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AD/HDの僕が楽しめたバイト7選

テレビ美術アシスタント★★★★★
大学生の時にやっていたバイトです。
僕は大学が夜学だったので、大学が21頃に終わって、それからこのバイトに行っていました。
仕事内容はデザイナーさんが作ったテレビ番組で使う小道具やテロップなどのデータをテレビ局や編集スタジオに届けることと、制作の簡単なお手伝い。
人生の中で一番楽しかったバイトだったかもしれません。
僕はテレビが好きで、大学を卒業したらテレビ番組を作る人になりたいと思っていたくらいですからね。
だから、仕事のすべてが刺激的で魅力的で、僕は楽しんでひとつひとつの仕事をしていましたね。
好きなことを仕事にできる喜び感じられた場所でした。
グレートインターナショナルという会社ダッタンですが、ここで働くスタッフの方たちが皆いい人たちばかりで、というか、いい人しかいなくて、とても居心地がよかった場所でもありました。

エキストラ★★★★☆
テレビにちらっと映るあれです。東京に来たらやってみたかったんですよね。いろんなドラマ、映画、再現ドラマに出ました。でも、一緒にエキストラをやっていた人たちは変な人が多かったです。それがよかった。

カメリハの演者役★★★★☆
番組の本番前にカメラのチェックをするカメラリハーサルというものがあります。僕はそこで出演者役を本番通りにやり、カメラマンさんが出演者の位置や動きなどを確認するんです。
今でも思い出すと興奮してしまうエピソードがふたつあります。
ひとつめが、アンビリバボーのカメリハに行った時に、カメリハが始まるのを首から演者の名前が書かれたボードをぶら下げて待っていると、そこに北野武さんが大勢のスタッフさんやら付き人さんを引き連れてやってきたのです。僕は北野武さんの大ファンだったのだで、突然の登場で呆気に取られてつつも、ひとり興奮していました。すると、北野武さんがこちらに話かけてきたではありませんか。
僕はその時の言葉は一語一句覚えています。
北野武さんはこう言ったのです。
「お、あんちゃんたちも写真撮ってあけまるよ」
北野武さんはそう言うと、首から下げていたらカメラで僕たちカメリハの演者を撮ったのです。
「ありがとうございます!」と僕は言い、北野武さんは「おう」と言ってどこかへ行ってしまいました。
テレビ関係のバイトをしているとこういう邂逅が時々あるので、それも楽しみのひとつでした。
ふたつめは、ぼくの大好きだった番組であるめちゃイケのカメリハに行けたことです。その時のカメリハは当時めちゃイケのコーナーの中でも人気のあったスタンプショーでした。
僕は矢部さんの役をやらせてもらいました。
カメリハは本番とほぼ同じ進行で進みました。しっかりとBGMもなり、それに合わせてブラシを擦ってリズムを取り、自分の顔がカメラに抜かれ、そして、お馴染みのサイコロを振る。サイコロの目がカール(矢部さん)と出る。僕は他のメンバーからハリセンで叩かれ、そして最後にでかいハリセンで顔面を叩かれて、ぶっ倒れるという、まるでめちゃイケのメンバーになったかのうな夢のような時間でした。

工場作業員★★★☆☆
いきなり毛色が変わりますが、大学を卒業した後に就職をしたのですが、すぐ(夏に)辞めてしまい、翌年の3月まで派遣で工場や倉庫などで働いていた時期がありました。
その派遣先のひとつに何かの部品を作る工場で、8時間ひたすら流れてくる何かの部品をフレームから外すという仕事をしていました。
工場は四つ木にありました。当時、あの辺りは住宅地の中に小さな工場がいくつもあって、お昼休みになると近くのコンビニや公園にはその工場で働いているであろう人が集まってきて、僕はそんな雰囲気が好きでした。
その当時、僕は町屋に住んでいて、京成に乗って四つ木に行っていたのですが、京成線の車窓から見る景色も好きでした。
仕事自体は、単純作業なので時間が経つのが死ぬほど遅かったです。1時間経ったかなと思ったら10分しか経ってなかったり。
なので、感覚的な時間の流れをどう早めるかとの戦いだしたね。
よくやっていたのは、妄想ですね。
AD/HDがある人は発想力があると言われていますからね。なので、割と妄想タイムにうまく入れると次から次へといろんなことが思いつくので、それであっという間に時間が経っていました。
今、僕は小説を書いているんですが(まだ受賞はない)、当時から小説を書いていたら、その妄想タイムが小説に活かせただろうなと思います。

ピッキング★★★☆☆
これもまた派遣で行っていた仕事です。
職場は何箇所か行っていて、日用雑貨をピッキングする倉庫だったり、高級衣類をピッキングする倉庫だったりいろいろでした。
工場もそうでしたが、とにかく人とあまり関わらなくて良いというのが、僕にとってはとても楽でした。もう20年近く前の話なので、今はどんなシステムでピッキングが行われているかわかりませんが、当時は伝票みたいなものをもらって、そこに書いてある商品を持ってきて、箱詰めをするというものでした。
仕事自体もなんか楽しくて、こんか商品あるんだとか、箱詰めする時も自分なり工夫して入れてみたりするが楽しかった印象があります。

スーパー品出し★★★☆☆
高校生の時にずっとやっていたバイトで、ひたすら品物の補充をするという仕事でした。
これも人と関わることが少ない仕事だったので、長くやっていました。時々、お客さんから品物がどこにあるか聞かれるくらいなので、そんなものを品出し名人の僕にとってはお手の物でした。
辞めたきっかけはパートのおばちゃんからのセクハラだした。あれは恐怖を感じたな。

マクドナルド(調理専門)★★★☆☆
スーパーのアルバイトを辞めた後に、マクドナルドでアルバイトをしていました。
レジに立たず、注文が入ればひたすらハンバーガーを作るということをしていました。ハンバーガーだけじゃなくて、いろんな商品があるので、マニュアルに沿っていろんなものを作っていましたね。ナゲットを揚げたり、ポテト
揚げたり、ハンバーグを焼いたり。
思い出すのが、火傷が多かったなと。
不注意があるからだったのか、火傷はほんと多かったですね。

ライター★★★★☆
大学院生の時から現在まで教育系雑誌のライターを定期的にアルバイトとしてやっています。
報酬はそれほどよくないと感じているんですが、楽しみながら仕事をしています。そもそも書くことが好きなので、報酬が安くても苦にならずに続けているという感じです。ただいつも〆切ギリギリに出すので、それは改善したいところです。毎回思ってるけど。

こう見ると、なにかひとつのことに集中してする仕事で、自分の好きなことだったり、人とあまり関わらない仕事が僕には向いていたのかなと思いました。


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