僕編4章

「一人でする本/編集」の時代/僕たちは編集しながら生きている 4

※このマガジンは、後藤繁雄が1996年から続けている「スーパースクール」のスクーリングの内容をもとに、2004年に初版出版された「僕たちは編集しながら生きている」の文章を加筆修正し、2010年に出版した「僕たちは編集しながら生きている・増補新版」の文章をそのまま掲載しています。年代やプロジェクト、事例はその当時のままとなり、現在は行われていないものもあります。


※別ページでの解説、「注釈欄」はこのマガジンでは省略します


※このマガジンに使われているスクーリングの内容をアップデイトした形で、現在も「スーパースクール」は、DMMオンラインサロンを利用した東京スクーリングと、浜松スクーリングを開催しています。詳細は、後藤繁雄のHPをご覧ください。

01 コンピュータが「編集」の中に入ってきた


 僕が最初に「編集」に出会ったのは、紙のメディアではなくて、実は8ミリ映画の編集だったんです。

ちょうど70年代にゴダールの映画の手法であるカットバックとか、ジョナス・メカスや、スタン・ブラッケイジ、ケネス・アンガーなんかに影響されて、「トラベローグ」という、沖縄を歩き回る「ロードムービー」を撮ったり、自分の家にあった「ホームムービー」を再編集して、喫茶店で上映会をやりました。

そのときに、フィルムをカットして、どうつなぐかということで、「編集」のおもしろさを知ったんです。


だから、僕はもともとヴィジュアル系の人間で、小説とかは、あとになってから読んだんですね。もともとは旅をして、出会ったものを撮ったりする方が性に合っているんでしょう。 


 だから、その後「編集の仕事」をするようになっても、メディアがどんなマテリアルであっても抵抗がなかったんでしょうね。

今までも、写真集、思想書、論文集、画集、カタログ、PR誌などの紙 メディアはもちろんのこと、ポスターなどの広告類、CF、TV番組などの電波媒体のものも、企画 ・ディレクションしてきました。それから展覧会やアートイベントなどもプロデュースしますが、こ れも僕にとっては編集的なノウハウを拡張したものなんですね。

業界における僕の兄貴分の秋山道男 さんが、昔一緒に仕事しているときに、「全てのクリエイティヴは編集だもんね」と言いましたが、まったくそうだと思います。

それは80年代のある日のことだったけど、驚いたことに編集というノウハウは、その後、あっという間に日常生活の隅々にまで入り込んでいきました。

とりわけ、コンピュータや携帯端末の中に「編集」という機能が入っているのを見たとき、ほんとに「僕たちは編集しながら生きている」と思いました。

 
 前講で、紙を中心にして「のっかるもの」と「のっけるもの」の話をしましたが、この講議では「ウェブ」の話と「フリーペーパー」の話をしようと思います。 


 前講でしゃべったみたいに、僕は今、日本の商業誌というのはひとつの転換期を迎えている、いや、もっと言えば80年代をピークにして、別の段階に入っちゃったんだと思っています。同時にコンピュータがパーソナルなツールにどんどんなっていったということがあります。情報の選別力が 鍛えられた消費者と、パーソナルなコンピュータ。この二者は、またとない出会いでした。

また、企業のホームページ制作に、デザイナーやライター、編集者がどっと流れてゆきました。そして、表現をしたいと思っている人たちは、自分のホームページを立ち上げ、発信を始めてゆきました。

 
 これは言い換えれば、誰もが「編集長」になれるということです。でも僕には、ひとつの作業をするにもいちいちプログラマーの手を借りなければいけないウェブというものは、まだまだ未熟な段階にあると思って見ていたのです。これはまだまだ時間がかかるぞと。

 
 案の定、高いお金を出してつくった企業のポータルサイトは、多くの場合、うまいビジネスモデルを構築できないうちにリニューアルを迫られることになりました。

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