。

鬱病との闘い

さて、これらのHSPと鬱というのは結構関係があります。
端的にいうと、HSPの人は鬱病になるリスクが高かったりします

HSPの人が日常の刺激を強く感じ取ってしまい、それがぐるぐる頭の中を駆け巡ってしまった結果、鬱病を発症する。
そういう事例は往々にしてみられるようです。

実際、妻は鬱病になったことがあります。
今は鬱症状はありませんが、特に高校時代、あるいは大学時代も少しそんなことがありました。

いつも笑顔が少なく、無理に大学に行って無理に笑って、帰ってきたらまた無気力で。
そして僕への依存度が日に日に増していき、一人で何かをすることが難しくなってきて、、

まだまだ彼女への理解が足りなかった僕と喧嘩することも増えてしまいました。

でもその時、本人は全く鬱に無自覚でした。

高校時代にも鬱症状が出て通院していたはずなのに、鬱症状に気づいていませんでした。
無自覚だからこそ心療内科に行こうと提案してもなかなか納得してくれませんでした。

なので少し心は痛みますが

「病院に行って治療してくれないと僕がしんどい。このままじゃ僕が辛くなるから、僕のために病院に行って欲しい」

と言いました。

すると彼女は、根がとても優しいので、素直に病院に電話をして受診してくれました。

鬱によって少しずつ日常のネジが外れてきても、やっぱり彼女の中心にあるものまでは失われていないようでした。

受診当日、僕は彼女の付き添いとして待合室で彼女の順番を待っていました。
彼女は不安そうにも、悲しそうにも、辛そうにも見える顔で、自分の名前が呼ばれるのを待っていました。

そしていよいよ彼女の名前が呼ばれ、一人診察室へ。
はっきりと覚えてはいませんが、立ち上がる時の彼女の手が少し震えていたような気がします。

、、、30分は経ったでしょうか。
もしかしたらもっと経っていたかもしれません。

彼女は重症なのか?
もっと早く病院に来るべきだったろうか?
もし入院なんてことになったら、僕にできることなんてあるんだろうか。。

何も分からない今考えてもどうしようもないけど、考えずにはいられない。。。

、、、、一旦忘れよう。

ネットサーフィンでもして待っておこう。

そうして携帯を手に取り、一つも面白くないネット記事を読み始めたその時、突然ガラガラッと扉が開いて彼女が出てきました。

泣きじゃくって真っ赤になった彼女の顔。
涙も鼻水もたくさん拭いたのでしょう、目も鼻もパンパンに腫れていました。

思わず「大丈夫?」と聞いてしまいましたが、彼女は鼻をすすりながら小さく「うん」と頷くだけ。

でも、その目は、その表情は確かに、少し明るくなっていました。

その後診察料を払って病院を後にし、トボトボと昼下がりの田舎道を家の方向に歩きながら、彼女は

「来てよかった。ありがとう。」

と言ってくれました。
僕はもうその言葉だけで胸が詰まってしまって、安心とも喜びともつかない気持ちに包まれるのを感じます。

道々の田んぼの稲は溢れんばかりに実り、稲穂の上をトンボが急発進と急停止を繰り返す季節でした。

結果的には、やはり軽い鬱病の症状が出ているとのことでした。
彼女が早期に病院にかかってくれたから、この程度で済んだのだろうと思います。

もちろん1回の受診で治るわけではないですし、薬をちゃんと飲まないといけません。

でも確かに、彼女の止まっていた歩みが、淀んだ時間が、再び動き始めた瞬間でした。

「心の病気」という言葉の違和感

妻はあの時、確かに軽度の鬱病でした。
高校時代はもっと酷く自殺願望もあったようですが、それでもよくここまで回復し、今日も元気にお昼寝してくれています。

もちろん鬱病は寛解するのが難しいので再発の可能性は0ではないですが、とにかく今はあの時のようなことは起こっていません。
でも僕は当時の妻が「心の病気にかかっていた」と表現することに抵抗があるのです。

「心の病気」というと、なんだか「その人の心・精神がおかしいことになっている」というニュアンスを感じてしまいませんか?
それって個人の人格・内面がおかしくなって、もう変えられないかのような言い方だなあと感じちゃうんです。

でも当時の妻は、神経科学的にいうと「セロトニントランスポーターの分泌不足に陥った」のです。
神経のシナプス間でセロトニンという神経伝達物質をやりとりしてくれるセロトニントランスポーターが不足したことによる鬱症状。

だからあの時もらった薬は、セロトニントランスポーターの働きを活発にするための薬だったのです。

そう考えると、なんか「心の病気」というよりは「神経伝達物質の分泌に関する病気」という方がしっくり来るんです。

あくまで神経の異常なので、その人自身の問題などでは決してない
そのほうが捉え方として正しいような気がします。

そのほかの「心の病気」に関しても、もっと神経科学的に理解した方が良いんじゃないかなあって思います。
「心」というものを学生なりに真面目に勉強したからこそ、複雑すぎる「心」というものに原因を求めるのはどうしても気が引けます。

そんな簡単なもんじゃないなあと感じてしまって。

持ちつ持たれつ、前途洋々

まあそんなこんなで、HSPの妻は時に鬱症状とも付き合いながら毎日元気に頑張ってくれています。
妻は他にも過剰適応の傾向があったりしますが、そんなことは全く感じさせないくらい元気に普通の日常を過ごしています。

多分鈍感な僕が気づかないところで色々考え抜いて、悩んで、僕に心配をかけないようにしてくれているんだろうと思います。
それがどんな内容なのかは知らないですし、妻もそれをいちいち詮索されるのは好まないのであえて聞かないですが、感謝感謝です。

もちろん何かあったらいつでも助け舟を出すつもりですし、それを迷惑と思うことなんて絶対にありません。
困った時はお互い様、きっと僕が困った時は妻も同じことをしてくれますから。

世の中のHSPのパートナーを持つ鈍感さんは、もしかしたら自分もこういう事態に直面することがあると思っておきましょう。
その時は決して、「この人は人が変わってしまった」なんて思わないように。

しょせん神経系の問題なんです。

あなたにとって大事なパートナーなら、ぜひその人の本質を大事にしてあげてくださいね。

(雑記)鬱は心の風邪?

「鬱は心の風邪」と表現されることもあります。
これは元々製薬会社が抗うつ剤を売るためにできた言葉らしいです。

でも最近はこの言葉が一人歩きしてしまっています。
「こんなに毎日辛いのは鬱病のせいだ!」と勘違いした健康な人が心療内科を受診し、医師も無下に帰す訳にもいかないのでビタミン剤などを処方して帰す、というようなことが増えたそうです。

その結果本当に鬱病の人の診察が遅れたり、診察が簡略化したりと弊害が起こることもあるようで。。

まあこの言葉には良い側面もあるのかもしれないですが、物事って難しい。。

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