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~第126回 ~「氷川神社と平安時代の話」

武蔵一宮氷川神社は、社記によると第5代孝昭天皇(前475 ~前393)の御代3年4月未の日の御創立と伝えられますが、現存する文献上初めて登場するのは天平神護2年(766)。

法制書『新抄格勅符抄』に「氷川神に封戸三戸を寄進する」旨の記述があります。

そして平安時代・延長5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』には「氷川神社 名神大 新嘗 月次」とあり、この頃には武蔵国最大の神社であったことがうかがえます。 今回は平安時代の氷川神社に関わる2つのお話を。 一つは平安時代の戦。

平安時代、氷川神社を代々祀ってきた足立郡司の武蔵武芝(むさしのたけしば)は、天慶2年(939年)に中央政府から武蔵国へ新たに赴任した武蔵権守・興世王と対立し、その調停を平将門が行いました。

この調停が原因となり生じたのが、日本史上に名を残す、貴族による律令国家衰退と武士のおこりを示す戦として知られる「平将門の乱(承平天慶の乱)」です。 そして、もう一つは伝説。

先に登場した足立郡司武蔵武芝の「武蔵」氏は武蔵国造家として足立郡司を務める一方で、氷川神社を祀っていた一族でした。

この武芝がモデルともいわれる伝説が、平安時代中頃(11世紀)に菅原孝標女が書いた『更級日記』に記されている武蔵国での「竹芝寺」の伝説です。

この伝説にご興味がありましたら、是非、平安女流日記文学の代表作のひとつに数えられる『更級日記』をお読み下さい。


〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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