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教室に行けなくなった先生


私のことについてお話させてください

私自身のことについてInstagramだけでは
お伝えしきれなかったこと、思いについてこちらに詳しく書いています。
思いが溢れすぎてだいぶ長文になっています。


私は、小学校の先生として9年間働いていました。
今は学校に行くことができていません。


近づくことも、入ることもできません。
学校の最寄り駅で降りることすらできません。
通勤するために乗っていた電車に乗るのも、辛い時期がありました。


そんな私ですが、教師としての仕事は本当に天職だったと思っています。
毎日とても楽しく、人に教える喜びを経験することが出来ました。
何より「子どもたちの成長を一番近くで見ることができたこと
この姿を見ることが出来たからこそ、続けることが出来ていました。


このまま教員としてたくさんの経験と学びを積み、
卒業していった教え子たちが、私に会うために学校に来てくれる。
そんな未来を思い浮かべて日々過ごしていました。

大学では、教員になることを夢見て一生懸命学び、
積極的に小学校で学生ボランティアという形で
子どもたちや先生たちと交流を持ち、
貴重な実践経験をたくさん積ませてもらいました。

教員採用試験に合格し、憧れていた世界へ踏み込むことができました。
初めての自分のクラス、教室、子どもたち、
「先生」と呼ばれる、くすぐったいけど嬉しい気持ち、
大人としての第一歩を踏み出した感覚。

これらすべてが教員9年目にして崩れ去り、
仕事に行くことが楽しくて仕方なかった私が、
今では学校に行くことができなくなりました。

昨年の秋。
運動会が終わって数日後から私は学校へ行くことができなくなりました。
半年経った今でも学校に行くことはできていません。


憧れていた教員生活

中学生くらいから、ざっくりと「子どもとかかわる仕事がしたい」と
思い浮かべていました。

大学に入学したときは実は幼稚園教諭希望でした!
多くのことを学び、実践していくうちに小学校の先生いいじゃん!
と思うようになり、猛勉強しました

水泳が苦手だった私ですが、教員採用試験の試験項目に水泳があったため
ボランティア先でお世話になっていた学校の先生に
夏休み中水泳指導をしてもらったり、(本間に感謝です!!)

面接の練習を何度もしたりと採用試験合格に向けて大忙し!

結果は…【不合格】

常勤講師として働きながら…

採用試験に落ちてしまったので、1年間常勤講師として
小学校で勤務することに。

初めて受け持った子どもたちは特別支援学級の子どもたち。
一人ひとり個性があり、苦手だと感じることも様々。
でも、本当にかわいい子どもたちで
当時1年生だった子どもたちは現在中学3年生に。
それなのに、毎年年賀状を送ってくれる
本当に素敵な子どもたちと保護者の方々でした。

働きながら、採用試験に向けて勉強するのは
本当に大変で、時間なんて全くない状態。

常勤講師なので、結局フルタイムの教員と
同じ仕事量をこなさなければなりませんでした。
校務分掌という、校内の役割も他の教員と同様に割り振られ、
休日出勤も当たり前。

それでも、教員になりたいという思いを持っていた私は
時間を見つけて勉強をし続けました。
そして、2回目の挑戦…

【合格】をいただきました。


え、めっちゃ楽しいやん

教員として働き始め、自分のクラス、自分の教室を持ち
常勤講師とはちがう、新たな気持ちで過ごしていました。
正規教員になったことで、これまでとは違う責任感もありましたが
憧れが叶ったことがなによりも嬉しかったのです。

一緒に苦楽を共にしてきた同期と出会うことができたことに
本当に感謝です。

先生大好き!、先生と来年も一緒がいい
先生の授業面白い!分かりやすい!
字が綺麗やから読みやすい
先生一緒に遊ぼ!
先生お誕生日おめでとう!!
家で作ってきた折り紙のお花あげる!
先生の絵描いてきた!
先生、結婚おめでとう!!
先生の赤ちゃんの名前考えたで!
先生の赤ちゃん今どれくらいの大きさなん?
お腹、なでなでしてもいい?

本当にかわいい子どもたちとたくさん出会うことが出来ました。

先生、頑張りすぎたらあかんで
うちの子、家で先生の話めっちゃ楽しそうにしてるんです
今年担任してくれた先生が、いちか先生で本当に良かったです
先生と話してたら時間あっという間やわ!
うちの子のことを細かく見てくれて本当にありがとうございます
来年もいちか先生やったらいいなあって家で話してるんです
先生、結婚おめでとうございます
先生、また恋バナしましょ(笑)
先生、お腹に赤ちゃんおる状態で働くの大変でしょ、ゆっくり休んでね

そして、本当に素敵な保護者の方々と出会うことが出来ました。

ママ先生としての変化

結婚・妊娠・出産が続き、私のライフステージが変わりました。
独身女性教員だった私が、ママ先生へと変わったんです。

わが子は1歳半で保育園へ入所し
私はフルタイムで復帰しました。
産まれてから毎日ずっと一緒に過ごしてきたわが子と
離れることに寂しさもありましたが、
社会に出られる、大人と喋ることが出来るという
ワクワクした気持ちのほうが正直強かったです。
(娘には申し訳ないですが…)

フルタイム復帰したこともあり、
私の勤務時間は朝8時半~17時まで
通勤に1時間かかっていたので、7時半には自宅を出ていました。
子どもの送迎は夫に任せていたので、私は娘の朝の用意をして出発。

定時に仕事を終わらせても、帰宅できるのは18時。
その後家事をしていたらあっという間に寝かしつけの時間。
子どもとゆっくり遊ぶことはできるのは休日だけでした。

娘が中々起きてくれない日は、歯磨きをしてあげられない日もありました。
朝食もお腹いっぱいに食べさせられない日もありました。
保育園の連絡帳に朝食の記録と夕食の記録を書くのが辛かったです。
「あそこのお家、ごはんちゃんと食べさせてあげてないわ…」とか
言われるんじゃないかとドキドキしてました。
(そんなことは一切なく、逆に私のことを気遣ってくれる本当に素敵な先生でした)

娘は1歳児クラスで1番早く登園し、
1番最後にお迎えが来る生活をしていました。
娘以外に残っているのは年中や年長のお兄ちゃんお姉ちゃんばかり。
1歳半なんてまだ赤ちゃんなのに…と娘のことを思うと辛かったです。

もちろん、子育てをすることでよかった点もあります。
子育てをすることで、保護者の方の気持ちや思いが
独身時代と比べてものすごく分かるようになりました。

子どもたちに対しても、この子たちも初めはハイハイしてたのに
今では「よーいドン!」で全速力で走れるようになったのね…」と
体育の時間に感情移入したり、成長を感じたりしていました。

そして、ここまで育ててこられた保護者の方々へ尊敬の気持ちも
湧くようになりました。

育休復帰後の1年間は、初任校で過ごし
その次の年ついに異動となりました。
異動先の学校は、私が働く市内ではあまりいい噂を聞かない
とある学校でした。


楽しい!けど無理!!!

昨年度は育休復帰してすぐということもあり、
支援学級の担任として1年間過ごしました。

異動先で私は、久しぶりに担任になりました。(4年ぶりかな?)
34名の可愛い子どもたちとの1年間が始まり、
久しぶりの担任業にわくわくした私がいました♪

独身の頃に仕事術やタスク管理術の方法を学んでいたのもあって
残業時間はそこまで多くありませんでした。

子どもの個人情報に関することは学校で済ますことが出来るのですが、
それでもやはり授業の準備をしようと思うと
学校にいる時間だけでは足りませんでした。

土日のどちらかは、子どもが寝てからの数時間
授業の流れや授業に関することの作業をしていました。

土日だけで間に合わない場合は、平日であっても
子どもが寝た後に仕事をしていました。

その結果、寝不足にもなりますよね(笑)
子どもと寝落ちしてしまった日には、
通勤電車の中でタブレットを使って授業を考えていた日もありました。

自分のための時間が皆無な生活をしていたのもあり、
育休中毎日書いていた手帳は、空白だらけになり
どこに片づけたかすら分からない状態になっていました。

そして、私は学校に行けなくなった

1学期が終わり、ほっとしたのを今でも覚えています。
夏休みは研修や運動会向けての準備、2学期の授業のストック作りや
プリントの大量印刷、学年での会議、夏休みのプール指導などで盛沢山。

でも、この期間があることで2学期も頑張ろうという気持ちになれました。

運動会では、私は集団演技の指導担当に。
私が受け持つ学年は、学年全体でダンスをするのですが
そのダンスの振り付けを1から全て私が考え、
それを2学期が始まってから指導していきました。

そんな大忙しな時期に事件が発生しました。

クラスの中で起きた本当に小さなトラブルでした。
そのトラブルへの対応が、保護者曰く間違っていたそうです。
というよりも、私の対応の仕方に不満があったようです。

その件に対する対応が1か月間続きました。
そんな状態であっても、普段の生活は変わりません。
仕事、家事、子育ては当たり前にあります。

そして重なる運動会。

帰宅後も自分の時間はなく、子育てと家事に追われている状態
子どもとの時間をとりたくてもとることが出来ない。
あぁ、自分は本当にダメなママだ…と自分を責めていました。

運動会当日を迎えました。
大成功!!
あぁ、指導頑張ってよかった
子どもたちよく頑張った!!


それから数日後、いまだにその保護者と子どもへの対応は続いていました。

ある日の朝、体が動きません
頭の中で「ぷつん…」と何かが切れる音がしました。
娘に「ママ、おはよ」と声をかけられ、
「保育園に行く用意しなあかんね」と伝えるも体が動きません。

その日は娘と一緒にずる休みをし、
大きな公園に2人で遊びに行きました。
楽しそうに走り回る娘の様子を見て、幸せだなと感じました。

次の日、また体が動きません…。
何かがおかしいと感じたので、病院を予約し数日後に受診しました。


診断結果は…

診断結果は【不安障害・鬱病】でした
医師にどんなことがこれまであったかを話しました。

自然と涙があふれてきました。
「あれ、なんで!?」
涙が出る自分に驚きました。

頭の中が「ぷつん…」と切れたあの感覚は
私自身のキャパがオーバーした瞬間だったようです。

それから現在に至るまでお仕事はお休みし、
こうしてSNSに挑戦したり、コーチングを学んだりと
新しいことにチャレンジするまで回復することが出来ました。

鬱病に関しては、軽度だったのもあり
お薬を服用しながら日々過ごしてきました。
その副作用か分かりませんが、体重が10㎏近く増えてしまったので
震えております…(笑)
運動不足なのもあると思いますが(笑)


ここまで読んでくださった方、
本当にありがとうございます。




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