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~第220回~『オリンピックはどうなった』①~嘉納治五郎~

武蔵一宮氷川神社に名の由来を持つ日本郵船の船「氷川丸」は、日本のオリンピック史に関わる船です。

氷川丸が誕生したのは昭和5年(1930)。
以後11年の間に太平洋を146回横断、約1万人が乗船し、大勢の著名な方々も乗船されました。
その中に、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎も。

嘉納は昭和13年(1938)、東京五輪の開催のためにエジプト・カイロで開かれたICO総会(オリンピック会議)に出席。
その後、4月22日にバンクーバーから氷川丸に乗船しました。
その帰国途上の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により逝去。
遺体は氷詰にして持ち帰られ、横浜港ではオリンピック旗を棺にかけられて船から降ろされたそうです。
最後の言葉は『オリンピックはどうなった』だったという嘉納は生前、「オリンピックの開催は政治的な状況などの影響を受けるべきではない」と訴えていました。

横浜の山下公園に係留される「日本郵船 氷川丸」の船内には氷川神社の御祭神が祀られ、船内装飾には氷川神社の神紋である「八雲」が用いられています。
嘉納の最後を見守った氷川神社の御祭神と八雲紋。
これもまた、日本のオリンピックの歴史の1つです。

〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕


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