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虐待とAD/HD
本来、AD/HDの特性も持っていなかった子どもが、虐待を受けたことで、その後、AD/HDのような言動を示すと言われています。
一方、AD/HDがある子どもはその特性なら生活上でトラブルを起こすことがあり、しかも、何度も。それを親は何度も注意をし、しかし、何度言ってもトラブルは続く、口で言ってわからないから手を上げてしまうということもあるでしょう。それが次第には虐待へと繋がることもあるでしょう。
僕はどっちなのか。
時々、考えることがあります。
僕は父親から暴力を受けていました。
理不尽に殴るという訳ではなかったと思います(そう思いたいだけかもしれませんが)。
父親が僕を殴る時は僕が何か悪いことをした時だと記憶しています。
僕は父親が嫌いでたまりませんでした。
もちろん理由は僕を殴るからです。人を殴るやつを好きになる人間なんてどこに存在するんですか。
子ども頃からそんな風に育ててられたので、僕は今でも父親は嫌いです。
正直、早く死んでほしいと思っています。
そんな風に思うくらい苦しめられたのです。
何度も父親の暴力から逃れるために自殺未遂もしました。そうすれば暴力は終わる。そう思ったのです。
以前、希死念慮の話をしましたが、父親が原因で希死念慮を持ってしまったと思っているところもあります。
ちょっと話かずれてしまいましたね。
どちらにしろ、子ども頃に受けた暴力や虐待はあとになって日々の生活に支障がでるくらい影響があるということです。
人として正しい道に先導してくれる大人や自分の周りの人たちがいなければ、きっとそういった経験をした人さ犯罪を犯すような人間なっていたかもしれません。だから、親だけじゃない、教師も周りにいる人間が、その子を理解して進むべき道を示してあげないといけないのです。
なんか話が宗教っぽくなってきたかな。
そうでもないか。
でも、暴力や虐待は絶対あってはならない。
負しか生み出さない。
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