或る兄弟の話
舞台の上のその男は、俺の知っているあいつではなかった。舞台の幕が下りるまで、俺はすっかり物語に引き込まれてしまっていた。
弟の仕事を認めたことはない。弟は俳優としてそれなりに名を売っているが、世間が認めようと俺にとってはずっと、弟は弟だ。スポーツも勉強もできた俺とは違って、出来がいいとは言えなくて、親にも心配をかけていた。仲は良かったし、顔つきも背格好もよく似た兄弟だったが、中身は正反対だった。数学はツッコミながら教えてやったし、好き嫌いが多くて、他所で出されたものに食べられないものがあると食べてもやった。自分だけ何かができないと言って泣いているのを半ば呆れて見ていたりもした。演技の道を行くと家を出て上京していった時、正直俺は、うまくいくとは思えなかった。大した荷物も持たずに家を出た弟の頼りない背中を見送って、「長男」という己の背負った荷物が、ずくり、と重さを増したようだった。
今、俺は教師として教壇に立っている。頼りなかった弟は、今やしばしばドラマで顔を見る俳優になった。自分と似たような顔の人間が画面に映っているというのは妙な気分だったし、俺にしてみれば弟の演技の中にはいつも変わらない「弟」がいて、立派になったもんだと思いこそすれ、どうも物語に入り込めずに画面を見ていた。
けれどあの日、弟が出る舞台を見に行った。それがあの舞台だった。いつも通り、「弟を見る」つもりで行ったのに、そこにいたのは弟ではなく、物語上の人物だった。いつもの自分の分身を見るような妙な気分もなく、ただただ純粋に舞台に見入っている自分がいた。幕が下りても、俺は高揚していた。
正月、弟は実家に帰ってきた。俺はあの舞台の話を聞きたいと思った。
「あの舞台、お前すごかったよ。お前じゃないみたいだった。お前としてはどうだった?」
そう訊いた。弟はしばし考えているようだったが、俺を見て、
「……兄さんはきついよなぁ。」
と、言った。どうして、と俺は訊いた。
「だってさ、俺は俳優だから、舞台を見たいと思って来ている観客を、自分らの最高の演技で魅せることだけを、考えりゃいいわけだけど。兄さんの生徒が全員、授業を楽しみに来るわけじゃないだろ。兄さんはきついよ。」
その時俺は、ああ、俺もこいつと同じだったんだ、と気づいた。授業という舞台上で、生徒という観客に、いかに学問の魅力を伝えるために演じるか、俺はこれまでそれをやってきたじゃないか。俺は弟と違って、はじめから教師を目指したわけじゃなかった。他にやりたいこともあった。けれど巡り巡って、お互い辿り着いたその場所で、俺たち兄弟は繋がっていたんじゃないか?コインの裏と表の様に、お互い背中合わせで顔は見えなくても、「兄弟」として生まれてきたのは、ただの偶然じゃないのかもしれない。そしてもう一つ気付いた。兄弟それぞれの背負い込んだ荷物は、もうそれぞれの背に重すぎはしないのだ。
あとがき
久々に短編を書きました。リハビリくらいの感じです。しかも聞いた話を結構そのまま書いている…。勝手にネタにしてごめんなさいなんですが、これが字書きの業です。たぶん。私自身は教師を目指す身で、働きながら通信教育課程で学んでいたりするのですが、レポート放り出してこんなことしてていいのか。。。ただ生きるためには、己を生かすためにはこういうの一番大事だと思うんです。絵も描きたいんですよ。ピアノも弾きたいんですよ。それをしないで子どもの前で仕事をすべきじゃないんです。本来はきっと。吸い取られて出がらしになっちまうんでね。
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