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最大の武器を捨てる実験

フィンランドに限らず、海外渡航を検討する際に、英語が母国語ではない日本人の多くが真っ先に思い浮かべる心配事が「言葉の壁」だろう。
わたし自身も例外ではない。

英語学習の最終履歴を辿ると、大学進学のための受験英語。これまで、外国人とコミュニケーションを取る機会は皆無。わたしの口から最後に英語が発せられたのはいつだろう。高校の授業で自己紹介くらいは話しただろうか。

そもそも、フィンランドの第一言語は英語ではない。
フィンランド語は疎か、英語も話せない自分が現地で生活するイメージは、今のところ…一切湧いていない。

大学を卒業してから7年間、一応は「編集者」という肩書きで働いてきた。出版社で書籍の編集に携わる一流の編集者と比べれば、編集者と名乗るのさえもおこがましいのだが、それでも言葉を扱う仕事だ。

子どもの頃から本が好きで、読むことも、書くことも、そして話すことも、自然と身についた、ほんの少しだけ自信のある能力だ。
仕事でも私生活でも、言葉を頼り、言葉に翻弄され、言葉といっしょに生きてきたように思う。

言葉が最大の武器で、反対に言えばそれ以外には何も持ち合わせていない。
そんなわたしが、母国語の通じない国で暮らす。
言葉を失ったとき、気持ちや考えをどう表現するのだろうか、どんな感情と出会うのだろうか、これは結果が予測不能な実験だ。

実を言うと、既にその“プレ”実験は始まっている。言語交換(母国語同士を教え合う)サイトを通じて知り合った外国人とのメールやビデオ通話でのやりとりだ。
英語で会話をしようとすると、英語の言語的な特性に加え、自分の語彙が少ないため、自ずと極めてシンプルでストレートな言語表現になる。言語によって性格が変わる人がいると聞くが、なんとなくわかる気がする。

Oh! That's nice! Great!
ちょっとしたリアクションを取るだけでも、すごくテンションの高い人間になったようで、なんか変だ。

翻訳ツールを使えば、何かを説明したり、事実を伝えることはできても、気持ちや感情を表現するのは難しい。実際に言葉が使われているシチュエーションに出くわさない限り、言葉が持つニュアンスを理解して、自分の言葉として発言することは到底できない。

英語を(フィンランド語を)話すわたしはどんな人なんだろう。
今はまだ文法も発音もめちゃくちゃで、画面の向こうのフィンランド人は、いつも困ったなと笑みを浮かべ、首を傾げている。
長い、長い、道のりになりそうだ。




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