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世界をとらえる方法としての写真のことを再度考える(アレック・ソスのこと)/一日一微発見187

僕はネットで見つけた面白そうな記事や、検索して調べた項目を携帯の「MEMO」機能に、たくさんストックしている。気がつくと、ずいぶんランダムにストックしているので、散らかった机みたいで困ることもあるけれど、電車や待ち時間に「開いて」読んだりする。
これは新しい「読書」みたいなもんだな、と思う。

雑誌(とりわけ日本の雑誌)を買わなくなってずいぶん時間が経った。ある日突然やめたというより、気がついたら読まなくなっていた。

それでも10年ほど前までは、雑誌での取材や連載もたくさんしていたから、ついでに読んだりはしていたが、経済のリセッションごとに雑誌が廃刊になって、連載も減ったこともあって、雑誌に出会わなくなった。人生の重いものを、日常的に断捨離するのが今や当たり前になったから、雑誌をとっておく習慣もなくなってしまった。

とはいえ、雑誌で育った世代だから、コンビニでよく立ち読みする、にしたって買うことはまず無いのだが。

立ち読みしたら、記事や写真をチェックする。新しい才能やイノベーティブな表現を、常に探し続けるのが好きだから。

とりわけ写真は、「時代のセンサー」だからまめにチェックする。ストリート系の雑誌やファッションマガジンで「新しい写真家」をチェックすることも長い習慣になっている。

しかし最近、日本の雑誌を見ていて痛感するのは、「面白い写真家」がいないな、ということなのだ。いや、いないわけではなく、「雑誌」という場所にはいないなぁと思うのだ。

写真は、どんな写真であれ「ストーリー」が背景にある。1カットのファッションシューティングであれ、暗示的でなければ魅力はない。写真は鏡であり、異世界へのトンネル、ワープするトリガーでなくてはならないと思う。
なんか、欠けているのである。
写真家のせいか?編集者のせいか?
何だろうか。

そんな時に、MEMOにストックしてあった記事の中に、写真家写真家アレック・ソスのインタビューがあった。

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